めでたくワインも1本開けた。
今日は、昼も夜もインドカレーで渋くきめた。日本一般家庭では、日本料理、西洋料理、中華料理等、レパートリーが多く、どうしても食器類、調理器具類が無尽蔵に増殖するという傾向が見られる。おまけに、関西では、食器吊戸棚奥に、タコ焼き器も眠っている。
私自身も、生涯孤独の単身にも関わらず、前時代的キッチンには、調理器具類が納まらず、床にナベやヤカンを置いていたりして、大変煩わしい思いをしている。
初めてインドに行った時、それはそれは、毎日毎回カレーの連続で、おまけに、持ち合わせが少ないと自分で思いこんでいたので、インド初めての都市カルカッタでは、ニューマーケット内にある、かち割られた羊のドタマが陳列してある肉屋の横にある、1皿20円という最低級カレーを食していた。それは辛くて仕方なく、出された水に、浄化液を数的垂らしてガブガブ飲んでいた。
主が、ナニを入れているのかと尋ねるので、若い私は「LSDです」と冗談を言ったら、なかなかの「ベリーバッド」と苛めてくれた。
水を流し込むと、辛さが食道を伝わっているのが分かり、これも修行に違いないと、涙と汗を流しつつ耐え忍んだ。
やがて、3週間ほどたち、遂に私は、カレーに飽きてしまい、雑貨屋で見つけたパンに市場で買ってきたタマネギなどを乗せてドミトリールームで一人、飯を食っていた。
しかしながら、片栗粉のイギリス経由で入ってきた日本のカレーが、ジャイプールという街で食べた時は、遂に、お代わりまでしてしまい、食べすぎで、死にそうになった。
しかし、翌年、インドに行ったら、私の舌は十分に変貌してしまっていたのである。私は、カレーが美味いのだ。辛さが宜しいのだ。20歳を境に、私の舌は、法律どおり、成年になったようであった。
それ以来、私は成人を続けている。間違って聖人になるかも知れない。