村で、泊めさせてもらった家の子供に、2本だけ持参した線香花火をした。
「次もしよう」
と笑顔で話しかけてみるのだが、子供たちは花火をしまってしまう。
「明日の夜、他の友達のためにとっておく」
といった。電気のない村での花火の炎。
村で、泊めさせてもらった家のじいさんに、日本軍との壮絶な戦いをした湖のほとりに連れていってもらった。
「俺と君の間には悲惨な過去があった。でも今は友達だ。握手しよう」
と厳しい目をしたまま手を差し伸べられたので、私は手を出す。
「この村にまでやってきたんですね。あなたがたは、直接、敵を見てきたんですね」
といった。
「敵国破れて、湖有り」
と波のない静かな池。
殴られたほうは、孫の代まで伝え、殴ったほうは、教科書に一行。
ウノソボという町。夜、全寮制の身体障害者の学校へ招待され、のこのこ出掛ける。比較的軽度の子供たちが卓球をしている。
「かかってこい」
私はラケットを握る。あまり容赦しない私、大人、外国人、という三要素が彼らの闘争心に火をつけたようだ。子供たち列を成す。私は変化球なしで、徹底的に彼らを叩きのめした。負けるのは失礼だから。真剣な彼らの眼差しに敬意を示し、スマシュ、はい次、スマッシュ、はい次。
中国人の家に泊めてもらっていたのだが、その前の道で万屋を営むマレー人がいた。幅二メートル奥行き一メートル程度の小屋には洗剤やらガムなどがぎっしり詰っていた。ある夜、小屋を隙間から覗くと、そのマレー人主がキョウツケの姿勢のまま眠っていた。中国人によると、彼の家はこれで、トイレはその中国人の家を拝借しているそうだ。そのあとで、「中国人が店を開くと(但し漢字は御法度)その前にすぐマレー人が屋台を開くのさ」と付け加えた。
海抜二千メートルの
ディエン高原に散歩に出掛けた。ボロブドゥールより古いチャンディ(寺院)が点在。空を見ながら歩いていると泥沼に足をつっこみ、抜くのに苦労する。
泣かない女はいない、ボブマーリィを何故かかけながら、ビマテンプルや、温泉を巡った。