知らないものを何か知っているものに還元することは、私の心を楽にしてくれ、満足させてくれ、何より力になってくれる気がする。
知らないことは、動揺であり、不安であり、心配である。本能は知らないことを取り除こうとする。それは知っている知識や経験をフルに使って知らないことを埋めたり理解していこととする。
不安や動揺や心配から免れる為に、既知の部分を最大限に生かす。
この行動は、やたらめったら後ろ向きな感じがする。知らないことへの恐怖感が動き出す衝動になっている。
その原因を過去の知っていることから導きだそうとするので、選択幅が狭まり、優遇させられる面が出てきて、習慣性の法則が見出される。
結局は自分に支配されている。この枠から抜け出したい。
人を見よ、人を探せ、人を模倣せよ、書物を見よ、結局は外を見よってこと。
それを頭で考えずに、自然着火する。そんなことはきっと小学校で習った筈だ。
情けない、と、思う。
「人に感謝が足りない」と思った頃。
[ 政治経済を学ぼう ]
ぎんぞうくんはある日、パパにたずねました。
「ねえパパ。政治経済ってなあに? おしえて」
「政治経済か。ひとことでは言えないな。そうだなぁ。パパはお金を稼いでくるだろ。ママはうちのことを管理している。だからママは『政府』だ。ぎんぞうはいつも、あれほしい、これしたいっていう要望を出すだろ。だからぎんぞうは『国民』だ。それから、お手伝いさんのきむ子さん。きむ子さんはいつも一生懸命働いてくれるから『労働者』。忘れちゃいけない、赤ん坊のまむ。まむはみんなの希望。『将来』だな」
「ふうん。資本主義、政府、国民、労働者、将来か。難しいや」
その日の夜中、ぎんぞうくんは赤ん坊のまむの泣き声で目が覚めました。まむのおむつはうんちだらけ。
ママに知らせようと寝室に行くと、ママはぐっすり眠っています。
「ママ」
呼びかけても起きないので、お手伝いのきむ子さんの部屋へ。すると中から声がしました。
そっとのぞいてみると、きむ子さんのベッドにパパも一緒に入っていました。
翌朝。
「パパ!ボク政治経済のこと、よーくわかっちゃった!」
「ほう。そうか、えらいなぁ。どんなふうにわかったんだ?」
「うん。あのね。労働者が資本主義にもてあそばれている間、政府は何もせず、国民の声は無視された。将来なんかくそったれ!」
自由市場