都合の良いことに、私の家は分家の分家のさらに分家なので、本家にも墓がないため、墓がない。親鸞の浄土真宗となっており、西本願寺であり、そこに一族は永久納骨をしている。浄土真宗には、本来、死者がちょっと帰ってくるといった意味合いでの盆と縁がなさそうだ。死者はどこにもいかないからだ。親鸞は墓に対しても明確な教えを発表していない。墓より、信心が大事だと考えているからだ。墓をつくらなあかんと墓屋やお寺とつるんでいるとしか思えない占い師には困ったものがあると、ひねくれて考える。まあ、現在はここまで組織が大きくなっているのでなんらかの決め事をしておかないと混乱が生じるということであろう。浄土真宗では、私には都合のいいことに、死者は阿弥陀如来により救済されるので、特に先祖供養をする必要がないと考えられる。勿論、先祖がいたから自分がいるのでとてもありがたいことではあり、決して先祖を粗末にするということではない。かけがえのない命を与えてくれて、そのご恩に感謝すればいいのである。
とか何とかいっていると、コンビニでポチを発見。ポチはとても嬉しそうだ。飼い主も、嬉しそうにトイレットペーパーを購入した。
ポチは、何故か、繁華街でとっても目立っていた。信仰心、信仰心・・・ありがたや。