2時間という睡眠を終え、私は目覚めたんだ。そして、テントや寝袋やお菓子やタオルを詰め込み、目を擦り、目やにを出しながら、出発したのである。
集合場所に到着し、荷物をキャリアに積んだりしている間に、朝日が昇ってきそうになった訳で、渋滞に巻き込まれないうちに、人間と荷物がパンパンに詰まった車は先を急いだのである。
滋賀県岐阜県県境あたりの、関が原の伊吹山の麓のパーキングで少し休憩をして、また出発した。時速100キロを超えると、荷物が吹き飛ぶかもしれないので、普段は140キロ走行が常である私も自粛して、運転をしたのである。
3,4時間もあれば到着する予定ではあったが、渋滞に巻き込まれた。渋滞で困るのは、イライラするだけではなく、トイレも近くなることである。ついに平均速度は、歩行速度より遅い時速4キロになり、遂に、小便を我慢できなくなったこのキャンプの首謀者は、ビニール袋の中に小便をした。1リットル以上ある液体を自慢気に見せて、「アー気持ちよかった、ドヤドヤ!」と見せ付けてくるのが微笑ましい昼下がりであったが、私はまだ運転しつつも我慢に我慢を繰り返した。
そしてついにパーキングの標識が出た。あと700メートルである。しかし、車は進まないので、もはや限界を感じつつあった私は、高速道路を降り、運転を変わってもらい、側道を歩き始めた。
しかしながら、渋滞は道だけではなかった。パーキングのトイレも30分待ち状態で、顔を真っ青にしたご婦人、子供、紳士達が行儀よく並んでいた。紳士が少ないのは、紳士方は、大半が裏山に駆け込んでいくようであったからである。淑女も、遠慮なく男子便所に並んでいた。女性とは大変なものだ、と申し訳なくなりながらも私も裏山に急ぐ。うんこは汚いものだが、ウンコ以上に汚いのが、その横に捨てられたテッシュである。それが風に吹かれたりなんかすると最悪である。
修羅場を越えて、テント場に着いたのが、通常の3倍という月日を要し、我々はぐったり疲れた。缶ビール2本で酔いが回ってきたほどであった。
ベトコンラーメンは、昔、岐阜県の木曽川のほとりの店で食べたことがあるが、それがどうしたというのであろうか。
帰り。反対車線大渋滞、ザまあ見ろと、悪魔が囁く。
道は混んでいると思われたので、六甲山山越えから帰る。
芦屋市奥池という地域は不思議な地域である。この奥池の水が芦屋市民の水道供給されていると信じている芦屋市民も多いが、わずか人口5万人のうち千世帯に過ぎないのである。何せ芦屋は、企業がなく、飲食も少なく、パチンコ店もないので、裕福な市民があつまるとはいえ、市は結構貧乏なのである。
そんな話ではなかった。この奥池という地域、芦屋の六甲山にへばりついており、有料道路の途中になるので、住民は、多分何か免除はあるのかも知れないが、有料道路を通ってくるしかないのである。駅までバスで20分であり、有料道路は歩行禁止である(山道なら歩いていけるけど)。それゆえ、何と、家まで歩いて帰ることが禁止されている住宅地なのである。家は敷地が500平方メートル前後が一般的か。探せばあるのかもしれないが、買い物施設など生活施設はない。消防署と美術館はある。