199○年○月○日
Sは泥酔状態にて、酔いのレベルが異次元状態に達し、目は寡黙にも据わっている。
店を出たSは思わず、所構わず泣いた。それを見ていたYがそばについて介抱するような仕草をしたが、彼自身の精神状態がフェイズ1であり、元々他人に興味はないので、やっぱり、肩を2,3度さすっただけで、終了となった。元来Yもまた元々寡黙な男で、ポーカーフェイスであり、じっくり男であり、他人をどうこうしてやろうという思想も甲斐性も持ち合わせず、他人への干渉は偽善であり、自らを冷たい個人主義者と名乗っていた(かどうかは知らない)
私はというと、狂乱狂酔の中、ヒタスラ支払い合計25000円を割り算して、人の懐をまさぐり、必要な金を巻き上げるという作業に没頭奔走していたのである。そんな訳で、泥酔で、家族の中でただ1人、学歴の低いSの家庭環境など気にしているわけにはいかなかったのである。これだから東大家族は困るのである。
バーから出た童貞Sは、まだ雑居ビルの廊下で泣いていたが、結構救いようのない情けない顔になっており、鼻水が栄光の凋落を物語るよう光っていた。普段抑圧された生活を送っているからなあ、と冷静ぶったKは言い放つが、屁理屈論者であるKの意見には誰も反応せず、敗者の美学に傾倒していくSの喧嘩を受けて立ち、何故だか2人は殴りあいをはじめた。というか、Sから泣きながら絡まれたKは素直にその挑発にいとも簡単に乗り、その傍らで、素直で退屈なOのことなど、誰も気にしていなかった。
この現状を打破しなければと、普段問題の山積みする状態をひとまずおいておいて、刹那的な行動を無視しながら、私は「勝手にしやがれ」的に別にどうでもいいよ、でも、五月蝿いから一回外に出るよ、という訳でヤレヤレと思いながら外に出た。私は子供をあやすように、各人を見張っていると、Hが閉まったシャッターに頭から突っ込んで「きもちええー」と訳の分からないことを叫び出したが、シャッターの音が五月蝿く鬱陶しいので、シャッターからHを引き剥がした。ふと、後ろを見ると、Sがタクシーに並ぶ乗客たちに「コラアア。オマエラ、俺の気持ちが分かるんかあ」と叫んでいた。一生かかっても分からないので、大声でわめく余計な口を押さえてその場でねじ伏せた。実は何一つ自分自身が自分の気持ちを分かっていないナルシストSの腕を引っ張り、しばらく歩かせようとするのだが、そこに、Kが、「すみません。吐きます」といってその場で吐き出した。それにつられて釣れゲロをしたのはOであり、当日の嘔吐率はすでに4人わる6人の70パーセントに達していた。
吐き終えた、Kは、振り向きざまに、「Sのパンチなんかへなちょこさ」と泥酔の中、自分のステータスを保ったつもりであったが、まだゲロが口元に残っていたのは愛嬌か。ペシミストSは、更に、Oにも馬乗りになって殴りかかったが、Oは自分が何をされているか、あまり理解していないようであったので、将来的にトラウマにならないことを切に祈るだけである。静かな暴動Yは、Sを引きつれタクシーの中へと消えていった。その他は、私の家に泊まったが、ゴミ箱にゲロをするので、ゴミ箱を翌朝持ってかえれと厳命し、そうしたまでであった。
2006年○月○日
15年の月日が流れたが、時々、この日の話題が今でも出され、Sは小さくなっている。大手企業に勤務しているが、まだペシミストのナルシストのままであり、奥さんの趣味の出費の為に働き続けている。
Kは結婚したものの、毎日配水管の汚れを掃除するように奥さんに苛められ、別れてくれるなら1000万円でも出すよとぼやいているが、最近、商社からどこかの軍需産業に転職したみたいで、アメリカへの研修に暫く出かけ、合法的に家を空けることが出来、水を得た魚のようである。
Oは、現在鹿児島に住み、鹿児島に骨をうずめるようで、最近弛んでいるので、今年、わざわざ鹿児島まで私が行き、カツを入れておいた。またすぐ連絡しますよ、といいながら、全く連絡してこない。多分、便りなきは良き便りを実践しているのであろう。
Hは、自ら経営する会社の業績が不振なため、得意な株の売買で何とか給料を捻出しているようである。何せ小学生の時からお小遣いで株をしていたので、その辺の証券スタッフよりは詳しい。
Yは、3ヶ月の結婚生活に終止符を打ち、今のところヒッキーをしている。