プチ横浜は神戸、プチ川崎は尼崎、なんぼのもんじゃい東京は大阪とすれば、プチ京都は鎌倉である。
銭洗弁財天入口。国境の長いトンネルを抜けると金の亡者神社であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 向側の座席から娘が立って来て、私の前のガラス窓にお金を落とした。線香の冷 が流れ込んだ。
銭洗弁財天で、線香と、お金を持っていき、お金を洗うと、倍になるという投資向け弁財天であった。
ガキどもはジャリ銭を洗う。投資金額が少なければ、リターンも少ない。
大人の私は、何億円という札束も洗う。投資金額が大きい程、リスクは減るものだ。
鶴岡八幡宮、修理中につき写真シートで我慢してね、と言われる。
鶴岡八幡宮、さすがに鎌倉は関東だけあって東京にも近くてガイコクジンが多い。多いのだが、結構、どこにいっても、日本語の説明しかない。鎌倉を理解したければ、日本語を理解せよという潔い姿勢が微笑ましい。
建長寺。臨済宗建長寺派の大本山。
建長寺。それは、わが国最初の禅道場。禅をすれば、私は、5秒で睡眠状態に入ることが出来、棒でしばかれること請け合いである。
建長寺。境内では、誰かの個人展覧会が催されていて「入場無料!」って書かれていたけど、既に、拝観料払ってしまってるんだよなあ。
大船観音。駅前観音である。多分、日本で一番交通アクセスの良い大観音さまなのである。胸だけなのである。地盤が弱かったから。計画を変更して胸までだけになたらしいのである。おまけに戦前から作り始めて、途中で何十年も中断していたそうなのである。
湘南海岸。素人軍団のサーファー達がちょとだけ小さな波を待っていた。私も、自慢だが、バリではサーファーだった。頭はサーファーカットではなく、ドレッドレゲエの三つ網野郎であった。
海蔵寺。季節の花に彩られるお寺なのだろうか、カメラ小僧やカメラおっさんや(多分)ブロガーが何かのシャッターチャンスを待っていたのであった。
海蔵寺。今や、民家の奥の細々道の奥にある。丹波哲郎氏死去。霊界と挨拶するのだろうか。
長谷寺。門前町が、何とも京都。
長谷寺・・・以上。
獄寺、って書いたけど、寺じゃねえよ。
円応寺。やっぱ、私のお寺のテーマは、「地獄」である。そんな訳で、何を隠そう、鎌倉の目的地はここがメインといっても過言ではない。
円応寺。過言ではないといいつつ、拝観は5分で終了。拝観料も200円取られる拝金主義であり、地獄の沙汰も金次第なのである。おまけに寺を出るときには「ありがとうございました」なんていわれてしまった。こんなことでいいのか、閻魔様。
まあ、せっかくだから、大仏後姿。
まあ、せっかくだから、大仏カラスカーカー。
まあ、せっかくだから大仏。奈良の大仏よりは小さかったが、奈良の大仏より拝観料は安い。
そうやって、正統的史跡行脚は終了したのである。
題目のことを忘れていた。観光地の目の前の食堂は、うまくもまずくもない。相手は、一見さんばかりでリピーターを求めていない。しかし、マズイと、最近ではネットで流されてしまうので、そこそこに。行列してもらわなくても、じゃんじゃん客は入ってくるので、適当でいいのである。立地の勝利である。