ベトナムといえば、戦争が終結して22年。考えれば、私も戦争が終結して20年少々たった頃に生まれている。考えれば、学生の頃は、タイの本より、ベトナム戦争の本の方が多く読んだと思う。しかし、当時は、やっとツアー観光客に少し門戸が開かれた程度であった。勿論、カンボジアに関しては、外国のガイドブックでさえ3行、とても入国は難しいとしか書かれていなかったのであった。
サイゴンの空港を降りると、東南アジアの香りが押し寄せてくる。時間もないので、空港でホテルを予約することにする。私が、物色していたのは、ベトナム戦争時に、報道陣がたむろしていたというマジェステックホテルであるが、これは今はもう5星の格式あるコロニアルホテルとなり、値段も100ドル以上となり、ネットで事前に予約する時間もなく、出国してきたので、地図で中心部を指差し、お手頃ホテルを勧めてもらった。そんなとき、多分、特定のホテルを勧めると彼女にコミッションが入るのだろうと思いつつも、まあ、いいよ、と思い、そこに決めた。何とも、3日前にオープンしたホテルであった。ホテルまでタクシー配車しましょうか、10ドルですといわれて、断ると、即、彼女は、外に出ると、市内にタクシーで5ドルで行けます、とニコニコしながら言った。彼女の中には何の矛盾もないようであった。
タクシーにぼられないように、乗ると、すでにしっかりメーター制であり、10000ドン80円程度という馴れない数字とメーターを確認し、街まで、40円なのか400円なのか4000円なのかよく分からないが、まあ、5ドル程度なら400円というところかと思いながらも、20年前のバンコクのような気分で流れ行く風景を見ていた。
工事中で、躍進しているところが、似ているのだが、勿論、違いもある。途上国の段階は、途中をすっとばす。車道は舗装されているが、歩道は土のままの道が続き、喧騒はお得意のものであり、人々がうごめき、バイクの洪水が走るが、そこには、所々に、インターネットカフェや衛星放送があり、日本企業でなく、サムスンのような韓国系企業のネオンも目立ちつつも、クモンの看板があったりして、怒涛である。
オープン3日目のホテルはお祝いの花で埋まり、いいにおいがする。しかし、オープン3日目であり、ホテル業に慣れていないのか、備品が足りなかったり、鍵とキーホルダーの部屋番号が違っていたり、ワインオープナーを頼むと、新しいオープナーが箱に入ったまま出てきたり、今後を期待しますという感じで笑えたのであった。パスポートはフロントに預けるシステムで、政府に報告義務があるのか、ちらりと社会主義が生き残っているように見えるのであった。
しかし、エレベーターに乗ろうとしたら、既に掃除の人がエレベーターを待っていてくれて、私が階数のボタンを押しても掃除の人は自分の行きたい階数を押さなかった。私が降りてから、彼は、自分の行く階数を押したようである。私は、このホテルが好きになった。
(翌日、ホテルの制服をきたまま横の屋台で飯食っていたフロント係と目があってはにかんだ。時間だけがあった昔なら、私もすぐ横に座って一緒に飯をくったであろう)
23時に、早速、街に出かける。どうやら、街は基本的に12時で終わりである。通りは暗い。
ホテルのルーフテラスのバーに行く。サイゴンバーである。西洋人が中心であるが、何故か私の周りは現地の人か韓国人であった。ビールが1杯500円程度するのであるが、こういった過度期の現地の人の収入は格差があり、また、前年度2割アップとか3割アップという感じなのであり、平均月収は、少し調べてみたが、5,000円から2万円というところであろうか。アジアに来ればよくあることだが、こういうところに来る現地人は相当羽振りのいい成金である。面白いのは、西洋人であれば、オシャレバーにはカップルで来るのが多いのに対し、現地成金達は、屋台の集まりそのままを持ってくるのであり、男同士数人でやってきてはガブガブ酒を飲んでいるのである。その辺りが、微笑ましいのである。
素晴らしい夜景かと思いきや、さすがに、夜は暗い。メニュー表はドン払いも可能だが、料金は米ドル表示であった。他にも、バイクタクシーでも1ドルとか言われ、まだまだ国民は自国通貨を信じていない国なんだなと思うのであった。ただ、どちらの通貨で払っても、ほぼレート通りではあったが。
店も12時で終了し、ビールを1杯だけがぶ飲みした後は、夜中の怪しい街をぶらぶらするのである。
それは、もう五月蝿く鬱陶しいのである。バイクがすぐ近づいてくる。男バイクは、20ドルで女はどうだとしつこく付きまとい、女バイクはその人自身が売春婦であり、ホンダ120程度のバイクに着飾ったセクシールックが不釣合いで笑えるのである。運転男タンデムシート女バイクは、こいつはどうだのデリバリーバイクである。真っ暗な道を歩いていると、ある店から大量に人が吐き出されており、そこには何十人という西洋人おっさんと売春婦とバイクの洪水となっており、愉快なのである。その真ん中に入り、傍観者になりジロジロみていたが、西洋人物色に忙しい売春婦とヒモたちは、順調に私に気がつかなかったのであった。
しかし、気がついた1人の怪しい男は、ケッケケといいながら、私に近づいてきて、コカインはどうだ、といった。そのあと、すかさず、マリファナはどうだといってきた。今後の参考のために、10グラムいくらか聞いてみると、20ドルでどうだといってきたので、フーンといって歩き出すと、お決まりのパターンでディスカウントが始まるのであった。
とにかく声をかけてくるのは、物売りだけになった国になったのだなと思う。
部屋でテレビをつけてみると、マトリックスリローテッドをやっていた。セリフがベトナム語になっていたのだが、全員のセリフを1人の男が喋っていたのに笑い、よく聞くと、かすかにキアヌリーブスなどの声が聞こえるのも笑えるのであった。パチモンやなあと笑っていると、知らない間に眠ってしまったのであった。
(午前2時にたむろする売春婦とヒモと西洋人とバイク軍団)