不健康は蜜の味・・・そういうのは、「若かった頃だけの特権だぞという法則」を少し破ってみたい気がする。疲れないのか・・・そういうのは、楽しくないときだけの台詞である。何しに来たのだ、何をしているのだ・・・意味を求めて安心したくねえ。熱帯の暑さは夜も続き、久しぶりに、玉の汗が吹き出るが、それさえ心地良い。
かつて、タイを自転車で縦断していたので、バンコクに着いたときも自転車を持っていた。チャイナタウンのジュライホテルから数キロ先のこのパッポン歓楽街まで、自転車できた。それも二人乗りして。そのストイックな時間、なんて、おれはおしゃれなんだ、と思った。
フラフラしながら、真っ暗な中、ホテルに戻る途中、ヒンドゥ寺院を発見。フラフラしていたので、部屋番号を間違えて、朝方に、ガチャガチャ開けようとして、泊まっている人に、男娼と間違われた私。
暗い道には、ゴキブリとネズミの巣窟であった。舗装が直されていない道が懐かしいのである。
さて、朝、早起きして、出かけるぞ、と思いきや、3時間程寝坊。といっても行くところは特にない。
特に予定はないが、マッサルヂに行くことにした。タイでのメインである。何せ、昨日のサンフランのマッサルヂの看板を見て、マッサルヂをすることにしたのだから、これなくして、タイはなし。といっても、最安値のワットポー(涅槃仏がいるお寺)内にあるマッサルヂではなく、かといって外国人向けではなく、地元のデパートに入ったのである。1980年代、デパートは、人々が涼みにくるところであり、購入者が2、3割という状況であったが、今は、買うために来るようになったと思われる。
とにかく、2時間で1000円である。大富豪なので300円もチップも弾むのである。大変喜ばれるのである。どうせなら最初に渡しておくべきだったか?しかし、最上階フードコート横のガラス張りのマッサルヂ屋であり、柔道着のような薄着に着替えるのに、ガラス張りに、着替えパンツ丸見えなのである。さぞかし、食べている方々は不快になったことであろう。しかし、2時間はおばちゃんも疲れたようであった。1時間を2回に分けるとよかったかなと思ったのであるが、後の祭りであった。
しかし、夜中からすぐに、揉み返しがやってきて、結局、また行く羽目に陥るのである。
日本に帰ってからもさらに肩こりがひどくなることが目に見えているのである。タイに来たら、結局、何かと、禁断症状を起こす羽目になるので、大変困るのである。
敬虔なブディストなので、仏陀グッズを買うのである。蝋燭とか。
学生の頃、タイの坊さんが持つ黄色のかばんを持っていつも学校に行っていた。ある日、日本に来ていたタイ人に注意された「これは坊さんが持つ専用のものだよ」と。
マッサルヂをしたローカルデパートの地下にタイスキMKがあったので、野菜を食べまくるのである。食べまくっていると、急に店内に音楽がなりだし、従業員が踊りだしたのである。意味不明に笑い出したが、他のお客さんは無視していた。(一応、最後に皆さんお愛想拍手はしていた)
踊っている間に、注文や後片付けの仕事がたまり、どえらく忙しそうにしていた。(ホテルでテレビをつけると、MKのコマーシャルをやっており、やはり踊っていた。エグゼクテイブなので、テレビつきのホテルに宿泊した。)
とにかく、九州旅行を1年前からするようになってから、佐賀県でMKを見つけて以来、おお、なんだかMK行きたいぞ、と密かに思っていたのである。とにかく、海苔巻きがお勧めなので、今度誰か行くなら食べるべしである。
しかし、タイスキチェーン店は、MKとコカ、テキサス、カントンとかあるが、多分、MKが一番庶民的なのである。
廃墟ビルを眺めながら、BTSに乗る。大渋滞に巻き込まれることがなくなった画期的である。昔は、暑いので、3キロ先に行くためトゥクトゥクに乗ったが、1時間かかたりなんかしたなあ。
昔、夜に、建設中のビルに入って、夜景を眺めていたら、警備員に見つかったが、外国人と分かると、なにやらはにかんで、どこかへ行ってしまった。何となく、警備員の心理が分かるような気がして、嬉しくなった。
地下鉄MRTにも乗るのである。地盤が緩いので地下を掘るのは無理なんて話を聞いていたのに・・・
なんだ。おまえ。また行くのかよぉ~。なにやってんだ、俺、ゴーゴー・・・・。明日帰るんだろ、オメエ、あっ、おれ・・・。・・・・チカチカするものが好き。
二〇〇七年夏
メキシコ行き失敗
メキシコ行き失2敗
サンフランシス1コ
サンフランシスコ2
サンフランシスコ3
サンフランシスコ4
サンフランシスコ→成田→バンコク
矯正博物館
バンコク原点序章1
バンコク原点序章2
歓楽街にて コンドムレストラン
クルンテープにて
1985年のロンリープラネット
1987年バンコクから南下