部屋の中は静寂だ。
普段なら。しかし、まだ一般世間に公開されていないことではあるが、我が家の冷蔵庫が最近唸っているのである。あえて言えば轟音をたてつつある状況にあるのである。冷蔵庫の寿命は知らないが、恐らく7年目に突入していると考えられる。
電子レンジもある。しかし、長らく使っていない状態で、ここ5年ではポップコーンぐらいしか使ったことがないような気がする。何となく、チンするという言葉が嫌いという特殊事情もあるのだが、それ以上に、小学校の頃から思っていたことなのだが、電子レンジすると、何だか、食べ物が不味くなるのである。これなら、冷たいのを食べた方がいいや、という気になってくる。私の味覚的特殊事情によると、元々、冷たいものが好きなので、特に問題はないのでる。特に、米に対しては、あつあつのご飯より、冷や飯の方が好きなのデある。しかし、冷たい食べ物は、体内で温めなければならないので、エナジーがいると想像されるのである。だからどうだ、だからどうもせん、という感じではアル。
食器洗い乾燥機は今はもう持っていない(ということは、かつて持っていたということである)。食器洗い乾燥機のスバらしい所は、洗ったあと、そのまま、食品庫になるという、収納としての役割である。次に使う時まで、入れておくことができるという家事の軽減に繋がるという特殊事情があるのである。現在の生活においては、洗い物を週に1回か2週間に1回しかしないので、洗剤がなくならないという特殊事情がある。ここ数年、買った覚えがないという驚愕の事実に、何と答えるか。しかし、当然ながら、食器を洗った後は、自然乾燥である。何故なら、布巾が汚い(見た目だけでなく、細菌がこびりついている)ということだけでなく、布巾自身を所有していないという特殊事情がある。勿論、タオル、雑巾、テッシュ、トイレットペーパー、キッチンペーパー、コーヒーフィルターペーパーは持っている。
しかし、いくらなんでも、水は必要であり、近年、水事情は悪いので、浄水器は駆使している。ペットボトルよりは長期的に見て安くなると言う特殊事情はあるとしても、ペットボトルの賞味期限はかなり長いということは、やはり防腐剤が入っているのであろう。防腐剤が悪いとは言わないが、昔、登山をして清水がむちゃくちゃ旨くて、ポリタンクに入れて持って帰ってきたが、すぐに、腐ってしまったという教訓から得た生活の知恵でもアル(知恵なんかじゃないな、経験か)
ところで、パン焼き機については、昔、持っていたが、これが、なかなか素朴な味と風合いに出来て、スバらしいもので、このままでは、私の心の中でではあるが、パン屋になれるのではという噂まで、なっていたのであるが、マフィンなどは、砂糖大匙4杯、バター半分とかいう分量に、こういうのは食べるべきではないと学んだのも事実である。以来、あの量を考えると、マフィンはおろか、ケーキも食べないのである。(というより、ケーキは昔から滅多に食べないのである。理由は甘いからである)
パンついでにいうならば、トースターは持っていないのである。確かに、子供の頃は、焼けると、ポンとはじき出されるトースターにレトロ感を感じることもなく、食べていたのであるが、その後、多くがオーブントースター型に代わってしまい、餅なども焼けるようにはなったのであるが、どこか、物悲しく無機質になってしまったのである。そんな経済的事情もあって、今は、パンを焼く機械を持っていない。持っていないので、もっぱら、パンを焼く時は、ナベで焼いているのである。
残念ながら、炊飯器も持っていないのである。ガス炊飯器でこだわるような男ではないのである。また、いつも暖かいご飯にこだわる男でもないのである。そんな訳で、炊飯器は必要なく、今のところ、ご飯を炊く必要に駆られた場合は、もっぱらナベで炊いているのである。但し、飯盒は持っていないのである。飯盒を外でも見かけなくなって久しいのである。外でキャンプの時も、ご飯は今や、もっぱらナベで炊くのである。
いまのところ、ディスポーザーも装備していないのである。何故なら、私が、魚の骨や、貝や蟹の殻をもバリバリ食べてしまうからといった栄養学的意味からではなく、おそらく、経済的理由からと推測される。
ポットは、昔、洋室に常備していたが、今は、何故だか、部屋が狭くなったので、その必要もなく、どういうわけだかポット自体もなくなっているのである。
今のところ、どちらかというと政治的問題なのが、台所家電製品ではないのだが、水屋カップボードがないので、フライパンやケトルを床に置いていることぐらいである。
しかし、今のところ、正直、不便を感じている訳ではない。