この前微笑ましいエピソードを読んだ。
あるホスピスの医者の手記なのだが、もう遂に死期が間際に切迫したので、家族全員を呼び寄せた。そのとき、家族の中で一人孫が、拘置所に入っており、裁判所に何か手続きをして、警察官2名とともに病院に来ることが出来るようになった。しかし、なかなか、来ない。普通ならもう死んでもいいのに、無理やり、昇圧剤やステロイドを投与し、「死ぬんじゃない、もう少し生きていてくれ」と医者は願いながら、延命措置を図った。やっと、孫が到着して間に合った。暫くすると、5時になり、警察官がもう戻る時間だと言った。医者は「もう5分待って」「もう10分だけ待って」と警察にお願いし、警察も、時間を見てみぬフリをして待ってくれた。しかし、今度はなかなか亡くならない。医者は死に目に合わせてあげたいので、「もう彼は行く、早く死んでくれ、もう死んでくれ」と心の中で願ったそうである。正直である。ジレンマである。でも人間らしくもある。
全然、関係ないのだが、高校の友達Sであるが、彼は日本でも2校しかないという水産学部に所属し、その学科は気仙沼にあった。彼の自慢は東京から一番時間のかかる大学ということであった。飛行場からも駅からもかなり遠いのである。学校に行く時は、いつも誰かがクラクションを鳴らして乗せてくれるという。そんな訳で、何度も行くわ、といいながら、一度も行かずに学生時代は終わってしまったが、未だに一度も行っていない。しかし、
牡蠣はまた食いにいこうと考える所存であり、鬼畜パパのインタビューも待っているのか。
まだまだ続く予定が、肩がこったので終わり(というかずっと肩が凝っている)
昔、ニューヨークに行った時、単体の子供を見なかった。子供用公園は柵の中にあった。子供たちだけで、外でバカみたいに遊んでいる状態を何となく見ないし、見える形でのガキ大将やいじめている姿が見えない。
珍しいことだが、今日も、下着のシャツとパンツを裏向きにはいていた。とめどない人生である。