今まで隠してきた訳ではないのだが、いや、沈黙を守ってきたわけでもあるのだが、私の所属する会社の部長は近所の駅に住んでおり、一度として、しかしながら、電車で通勤で出会ったことはないのであるが、フト、自分の家の近くの梅林の話をしていたので、自動的に私の家からもすぐということで、とにかく、特に、感慨深くもなく、仕事帰りに寄ってみることにしたのであった。
初めて、一眼レフカメラを買った20年前、とにかく、何か撮ってみようと、老人張りに考えたのが、裏庭で梅を撮影してみると、まさに、素人展覧会に出す陳腐な写真が出来上がってきたことを思いつつ、接写してみる。
梅の季節、桜に比較してマイナー感は拭えず、レジャーシートに日本酒に酔っ払い構造はなく、何となく、しかしかながら、花見の人々も結構、多いのには、少しびびったのであった。少なくとも、キショイ蝋人形館よりはヒトが多かったといえよう。
梅というのは、良く分からないが、素人なので、さっぱりそのよさがあまり分からないが、梅といえば、日本の5割以上に和歌山県にあることは、ご存知か。私は、ご存知であるが、それ以上詳しくは知らない。それに全国天満宮には、梅があることは、ご存知か。私は、ご存知であるが、それ以上詳しくは知らない。
ことわざもあるのをご存知か、桃栗3年柿8年、柚子のバカヤロウ18年、梅スイスイ16年という奴である。考えれば、ことわざも何も、実がなるまでの単なる年数ではないだろうか。こりゃスイスイ。
ところで、六甲山系は、名物鬼畜イノシシがいる。時々、私もウリボウを捕まえてしし鍋にするのだが、六甲猪はとにかくフテブテシイとしかいいようがないんどえある。
まあ、そんなことも無視して、山頂にある神社にも行ってみたが、疲れたといえる。
テレビがおとつい壊れたのではあったが、「100万回のコンチショー、アチョー」といって、斜め45度にテレビを空手チョップすると、直った。やはり機械モノは気合で直すとう伝説もあながち嘘ではない。でもまた暫くしたら映らなくなるかも知れない。
そのテレビが映った瞬間に、放映していたテレビが「探偵ナイトスクープ」だったのであるが、探偵を依頼した老人の顔がどこかで見たことのある顔であった。
芸術家であり、名前も子供の頃に聞いたことのあるような気がした。
あ、あのじいさん・・・子供の頃、家の近くの公園で、昼間から、ハトにエサやっていたプラプラ髭じいさんちゃうんけ???似てる・・・。
子供心に、平日の昼間から、のんびりと、公園ベンチにすわり、プラプラしている暢気そうなおじさん。咄嗟に子供心に、羨ましいと思った。当時は、資産家とか、貧富の差とか、職業の差とか知らず、誰もが父と同じように、どこかの会社に勤めているものだと思っていたのに、なんだ、この人は、と思ったのであった。
風体も、赤い毛糸の帽子をかぶり、髭を生やしている。そんな会社員は、郊外の新興住宅地にはその人以外に誰もいなかった違和感が、何となく魅力的なのであった。
ある日、子供の私は子供心に、母親に、あれは何者か問いただしたのであった。ああ、あの人はねえ、有名な画家さんなんだよ。といわれ、私は、子供心に、儲かるとかいうのは、分からなかったが、画家というのは、プラプラ世の中浮世してるものなんだなあ、という構図がインプットされたのであった。
我々が、子供心に、公園で泥だらけになってドッジボールをしたり、ブランコ飛び降りしたり、サボテンしたり、ケイドロしている間にも、その画家の人は、ベンチに座って、一日、ボーっとしていた光景を思い出す。
そんな、訳で、夜の11時半というのに、正月以来初めて、母親に電話し「オイ、オカン、今、テレビに出てるヒト、うちの近所のヒトけ?」と確認した。母親は、毎朝5時に登山しているので、もう寝ていたのであるが、たたき起こすと、父親もちょうど、同じテレビをみており、「ああ、あんた、いっつも公園でハトにエサやってたヒトやんか、覚えてないの?」と言われた。
画家=ぷらぷらしてるヒト、そうなのか、千代○さん?