日本海に面する柏崎市のかつての二大観光スポットといえば、鳴り物入りで開催され、コンセプトのなさと、お決まりの役所の杜撰な経営状態により、廃業に追い込まれたロシア村とトルコ村である。ああ、行きたかったなあ。
私は、予想外に時間を要すると容易に想像できるスポットを涙を飲んで割愛し、昼食するために、フォッサマグナに別れを告げ、柏崎フッシャーケープに行ったのであった。
昼ごはんは
ズバリここだったのであるが、ズバリ、なくなっていたんであった。
しかたなく、痴娯の家にいく。個人が60年の歳月をかけて、集め集めまくった5万点ということである。おまけに、大盛況だったのか
名前に惹かれて入ったものの、まあ、内容は、まあ、へえ、という感じではあった。
こけしは好きだろうか。私は、そうでもないが、なぜか、こけしは淫靡な部類に属する。ここで淫靡な話に移行し様とは思ったのであるが、値が真面目なので、つぶれていた鮨屋の話をしようではないか。
ナオミルーズ、渋沢栄一氏より。
というか、昔からの風説で、よくかんで食べましょうというのがあるのではないですか!本当なのか、私には子供の頃から理解ができなかった。何せ、私は子供だったのだから。
はれて大人になった私は思うのである。何回噛もうと、俺の買ってじゃい。飲み込むかいな。硬いものは、柔らかくなるまで咬む!豆腐は、ほとんど噛まない!だいたい咬む階数を数えるものか、数えてたら不味くなるような気がするじゃないか。お、正論である。
というか、昔からの風説で、腹八分目で抑えましょうというのがあるのではないですか!本当なのか、私には子供の頃から理解ができなかった。何せ、私は子供だったのだから。
はれて大人になった私は思うのである。腹八分目で我慢すれば、精神衛生上良くないではないか。腹いっぱい喰えてこそ満足なのである。勿論、喰いすぎは体に悪かろうし、苦しい。でも、満足してこその栄養である。一口皿に残れば、無理してでも食べるし、食べたぞとう満足感があるのである。お、正論である。
はれて大人になった私は思うのである。朝飯を食うことは、精神衛生上良くないではないか。朝起きた瞬間は気分が悪いし、腹も減ってないのである。いきなり食べられるものといえば、焼き飯くらいなものである。だいたい、朝飯食ってたら、遅刻するんどえある。勿論、1時間もすれば、次第に腹が減ってくる。じゃあ、一時間前に起きろといわれても、睡眠時間を削ってまで朝食の時間を割くほど優雅にはできていないのである。お、正論である。
まあ、そんなこといいながら、童心に還ろうかと思ったが、ソリー、ウィアークローズド。
まあ、そんなトンチン館なこといわず、次、次に進め、俺!
2008年新潟旅行
上越市へ
柏崎・痴娪の家
柏崎フィッシャーマンズ
出雲崎石油記念館
出雲崎石油記念館2
長岡市ミイラ