愚問ではある。死刑囚にしか現実味のない話である。それでも考えてみることは、悪くない。何が悪くないかと言われると、大変、困るのであるが、不問とする。
私は、大富豪にも関わらず、まあまあ、味音痴の部類に属する人種である。最期に家庭料理というのも、思いつかない。何せ、私の母は、料理が案外うまくないのをごまかすためか、私に性格が似て、適当なのか(もしかすると、私が性格が似たのかも知れない)、食べ物は栄養である主義者であって、それも何の根拠もあまりないことを勝手に自己流栄養学にしているから困るのである。
例えば、実家では、味噌汁といえば、汁が見えないのである。ほとんど具なのである。母親の料理学は、唯一の法則として、30種類食べるということだけであって、その30種の内容が、ない、のである。私が家でソーセージや、肉を食べなかった理由も分かった。
今問題になっているような産地や添加物には無頓着だったのである、というか、まあ、昔の人は無トン着だったかも知れない。とにかく、ラーメンもうどんもソバもインスタントラーメンしか作らないのであるが、これまた野菜の具で汁が見えないのである。唯一、かろうじてソウメンだけは、汁が見えた。氷もよく見えた。卵やハムを切ったものも、汁には入っていた。
ラーメンは、中学生のとき、初めて手打ちラーメンを外で食べたが、インスタントラーメンになれた私は、それを、結構不味いと感じた。というか、味がないと感じた。そういう理由とか年代もあって、家では、パスタというもの、いや、スパゲティが存在しなかった。何となく、中学校のとき、ドライブインで食べたありきたりのミートソースのスパゲティの旨さが忘れられないほどである。
そして、核家族の中で育ったためか、今も、当時の家庭内でも、鍋とか、水焚きとかすき焼きとかが嫌であった。面倒だからである。初めから自分の皿に食べるものが乗っているスタイルでないと、面倒なほどわがままな子供で育ってきてしまったのである。
中国みたいに、大皿にドーンと乗っていて、食べたいものだけ、取っていくんが面倒なのである。そういえば幼かった頃は、はやく、自分のを採らないとなくなってしまうよ私ら子供の時は争奪戦よ、と親に言われながら育ったような気もする。
本題から、やたら逸れた感を感じる方もおられるだろうが、それは正しく私もそう感じつつ、結論的には、最期に食べたいのは焼き飯かカオパかナシゴレンかチャーハンである。
しかし、そう考えながらも、もうひとつの疑惑が浮かんできた。
それは、海外に居ても、ちっとも、日本食が恋しくならない私ではあるが、あの夏は違った。あの、インドの沙漠の中で、毎日3食ダルバートに井戸の水を持ち歩いているだけの濁った水。3食といいつつも、食欲はなく、体温以上というか、50度を超えると、汗は出ないし、肌を出すわけにも行かない。日の出までの早朝と夕刻以外のラクダの移動はなく、木陰でさえも、腹も壊したまま、倒れているだけ。
そんなとき、食欲はないというのに、日本食を思い浮かべると、正直にいおう、よだれが出たのだ。
そのとき思い出したのは、吉野家の朝の納豆定食他ならない。ほかほかごはんに、卵をとぎ、ねぎと納豆を刻んだ海苔をかき混ぜて、ご飯とムチャクチャにしてえ~、というぐらいエロチクに混ぜまくる。ご飯一粒一粒がネバネーバになり、薄黄色く、いわば黄金に輝くのである。
そうだ、死ぬ直前は、生卵納豆ごはんもいいかも知れない。最高だぜ!今夜は最高、ベイベーイエイ。