3時25分早朝、悪名高きカイロ空港は、20年前の噂に聞いたまま、同じ空港であった。その噂とは、イミグレーションでスタンプを押してもらう前から、旅行代理店と称する男たちがすでに、いるのである。そんな経験はなく、これが、噂の空港かと、その人たちをみて20年前の記憶が思い出された。
あの時、カイロの対岸の国、ギリシャで、エジプトに行くことを断念した記憶も思い出されたのであった。あの時は、とにかく入国するのに、200ドルの強制両替があり、その金額を払ってしまうと、日本に帰るだけの飛行機代がないという事態を迎えつつあった。私の持ち金はあの時、あと7万円程であり、格安航空券のあったギリシャで日本まで5万数千円のチケットを買うと、えらい目にあうのは目に見えていたし、当時はカードも持っていなかったのだ。7万円から5万数千円を引いた1万数千円でストップオーバーでパキスタンのカラチ、バンコク、マニラと成田に着くまで2週間かけて帰ったのであった。そういえば、あの時、成田からまた東京の友達と会い、金を借りて、群馬県へと行き、自宅に帰るまで、さらに1週間を要したのであった。
そんな思い出話に涙しながら、空港でビザを取得できるのだが、両替所で証紙を買うことが分かり、イミグレ前に両替し、その際に、証紙代金を差っぴいてもらったのであった。
スタンプは、ほんの5秒ぐらいで押され、昨年のグアテマラの3秒に続く早さでの入国であった。
外に出ると、中で特別に入ることを許された自称旅行代理店の人の100倍近くの自称履行代理店の人々や迎えの人々やタクシー客引きの人々や、ただ佇む人々で、いくら振り切っても振り切っても、いくらでも私のようなエグゼクティブ然としたカモに合わせて、早朝3時台という公共機関の一切ない時間帯のカモに、皆さん目が血走っており、物価の程度や貨幣の大きさが良くわかっていないカモに対し容赦なく襲い掛かり、私は、市内までの運賃を客引きの中からセリにかけるしかないのであった。
よくわからないが、タクシーに乗ると、客引きが金をくれといい、タクシーのあんちゃんに、こいつにやって君にあげなくていいのか、と尋ねると、それでよいとのことであった。
道は、相変わらず、そう良くはないのだが、早朝で空いているので30分程度で市内に入り、ナイル川としか思えない川を渡り、これが世界のナイル川なのかと感慨深く思っているうちに、5回ぐらいタクシーあんちゃんは道を尋ね、ナイル川の中洲にあるホテル前にとまり、バクシーシを要求(バクシーシといった)してきたので、チップ50円ぐらい渡そうとしたら、小さい金がなく、びびるぐらいの大金を渡してしまったのであった。
さすがに、朝の4時台で、このホテルのチェックインの2時まで随分間があり、もう一泊分払うかそうか、フロントで決断を迫られるが、荷物を預かってもらうことし、ロビーの片隅に隠れ、軽装の服に草履に着替えたのであった。
アフリカといっても、アラブ人の国であり、中東と変わりなく、実感もないまま、汗を吹く出しながら、何かおと、朝の5時からぶらぶら散歩しているようなじいさんや若者に声をかけられながら、何となく、ナイル川を見ている。早朝なのに、川沿いの夕涼みならぬ朝涼みしている老人ややんキー集団やカップルが多い。
高低差のない淀みの中で、そうだ、1日限定先着順100名までピラミッドの中に入ろう、今から行って切符売り場に並ぼう、そう思った。
(続く、ではなく
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