飛行機ファンではないですが、機内では、仕方なく、仕方のない映画を見ることが多々あります。そんな訳で、「花より男子」だっけ、団子だっけ、漫画を映画化したアリエネー、映画を見てしまった私は、一人突っ込みを入れながら、気がつくと、一人、俺様は、ワシントンDCから南米に行けず、またかよー、のオランダに行く羽目と相成るのでありました。
それも、同じ席で行ける幸福、の筈は別にありません。
その後、自家用ジェットKLMオランダ航空で、コックピットゴッコをした後は、エコニミー席が数席あるだけの後ろがチョン切れたまま、俺様は出発するような感じなのでした。
とか、何とか言いながらも、俺様のメカニックの不備により、代わりに、チロリアン航空で、俺様の文化度に相応しいウィーンに飛ぶのです。
といっても、チロリアン航空は、既に数年前にオーストリア航空に買収されてしまいまして、もう、その名をコードシェア名としてしか残してはいないのですが、機内は、チロリアン地方の可愛げな色で笑えるのでありました。俺様としては、やっぱり、シートベルトが赤というのがお気に召したようでありました。
90分の飛行時間では、俺様的にはすぐに感じました。
客室乗務員の方も、撮るのは失礼だと思いながらも、カラフルな制服に魅了された俺様でした。
写真はありませんが、オーストリア航空職員の制服は、服からネックチーフから靴からストッキングからすべて赤で、俺様としては、目が痛いぐらいに楽しいです。
俺様の場合、その後、順調に、またチロリアン航空を乗り継いで、ハンガリーの首都、ブダペストに入ったのであります。
50席程度の飛行機に15人しか乗ってませんでした。
40分の飛行時間では、俺様的にはすぐに感じました。
その後、俺様的には、ポーランドのクラクフに飛び、アウシュビッツで正月を迎え、ワルシャワに飛んでから、帰国するという壮大な計画があったのですが、31日、1日は、飛行機が飛んでいないことが判明したために、ブダペストで、スタックし、そのまま、ドイツへと飛ぶのにのココロでした。
100分の飛行時間では、俺様的にはすぐに感じました。
俺様としては、もうこの1年で、さして見るところもないフランクフルトに3回も着てしまっているのですが、経由しるからして仕方なく、通るのですよ。仕方ないなんて、贅沢だといわれると、俺様としてもそう思うのでありまする。
俺様としては、このままインドに行ってしまいたいところだったのですが、ビザを取得していないし、第一、日本に残してきた、親や親戚一同に挨拶する日を設けて置かないと、すぐに会社員としての会社が始まるので、帰るしかないということが判明したのでした。
といっても、明日以降は、もう満席で、帰ること自体ができないので、俺様としては、他の乗客を降ろしてまで、乗ることはできない親切さでございます。しかし、今日は、席は十分にガラガラなのでした。
そんな訳で、俺様としてはチョッピリ中途半端に帰ってくるのでありました。放浪先生に1週間で、前回の6カ国を越え、7カ国ということを達成できず、今回も6カ国で終わってしまったのでした。俺様、すみません。それに、言い訳を致しますと、-7度とか、マイナス5度とか、寒くて、冬にヨオロッパに行くもんじゃネーヨなんて教訓も得た今回の旅行の感想です(終)。
2009年正月旅行
出国→アムステルダム→ウィーン
アムステルダム、駅周辺
アムステルダム、拷問博物館
アムステルダム、セクスミュージアム再訪
アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪
アムステルダム、マダムタッソー1
アムステルダム、マダムタッソー2
アムステルダム、マダムタッソー3
アムステルダム、ダンジョン
アムステルダム、ダムラック
オランダ教育事情
オランダ性教育事情
ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ
ウィーン、犯罪博物館
ウィーン、拷問博物館
ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館)
ウィーン、ハプスブルグ家
ウィーン、彫刻の町
ウィーン、彫刻の町
信号
スロヴァキアの歴史
ブダペスト、ブラチスラヴァへ
ブラチスラヴァ、なんだこれは。
オーストリア→ハンガリー→ドイツ
ブダペストの黄昏
ブダペスト朝マイナス5度
ブダペスト朝マイナス7度
ブダペスト昼マイナス5度
ブダペスト、温泉紀行マイナス5度
ブダペストのラビリンス
ブダペスト、ドール博物館
ブダペスト、地下鉄
ブダペスト、パール街の少年たち
ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ
ブダペスト、正月
フランクフルト、飛行機待ち
フランクフルト、正月宴のあと
フランクフルトから帰国
欧州gourmetの旅