遂に第3夜目までオートマチカリーに引っ張ってしまった3夜目であるが、いかに、私の日常が平々凡々としていることの証左である。全くの笑止である。
昨日までの壮大な物語を簡潔にマトメテ、その粗筋を述べておくと、家の玄関に体当たりしてきた人がいたということなのである。
扉を開けてびびったことは3度しかなく、それは、NHK集金でも、子連れのエホバでもない。残念ながら、まだそのどちらにも、遭遇したことはないのである。道端で宗教の勧誘を受けて、逆に、その浅はかな知識で、コテンパンに論破して泣かせてしまったことはあるのだが。3度のうち2回は、放浪さんのよう自宅のがさ入れではなく、ホテルのがさ入れであった。勿論、それは、タイとインドでであるが、勿論、それは、小遣い稼ぎ賄賂せびりポリ公であり、純粋潔癖でしかない私は、まずは、トイレに駆け込んだことはいうまでもない。その先は、省略するが、ポリは、寂しそうに退散したことだけは確かである。
あとの1回はフィリピンのバンガローであり、開けると、オカマが自分のナニをピストン運動させてたってことぐらいか。
今回は、ドアを開けると、老人が「あのお、すんまへんな、私の家はどこでしょう」というのであった。
八方美人な私は、懇切丁寧に、やり取りしたのであるが、やはり、まったく拉致があがらず、「ここには住んでいない」「家に連れて行ってください」「家は榛原です、この近くです」「一人暮らしで子供たち夫婦は違うところに住んでいます」を繰り返すのであった。
榛原か・・・昔、会社の人が、何とか一戸建てを買いたいと、大阪から2時間かかる兵庫県丹波笹山か、奈良県榛原で迷いに迷って、榛原で一戸建てを買った。榛原から、まだ原付に乗るのだから、通勤圏限界地というか、東京で言えば、山梨の富士山の麓とか、霞ヶ浦から通勤するようなものかもしれない。私だけでなく、多くの会社の人が、毎日毎日人生の貴重な時間を通勤に使う無駄を哀れんだであろうが、本人は、そうでもないようで、まあ、人生いろいろ、人生それぞれで、哀れむのも、2,3秒で終了であった。
しかし、この老人は、2,3秒ではノックアウトは、無理であるということが徐々に判明し、かろうじて分かった名前だけは埒が明かないことに気がついた聡明な私は、駅まで連れて行き、そこから110番したのであった。その電話している間にも、店に入っていったり、結構徘徊するのである。俳諧老人ではなかったのである。「ここどこですか」を30秒ごとに私に質問し、「そしたら私行きますわ」と60秒ごとにいい、「ああ、もうちょっとしたら迎えに来てくれるんですかどうも」を129秒ごとにいうのであった。
やがて、警察官2人がやってきた。ひとりは、20代前半だ。私の名前や連絡先を聞いてきた。私は、今まで、一度も先生以外の公務員になろうと思ったことはない。特に警察になる奴の気がしれないと若い頃は思っていた。今は、そう思ってはいないが、やはり警察が来ると身構えるし、緊張の戦慄が走るし、どこか卑屈になり、コソコソしてしまうのである。しかし、この警官がメモに書く文字が子供文字だったので、妙に微笑ましく、子供を扱うように、優しく包み込むような優しさで私は接したのであった。温かい目で警官に漢字を教えてあげる親切極まりない私であった。
年上のほうの警官が、ああ、認知症の人ですね、といい、認知症でも一人暮らしするんだなあ、と思い、危なっかしい生活だなあ、と思うのであった。私とて、それそろ、結婚式より葬式が多くなってくる世代というか、今は、どちらもない世代であろうか。
まあ、そんな訳で、その人を引き渡した後、2時間後ぐらいに家族の方がお礼をいいにきた。そうか、あの老人の中には、もう家族と住んでいても、家族はいないのか、そう思ったのであった。
もう続きはないよ、まっすぐな道で寂しいから。