先日の日記で、建築家のG8さんがアンドータダオオは花粉症ですか、という鋭い質問に、真摯に考察してみることにしたのである。何せ、今月は、副業が忙しく、土日も休んでいないのである。それであるからにして、珍スポ巡りをしておらず、読者の皆様も、せいせいしているに違いないと想像されるのである。
其の前に気にかかることがあるのだが、実は、朝の私というのは、毎日、修羅場であり、1分の猶予もないぐらいで、映りの悪いテレビをつけて時刻をチラ見するのだが、卒業時のサイン帳特集をしていた。6,7年前から、サイン帳の自由に書ける空白のところがほとんどなくなっているというのだ。町の中で、高校生に、一昔のサイン帳(裏面が真っ白)を書いてもらうと、ほとんどが、裏面のスペースの大きさにびびり、こんなたくさん、書くこと何もないよ~、とお手上げ状態だったのである。作為的かも知れないが、売られているサイン帳は、氏名や血液型や質問にどんどん答えていくスペースがほとんど、という状態を見ると、あながち嘘ではないのであろう。将来が心配になるのである。もう、ワシも、憂国の士に成り下がったか。
確かに、私が小中学校の頃のサイン帳といえば、両面とも白紙であり、皆、好きなことを書いていたし、質問も自分で考えて自分で答えたり、アイドルや映画俳優の雑誌の切り抜きを貼ったり、色を塗ったり、自由に書く殴ったものであった。将来高く売れるサインとか書いていて、サインしているような死んで欲しいような奴もいたが、まあ、それは、若気の至りちゅうことで、勘弁してあげよう。
ちなみに、7,8年前に中学校のクラス同窓会に行ったが、私は普通のサラリーマンであるというのに、相当浮いているような気がしたのは、心なしか気のせいであるように思われる。
勿論、私自身は、一貫して、サイン帳を回すことはなかった。積極的に書いて回ったが、気恥ずかしくて、嫌だったのである。仕舞には、大学には、卒業写真に写るのも拒否したので、もしかして、不良少年のように画面の左上に別枠で貼られていたりして・・・・って、卒業写真も買っていないし、見ていないので分からないけれどもな。但し、私も、昔は良かったというのは、死ぬまでいいたくないので、俺の場合はこうだったってことである。まあ、戯言よ、すみません。
ところで、本題に入るか躊躇しているのだが、セカイのアンドー、しょっているのは、建築思想はおいといて、其のやり方は、コンクリート打ちっぱなしの一本だけ勝負でここまでやってきた。スゲエ。何がすごいって、打ちっ放しって言い方だよ、何だか、捨てっぱなし、やりっぱなし、しっぱなし、といった、酷いというか、ほったらかしというか、投げやりな言い方であり、少し舌足らずの私なんか、コンクリートウチッパシ、と言ってしまうほどだ。最後まで、見届けるともりなんかネーヨ、って感じが寂しいのだが、たくましく育てよ、という力強さも少し含む侮蔑的遠くで見守っているからねチョトダケという感じである。
ウチパシはフランス人か何だか野ペレ(弟子はコルビジェ)からはじまり、日本にすっと住んでいたレーモンドに引き継がれ、それ以来、まあ、なんていうか、日本の伝統芸的建築になっているって感じなのだ。其の系譜は、レーーモンド(ライトの弟子)のうちっぱしは、丹下から前川、黒川、磯崎、谷口が輩出され、そして、弟子ではないが、安藤と引き継がれている。
安藤伝説には、今でも電話1本しか事務所に無いとか、弟子をただでこき使うとか、ボクサーしていたがファイテイング原田を見て諦めたとかあるが、花粉症伝説は、今のところ、私が読んだ本では、まだ、ない。しかし、ホント、建築家って饒舌だねえ~。