いっちょ、教祖を始めようとしたら、どうすればいいのか、と考えてみると。まずは、準備が必要だ。参考になるなあと、昨日の日記を書きながら思ったわけであるが、それがエコのマッチポンプ方式である。
脅すのである。エコしないと渡したとの子供たちの未来が危ない!エコしないと、非国民だぞ!エコしないと地獄に行くぞ!エコしないと水没するぞ!エコしないと税金が上がるぞ!エコしないと結婚できないぞ!エコしないと就職できないぞ!エコしないと環境省の省益が確保できないぞ!などといって脅すのである。とにかく、困った状態に陥れるのである。この前まで、誰がエコで困っていた?誰が温暖化で困っていた?誰がエコしなかったために損害を被ってた?誰が温暖化対策しなかったために損害を被っていた?エコなんか考えなくても、金がなければ、或いは意識が高ければ、或いは低くても、もったいない意識があったはずである。意味の無い贅沢なんか誰もしないのである。無駄な出費などしたくなかったのである。
宗教も同じである。今更宗教はじめるなんてなあ~、みんなそれなりに普通に幸せか、それに順ずるだろ~っていう人までも巻き込むには、困った状況を生み出す必要があるのだ。
教義をどうするのだ!そりゃ簡単だよ。既存宗教のアレンジで終わり。キリスト教も、イスラム教も、焼き直し部分がいっぱいあるし、新興宗教のほとんどが、日本の場合、キリスト教か仏教のアレンジでしょ。そもそも、イエスキリストは、ユダヤ教徒の一派であり、ユダヤ教改革派ってことだよね。それも分からないような私のような奴は、まずは、どっか、大手宗教団体に入門し、勉強し、いい所どりするだけである。何せ、時代は進み、常識は変わってくる。例えば、男女平等なんか、昔の宗教では今からみたら随分男尊女卑かなあと思う部分はある、キリスト教も仏教も。その時代にマッチした部分をひっさげて教団から出るのだ、今なら、エコ部分やコンピューター部分や、そういう昔の概念になかったところを引っさげるといいんじゃないか?どんな宗教も団体を作れば分裂する。大きくなればなるほど分裂するのが使命だ。仏教もブッダが死んですぐ、キリスト教も100年もたないまま分裂。それは、宗教の信仰というものが、そもそも個人的なものだから仕方ないわけ。だから、自分が教祖になったら、自分が安泰なうちは、なんとか維持してくれよ、と祈るってことよ。
宗教ってなんだ、何だか分からないが、意味なく、こういうことで、学生時代は無駄な時間を費やしつつ、酒を飲みながら、いちびって、議論してツバとばしただけであるが、結局、我々凡人に難しいことはダメなんだよね。馬鹿だから、小泉首相じゃないけど、ワンフレーズがいいわけだよね、ってことで、私は、随分叩かれたが、社会学者大塚久雄がいっていた、宗教は救いを差し伸べる思想!以上!ってのがぴったりきた。
大宗教者だって、結局はさ、波阿弥陀仏だけでOKよ、何妙法蓮華今日だけでOKよ!って無茶単純なことを言っているわけよ。もうさ、大日如来にいたっては、何も言わんのよ、ポワーンよ。ちょっとだけ、何かボソボソいってさ、あとは、賛同者の饒舌なインテリに任せるわよ、それがいいよ。仏典も、聖書も本人が書いたのではないじゃん。パウロじゃペテロじゃ達磨じゃに任せるこっちゃ。
まあ、最初はカルトじゃ、時々、カルト事件が起こって思うことは、ああ、昔はキリストも、ブッダも、モハメットもカルトから出発したんだよなあ。よく生き抜いたなあってことだよねえ。カルトは怖いねえ。カルトの宿命は反社会性だからねえ。モハメッドの最初の弟子は、妻で、バケモノに縛られたよおというたわごとを妻は信じ、本人の意思とは別に、最初の信者を獲得してしまったのであるし、キリストは、生まれた地では、なんだ、この大工のどら息子ニート野郎がなにいってんだ、といって話にはならなかったので逃げ出して、知らない土地で、そして困った弱者(貧乏漁師とか差別されている娼婦)を味方にしていったわけだし、ブッダになってからの最初の説法には、そらもうありえないけど、人間は集まらず、鹿が集まったということじゃん。
まあ、そうだなあ、やっぱ現世利益だなあ。実は来世利益といっても、来世のために、現世で頑張るってことが、現世でのすくいになっているから結局現世利益なんだよねえ。宗教ってさ。南無阿弥陀仏何妙法蓮華異郷唱えるだけで天国行き!アッラーのほかに神はなし!それで救われてハッピーだわ!
ところで、最初に戻るが、不安をあおりまくって、マッチポンプでなあかん!救済だ!救いを差し伸べる思想だ!ね、このボクちゃんの宗教を信じているから救われているんだよね、って方向に持って行くのみぞ。拉致監禁洗脳のほかにいろいろあるだろうが、もう眠くなってきたからよ、今日はここで終わり。じゃね。