とワインは血だ、なんてことは言わないよ。寿司屋でワインを飲むような下種なことはしないよ。
本日のおススメは注文しません。開祖はちょっと疑い深い部分があって、わざわざおススメするのは、食材が余ったか、市場でバーゲンで買ってきたものだと思ってしまうからです。同時に、このお店でおススメは?何て質問はしません。してしまうと、売りたいものを勧められると邪推してしまうからです。開祖、人を疑うなかれ、か?
今日は、こういったものを食べました、が、美味しかったと持ち上げるかと言うと、開祖、結構、昼間にジャガリコとか、ガリガリ君をついつい食べてしまったので、そんなにお腹が減っていた訳ではなかったので、普通でした。体調を無視してまで、持ち上げることにできないのです。その辺、プロのフードライターとは違うところです。
今晩は、そばを食べました。まあまあ美味しかったけど、昼間もそばだったので、美味しさは普通になりました。体調や飽きによります。
学生の頃、フィリピンのマニラの貧民街でぶらぶらしていることもありました。本当に貧乏で、そのおばさんは、自分の子供かどうか知らないんだけど、(栄養状態が悪いからか極端におばちゃんに見えていたと今となっては思うのですが)2人の子供を育ててました。その子供たちは、もう生きているだけなんです。目が死んでいて、ご飯を出すと、まるで、それは、餌なんです。ご飯、って、御飯なんです。米に、味をつけるために、おばさんが、御飯に塩をパッパっと振り掛けるだけなんです。勿論、塩もサリサリストアで買ってきたもので、さじ1杯分ぐらいをビニル袋に小分けしたもので、一瞬、1パケいくらだ、といいそうなヤバイものに見えそうなものなんです。サリサリストアでは大きな塩の袋から、小分けして売っているんです。その塩味しかしない米を手で、子供たちは食べるのです。生きているだけで、将来が絶望としか思えない光景だったのです。せめて教育を、学校に行かせないと将来がないと、おばちゃんに言い、私は金を握らせるのですが、多分、それは、御飯代になったと思います。それと、私は、ファストフードでスパゲティボンゴレを買ってきて、眠っている、たいていの時間は子供たちは生気なく寝ているのですが、彼らの前に置きました。香ばしいスパゲッテイの臭いに気がついた子供たちは、目を開けました。ありがとうも、何もなく、目の前に置かれたプラスチックに入ったスパゲッテイを手で食べて、最後はプラスチックを舐めていました。犬に餌をやった気分が私の心一面強烈に襲い、いいことをしたのか、悪いことをしたのか、わからなくなりました。とにかく、私は、その場を一刻も早く逃げ出したくなり、というか、おばさんにサヨナラといい、足早にその場を去ったのでした。耐えられない存在の空気が私の周りを淀んでいたのです。
ついでながら、そのとき、私は、ある大家族のお宅に居候してました。大家族ゆえ、御飯がいつもあり、すきなときに、食べるシステムだったのですが、昼ごはんは一番に食べさせられるのでした。でも、私は所詮お客さんなのか、私にだけ、マンゴーがデザートについてくるのでした。ありがとうございます。
私が一人で、テーブルを占領したあと、カップルが御飯を食べます。1週間ぐらいしたところ、カップルの片割れの女性がいなくなりました。彼に、ワイフはどこに行ったのと聞くと、ああ、ガールフレンドね、彼女は家に帰ったよ、と言いました。
3番目に食べるのがシェラピンじいさんでした(あ、実名だしちゃった)。彼も1週間ほどするといなくなりました。彼はどこに行ったのか、家を仕切っているおばちゃんに聞きました(誰が旦那かまだ把握してない私でした)が、おばちゃんは、いいました、ああ、あの大工さん、もう家の改修工事が終わったから家に帰ったよ。そういえば、いつも、夜中、居間のソファに寝そべって寝ていると思ったわ。老人、粗末にしたらいかんと思ってたのに、家族じゃなかったのね。
4番目に食べるのがオカマのダニーでした(あ、実名だしちゃった)。いつも、私の衣類を洗濯してくれる人でした。ある日、彼(彼女?)が泊めらせてもらっていた3軒隣の小さな家の中から手を振っています。行ってみると、彼の家でした。彼は、毎日3食とも、3軒となりの家で御飯を食べていたのでした。彼の家は1部屋だけしかなく、仕事もなく、学生であった私にいいました。
「トイモイさん、ヘルプミー。私の人生をヘルプミー、日本に連れて行ってください。お金は要りません、一生あなたの身の回りの世話をします。御飯だけ食べさせてください、この何もない今の生活から抜け出させてください。」彼は、泣きながらいいました。