ポーランド、ワルシャワショパン国際空港まで、市内から10数キロの距離である。タクシーの中で、はらはらと雪が少し舞って来た中、陳腐にも頭の中に英雄ポロネーズのピアノが鳴り響く。
空港は、新しく、空港内をぶらぶらしている中、ふと外を見ると、雪が積もり始めていた。アア、雪か、冬だからな程度に思ったのであった。
機内に入ると、吹雪に近い状態になっており、飛行機が安全に飛ぶためなのか、離陸前に何かを吹きかけていた。何だあれは、おまじないか。
ポーランドを離れ、東の内陸を90分行き、やがてウクライナの首都キエフに到着した。
ポーランドも旧共産圏だが、ウクライナはソ連(ロシア)から独立した生粋の共産圏。勿論、チェルノブイリということもあったが、何かの本で、
ウクライナは美人の産出国ということも知っていたのであった。
首相も美人で有名でもある。ちなみに。
まあ、それはそうとして、共産圏の名残はしっかり残っており、イミグレは長蛇の列でもないのに、たかが1列15人程度というのに、列になっていない、割り込みしまくりで、割り込みしようものなら罵声が飛び、列を整える係員はおらず、4つしかオフィサーがいないのに、後ろは10列ぐらいになっており、前のほうは団子状態となっていた。悪い予感がした。確かに、アメリカでも下手すると飛行機の到着が重なった場合は2時間近く並んだこともあるが、いや、そのために、メキシコへの乗り継ぎも失敗したのだが、アメリカでは係員がいちいち並ばせるし、順番抜かしもないので、さほどストレスを感じないのだが、この早い者勝ち状態、インドか、という感じであった。インドでは2時間並んで、結局はスベニアのボールペンよこせ、などといわれたりするのだが、それはないとしても、久しぶりに1時間以上並んだ。それも一人3分程度並び、変な奴がいると、イミグレオフィサーが別室に連れて行き、5分ほど帰ってこないという状態である。何故か、中国人留学生数人が、ビザの問題か、片っ端に別室行きで、そのたびに、イミグレ作業が中断し、イラつかせてくれる。後ろから、空港職員にスチューデントかと中国人と間違われて、意味無く憤慨してしまった程であった。
1時間少々並び、やっとイミグレを出て、荷物をピックアップして外に出ると、数人の白タクに囲まれた。正規のタクシーより安いことを確認し、20ドルでタクシーに乗ることにする。何せ、この空港はキエフの国際空港だが、一番市内から近い空港でなく、市内から40キロ離れており、周りに何もないという、やる気のない空港である。
外に出ると、大雪になっていた。勿論、タクシーは、滑りそうになりながら、車を走らせ、市内に入ると渋滞に巻き込まれ、遂に、ホテルに到着する頃には、ホテルまでいく軽い坂をスリップして上れない状態となりつつあった。
ホテルは、かなりロビーなどが絢爛豪華であるが、さすが旧共産圏、見得っぱりであり、部屋はなかなかショボイ状態である。まあそうやって部屋で15分程度うだうだして、ユニクロのヒートテックを上下に装備して外にでると、前が見えないほどの吹雪となっていた。
2時前にキエフの着いたというのに、雪とイミグレのせいで、すでに7時前である。
・・・明日、大丈夫なんだろうか・・・
いいや、全然大丈夫でなかった。翌日、100キロ先のチェルノブイリツアーどころか、空港までの道さえ、道路閉鎖になっていたのである。もはや、どこにも行けず、翌日、少し外には出たものの、1日中ホテルであった。ああ?ツアー?アホか、この雪を見ろよ、そんな顔をされるのであった。(気温はマイナス数度だろう、そう死ぬほど寒くはない)
もはや、朝からビール買いに行って飲むだけである。何やってんだ、俺、ホテルで一日中。
2009年正月ポーランド・ウクライナ・ポルトガル旅行
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