今日結婚式だったが、そんなことはどうでもよくて、一時期大学のクラブにいた中田君のことを思い出した。実名をだすには、忍びないので、あだ名のバカボンとしておく。頬に渦が巻いているのであった。バカボンは、大学生らいくなく、全ての授業に出席している、つまり、一般教養も出席する変な奴だったのだ。世の中にはいろんな奴ガいるものだ。私は、一般教養には、長い大学時代、3,4回しか出たことがないのであった。出席するのは、出欠を確認するゼミとか語学とかだけである。それも、年間何度も出席必要回数を調べ、何回休めるか計算したり、いつまで日本に帰らなくていいか頭を高速回転させて計算している間に、バカボンはそんなこと考えず、すなわち、オール出席である。
オール出席でありながら、成績は、すべて単なる可である。60点である。異常に効率の悪い男で、試験前に出回るノートのコピーの存在を知らないぐらいであり、どんな問題が一般教養で出題されるのか知らない状況であると思われた。
しかし、彼は、限界というものを知らなかった。一度、秋山に連れて行った。北アルプスである。結構、険しい道なのに、平気で歩き、「おまえ、運動したことあるのか」と聞いても、「僕のばあいー、全然ないです」と汗もかかずに平然としており、おきなり、ぶっ倒れたのであった。ぶっ倒れたまま、意識も朦朧として、それでもケツを叩き、秋山、テン場に着く予定時刻15時に対し、バカボン率いる我々決死隊が到着したのは20時であった。朝出発してから15時間後であった。
居酒屋で飲み会で、ドンドン飲めやと勧めると、そりゃ豪快に無造作にグイグイやるので、「おまえ、結構いけるクチやねんなあ」というと、「僕のばあいー、そんなに多分飲めないと思います」といい、「そうか、だんだん、顔が青くなっていってるぞ」と言うと、「僕のばあいー、酒を飲みすぎたらどうなるか分かりません」といい、グイグイ相変わらずやりながら、遂に、不意に、その場でゲボゲボーと吐いた。吐いたはいいが、私のタイの坊さんの持つカバンのクチがぱかーっと開いていて、その中にズイズイと直進してゲロはほおり込まれ、教科書と、筆記用具と文庫本と、そしてカバンを捨てることとなったのであった。
秋山でテント場に着いたときには、5時間前に到着した先発隊が、御飯の用意を既にしてくれていて、助かったと思ったが、そのスパゲティは既に冷えて固まりつつあり、我々は食べるのをやめ、非常食を食べたのだが、ノソノソ動くバカボンは、まったくそれに味がなく、延びきって固まったスパゲティを習性だけで、食べてますという感じで食べていた。「オマエそんなもん、よく食えるな」というと、「僕のばあいー、まあまあ、食べることができます」と言った。言った矢先に、疲れすぎから食欲なんかないはずのことを正直な体は反応したようで、ゲロゲロ吐き、鼻からスパゲティを出していた。
翌朝、出発の時間に大雪が降り、出発できず、1日停滞となった。テントの中で、我々は、一日中、寝袋にくるまって1列に並んで寝たまま、つまらない話をするのだが、外はスゴイ吹雪である。ふと気がつくと、バカボンがいない、「あいつどこいった」というと、「僕の場合、ここにいます」と声がした。スゴイ風邪でテントがひん曲がり、風向き一番端に寝ていたバカボンとシュラフは、風のせいでテントの上部の布にかぶさり見えなくなっていただけであった。そんな状態でも、事態を把握せず、ただひたすら会話に加わらず、じっとしていたのであった。
そんな訳で、オマエ道程か、オマエ毎日何食べているんや、オマエドコ出身や、と矢継ぎ早に質問するが、すべて、ぼくのばあいー、で始まり、それが、モンギリガタで、そのあとの会話が続かないのであった。●●先輩はどこですか、とか、何がすきなんですか、とオウム返しにでも聞けばいいのであるが、質問されたことに答えるだけであり、自分どころか他人にも興味がないようであった。
後日、機能だけで生きているような、そんなバカボンも、自らの意思で、いつの間にか僕の場合―といいながら、我々の視界からいなくなってしまったのであった。