サンパッチブ
いずれにせよ、食べることには、味覚が重要かと言うと、そういけでもなく、視覚もかなり重要な位置を占めているのである。真っ暗な中で食べると、食事している気がしないというか、味覚もおかしくなり、いったい何を食べているか分からなくなったということが、山合宿のテント地で体験したこともある。やっぱりヘッドランプが必要である。川べりでの
食事もランタンは欠かせないのである。
炎でも良い。
年齢を重ねてくると、なんというか、酒が減ってきた分、食べ物に随分興味が出て来たように思われる。学生時代、海外でも何を食べたのか、そういうことはあまり覚えていないのであった。当時も、イラントルコギリシアと、延々と毎日シシカバケバブ、そんなのしか食べた記憶がない。タイもいつもバーミナムかヤキメシのみ。インドネシアもヤキメシばかり。サテも1、2回。インドは、そら毎日カレーのみ。しかし、ジュースや果物はやけにいろいろ食べたような気はする。
しかし、食べ物に限らず、記憶は、信用ならない。
既に半年前のサンパッチブも記憶は怪しい状態に入っている。それは、どうだろう、視覚だけの記憶だとすれば、せいぜい、御飯をつつく箸とその手が視界に入っているだけのはずなのに、せいぜい肘から先しかないはずなのに、自分の記憶の中には、む自分自身の全体が入っている。自分を俯瞰した自分全体像も入ったテーブルに乗った料理なのだ。
そして、30種類の葉っぱの味。これは、どこかで食べた何かに似た味なのである。つまり、次のスケトウダラスープで気がついたことであるが、二日酔いに効くという意味では、その意味が、刷り込みされて、効いているんだろうなあと自己暗示にかけていくのだが、それは初めてのスープの味だった。それが、何と言うか、この年になるとなのかどうかは分からないのだが、過去の記憶と比較しようがなく、それはどういうことかというかというと、美味いのかまずいのか分からないのである。全部十分に食べることは出来るのだが、しいて言えば薬っぽいなと思うのだがそれは二日酔いに効くという効能のせいかもしれない。インプリンティングされたか。とにかく、美味いまずいではない。
最近も中東料理、そして東欧ロシア料理、南米料理など、新たな初めて食べた料理はあったにせよ、やはり若い頃にどこかで食べたか、或いは、既存のどこかの味をミックスさせて、○○のようなとか、○○と○○を混ぜ合わせたようなとか、想像を刺激する味であり、たいてい、イメージできる味なので、それが、美味いなあ、いまいちだなあ、につながっていったのであった。最近の旅行ではまずいものを食べたことはないが、結局、昔、コウロギやタガメ食べても想像の範囲内の味で、視覚的に悪いだけで、なんら何かの味に似ていたのであり、なーんだ、と口の中に入れてみてほっとするのであった。
マッコリガンガン飲む。
そしたら二日酔い用タラのスープ
結局、味というのは、人々の過去の経験によるものなので、視覚的、言語的表現はできないというか、それをやっちゃうと、ヘンテコリンな表現になってしまうので、だからなんだよワカリマセン、ってなことになってしまうのである。
朝鮮の風光明媚な山麓に住居を構える両班の貴婦人が白い扇子を持ちながら通り過ぎた残りの香りを思わせるような匂いのする韓国ジャージャー麺、とか。無理矢理である。
結局、繰り返すけど、これを食べ物と認識しているから、へえ、効くなあといって食べるのであって、蝋燭やスライムやわた埃なら吐き出すよな。これは、ウマイカ、マズイカ、判断できない、でも効きそう、過去の記憶がないから!テな感じ。
魚定食。なんだか、韓国で魚定食、うまいんだなあ。ムチャうまい、好きだ、また食べたいというのは、今までも、これからもあると思うけど、それは味そのものに、その情景や状態、気温、湿度、誰と、空腹度、雰囲気、値段的価値が加わるオプション的なものであって、もう、こんなうまいもの生まれてから食べたことない、というものは、20歳前後までに規定されていて、もうないかも知れないなあ。
茶。
ビール味のシャンプー買いました。
最後に空港で、水レーメン(ムルネンミョン)食べたけど、ソウ高くないというか、キンポー空港ぬは映画館(シネコン)とかスーパーマーケットとか併設されているので、空港利用者ばかりが集まっているわけでなく、それで、そう高くもないのかも知れないね。
2009年6月韓国旅行
ソウル、飯食いに
ソウル、コーヒープリンス1号店へ
ソウル、キティカフェへ
コエックスアクアリウム1
コエックスアクアリウム2
コエックスアクアリウム3
ソウル珍看板
ソウルgourmetの旅
ソウルハイテク地下鉄
ソウルの週末はサンパッチブへ
ソウルの週末はヘベレケで埋め尽くされている