バングについてはハルジ氏のここに詳しく書かれてあるが、当時知り合いでもなかったのに、ここに勝手に「後輩Kはインド通の男を友人に持つ放浪野郎」と悲しいかな私が出てくるのであった。(恥ずかしいねえ、通でなく、ただのアデックトだったのにね)
大学の友人もすっかり、エリートリーマンショックを辞めて、昔の自堕落な生活から抜け出すためにかとマンドゥからバラナシに来たということであったが、また馬鹿なところにきてしまったものだ。
確かにバングのことは、一番最初のことも忘れてしまったけど、同じガンジャ成分でも体内に完全注入してしまうので、精神的な規制を効かすのは難しく、例えグルがいても、いって仕舞うかもしれない。しかし、何故あれがおおっぴらに売られていたのか未だによく分からないのであるが、毎日飲んでいると、そこそこに耐性もできてくるのか、最後まで楽しめるようになってしまうおかしさがあった。
もう、毎日、フラフラしている日々から人生は倍も過ぎ去り、すっかり落ち着いたと思われた大学の友人もドロップアウトし、インドはすっかり変わったと昔ナツカシズムの身勝手なカナシズムメールを送ってきて、ああ、そうか、もうバングラッシー屋もなくなってしまったかと、私も、いつまでも自分の思い出は無くなって欲しくないと言う身勝手な妄想が駆け抜けたのであった。勿論、インド人的気質や商魂は変わっておらず、随分、喜んで騙されてクルタパジャマなんかつくったりなんかして、画像送ってきたりなんかして、騙される喜びよろしくハッピーそうではあった。それにしても、ガートの風景だけは変わらなかった。
意外と、今は、日本人女性と結婚したインド人が多く土産物屋を経営、一族郎党で日本人観光ky買うを呼び込み順調に100倍以上ぼったくって頑張って微笑ましい商売をしている、という姿をちょこちょこみるそうだ。知り合った学生も5ルピーぐらいのバンダナを50ドルで買っていたそうだ。勿論彼は、「うちにはそんな文句言う人(正論いう人)は合わない」と店を追放された。
噂の、クミコハウス、昔は、だんなもガンジャに五月蝿くてしょっちゅう怒っていたが、今は、評判の悪いジャンキー宿だそうだ。もうあれらしいな、確認してないけど、地球の歩き方にも載ってないらしい。
ヒンドゥの最大級の聖地、ベナレスまでなけなしの金を使い果たし、そこで死ぬために命わずかな巡礼者が訪れていた。しかし、いざベナレスに着いても、生命力はまだ残っており、そこで、乞食となる。1980年代、寺院やガートからガンジス河までの道のりをびっしり乞食が道際に続き、手を伸ばし、その手がひん曲がっていたり、スケボーに乗っていたり(足がないので)、手足のない達磨状態の乞食も多かったのであった。そして奇形度が高いほどに、慈悲を受け、高級取りであることは、暫く傍に座っているだけで分かる。
今は、印度にも人権問題が導入されたのかと思うほどに、健常者ぽい乞食ばかりだそうである。
そんでもってOMロッジ(1泊40円)も、もうやっていないらしく、迷路の奥にある自宅は美容師や美術の専門学校を娘さんが開き(あのジャリがいまや30歳)、毎日150人ぐらいの若い女の子がやってくるそうだ。
今ワントラいくらじゃと聞くと、1トラが通じないと嘆いておった。自称長澤まさみの恋人インド人が、長澤まさみとマネージャーに10グラム100ドルで売ったよ、とのことであった。なんだよ、30倍はぼってんな。ほかに藤谷美紀の彼氏とか、大沢たかおの親友とかがよおけおるらしい。深夜特急とか、ガンジスでバタフライとか、まあそのたぐいの影響結構あるねんな。
それにしても、人間は過去を参照にするのである。初めてアメリカ(ニューヨーク)に来たとき、その雑多性に、なんだ、ここちょっとインドみたいじゃん、と思ったのでもありました。