雨の中、上海駅まで30分程歩いて22時半頃到着すると、カルカッタ並みの人の多さと出鱈目な方向にたじろぐ。そんな中、ホームまで車が一台入っており、エライ人を迎えに来ているようである。出発20分前頃に列車が入ってきたが、並ぶこともなく、我先にと昇降口に群がり、席は指定なのにどういうことだろうか、と思い、嫌になる。(今考えたら大きな荷物置き場の確保かもしれない)
山口百恵が車内で流れていた(勿論歌詞はなし)
菊池寛の「恩讐の彼方へ」や長塚節「土」等を読みながら、蘇州、南京、鄭州、洛陽、西安、天水、蘭州を経て
西寧駅前 アイスクリーム2角(=5円)で食べる。(1元=10角)
時間は北京時間のまま21時着、まだ明るい。埃っぽい。海抜2270メートル。
駅前の河。
馬が静かに体を洗われていた。
南へ500メートル程下った西寧大廈というのに目をつけ、人に聞きながら、到着すると、すんなりドミトリー7.3元(500円程度)でチェックインする。高いなあと思う。思いながら、もう一度駅に向かい、列車のチケットを取ろうと1時間並ぶが、ナイ!の一言で終わり、後ろから列に並んでいない人民に引っ剥がされ終わり、10円で屋台でやたら辛い何かの飯を食い、西瓜とスモモを30円分大量に買い込み、両切りタバコ一箱5円で買い(安い)、チンタオビールを30円で買い、その他ビールも15円ぐらいで買うが、勿論、まったく冷えていない、がアルコール度数は12パーセントであり、だんだん飲んでいるうちに、これウイスキーちゃうんか、みたいな状況になってくる。ドミトリーで同室になったアメリカ人(女2男1)も戻ってきて、酒盛りしていると、22時に停電というか、電気終了となる。
翌日、10時前に、再度チェレンジで駅に行き、そしてバスターミナルに行き、最後にCITSに行った。当時は基本外国人はCITS経由でないと列車や飛行機のチケットは取れないことになっていたのだが、それは兌換券で買わねばならず、むかつくので頑張って直接駅に並んだのだ(今までは、知り合った中国人に買ってもらっていた)。
結果的に何故かCITSも閉まっており、何もチケットを得ることなくその日も終えた。列車は、1時間以上並んで窓口で、「あなた外国人だから売れない」と紙に書かれ、バスは3日先までチケットはないといわれただけだった。とにかく5時間半3箇所をうろついただけで、本日の業務は終了、成果なし、1.175元のビールを馬鹿飲み、明日、もう一度中国人になって挑戦しようと、弱気に思った。思いながら、「タオ、ゴルムー、インツオー イーガー」等と呪文のように、ゴルムドまで硬座1枚、を繰り返した。そして飯を食い、公園で西瓜の種をペッペ飛ばしながら、ちょっとハイになった。今日の成果は、通りがかりに知り合った日本人がネパールからチベットに陸路で入ったということが分かり、逆方向も行けそうだという情報を得たぐらいだった。腹壊した。開けっ放しのニーハオトイレで、ニョーであった。臭いし。
翌日、再度駅に並び挑戦、中国語はまったく通じず、駄目といわれ、もう一度並び直し、ふと、俺は留学生だ!といい、自分の大学の学生証(それ漢字も含まれているけど日本語なんだけど)と叫ぶと、もー仕方ないわね、と切符を譲ってくれた。
やった、苦節2日を記念し、硬いパンを買って、20分ほど裏山を登り、西寧の街、一望。汽笛が聞こえる。
羊飼いが散歩をさせている。
登山途中に知り合った村民(21歳)と生のえんどう豆を食べる。
彼の住む村。
7時40分発なのに、30分に駅に着くと、席はなく、トイレ横に立つこと3時間。ある駅で5人ほど降りたので、すかさず、席に着くと、興味本位だけの質問攻め。
ゴルムドに向けて1日1便の列車。時々ラクダ。タクラカマン砂漠をいく。
冷え込んでくる。3000メートルは超えているのか、寒くて、靴下を履く。24時間でゴルムドに到着。
42円1FEC(兌換券)= 28円1RMB(人民元)