そんな訳で、
ルーマニアに行くことになった。帰ってきたら、こいつはいたたまれない。私の居たときに、日本人女性殺された。それも空港からだ。8月15日、彼女とニアミスしている。15日空港に私も居た。ご冥福お祈りします。
ルーマニアは、国も東欧ではでかいが、人口も多い。昔、チャウシェスクの子といって、無茶苦茶人口増やしたよな。チャウシェスク政権時代の人口大増進政策によってルーマニアの人口はバルカン半島一となっったが、子供を育てきれなくなった親が子供を捨てるといった事例が続出し、大量の孤児を出してしまい、孤児院は常時満員状態となった。
ルーマニアの歴史(ウキペディアを省略)
1881年ルーマニア王国樹立。
第一次世界大戦では連合国側で参戦。ルーマニア軍は開戦からたった3ヶ月後で首都ブカレストを陥落させられたが、休戦後の1918年12月1日には、ブコヴィナ、トランシルバニア、ドブロジャ、ベッサラビアを獲得し、大ルーマニアを実現させた。
第二次世界大戦では、ハンガリーやスターリンのロシアにケちょンケチョンにやられ、王政廃止の原因となる。最初、ルーマニアは枢軸国について戦ったが、ソ連軍侵攻により、1944年に政変が起こり連合国につき(1944年のルーマニア革命)、ナチス・ドイツと戦端を開いた。戦後、ベッサラビアとブコヴィナをソ連に奪われ、ソ連軍の圧力の下、1947年の12月30日に人民政府が成立。王政は廃止され、ルーマニア人民共和国となった。
1965年にはチャウシェスクが指導者の地位につき、国号をルーマニア社会主義共和国へ変更。1974年には大統領に就任し、独裁体制をしいた。その間、アメリカ合衆国、西ヨーロッパ、中華人民共和国と外交関係を交わし、「東欧の異端児」と呼ばれるようになった。急速で過度に重工業化を目指し、西側からの技術の導入や機械の輸入で債務を膨張させた。対外債務は飢餓輸出の結果完済したものの、ルーマニアの経済は疲弊。ルーマニアには石油が埋蔵されていて資源面で優位なことが、東西冷戦、中ソ対立においても、独自の立場の維持を可能にした。
ソ連にゴルバチョフが登場し、ペレストロイカをはじめ、1989年にはベルリンの壁の崩壊に連なる、東欧の民主化の波はルーマニアにも波及した。ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなど、東欧諸国が無血で民主化を成し遂げる中、チャウシェスク大統領は権力の保持を企図したため、暴動が発生。ルーマニアだけは、流血の革命による民主化となった(1989年のルーマニア革命)。
チャウシェスク夫妻は即決裁判で銃殺刑となった。その様子は映像で世界中に配信され、「ベルリンの壁の崩壊」の場面と並び、東欧民主化を国際社会に見せ付けることになった。(これニュースで何回もみたよね)
その後、民主化はされたが、高失業率や経済成長の停滞で前途は多難なものとなり、今も旧東欧圏では遅れをとっている。また、トランシルヴァニア地方の少数民族であるハンガリー系住民との民族問題を抱えている。2007年、EUに加盟。
ルーマニアは、東欧で、唯一のラテン系といわれており、ノリノリじゃないかと期待はする。何の期待だ。
空港から市内へは、20キロ程度で、帰り、市内からメーターで25LEC(14キロで)であった。まあ、1LEC30円計算だ。そうすると750円だが、空港からは料金が加算されるので、そういうわけにはいかないが、そのときもあまりいくらか分からないが、まあ、倍以内に収まれば正解だろう。空港を出て、タクシーを確認すると、全員がよてったかって40だか50ユーロといって、こりゃ話にならないと、また空港内に入り、考える。1階下に下りて、そこから荷物を転がしながら、道を渡り、ガードレールなんかを飛び越え、駐車場までいく。この辺りにいると、タクシーが来る。(勿論、このあたりが安い、というか市内からやってきたタクシーだということを)知らなかったので、いろいろ声を掛けられて、80LECで手を打って(でも高いけど、もう面倒になったので)、連れて行ってもらったのだが、何とそいつに40LEC,タクシー運転手に40LECだ。随分、オマエが40はないだろ、おまえは10だ、タクシーに70渡すといったが、彼と、私と、運転手と押し問答の上、結局、10分程で運転手が折れて、40.40でということになった。一人で行って交渉したら、多分、40ぐらいで乗れると思う。いくらでもタクシーはいる。(時間にもよるだろうけど)まあ、税関出て、まっすぐタクシー乗るよりは安いけど。
そうやって、ホテルに早々とと到着し、夜だったが、今晩中ならウエルカムドリンクが無料で後ろのバーで飲めるんだぜ、といわれて、荷物を置いて5分で降りてきて、フロントで地図を貰って、バーで、ビールというと、ニコニコ笑いながらソーダ持ってきた。
しかし、もらった地図の広告がおかしい。エスコートクラブがこの国では流行っているのか?
朝起きたら、前の家は工事している。夏だが、エアコンはつけたり消したり。
シースルーのエレベーターで朝ごはんに向かう。
ホテルを出る。
地下鉄
(僕がいえる柄じゃないんだけど、この人、かなり顔のほうは不自由でした)
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