大きな声では言えないが、ティラナは、飲食繁華街どおりがまあだいたい500メートル四方(blv.gjergi fishto/deshmoret e 4 shkurtit/abdyl frasheri/sami frasheri ウムラウト省略)の囲まれたエリア以外は、旧共産圏のだだっぴろい道路である。なるほど、アルバニア語はおそろしく子音が多く、読みにくいのである。
マザーテレサ広場、誰もいないし、広場の中心にはなにもない。
ティラナ大学、ふ、終わり、先を急げ、いや、何も急いでなかった。
この辺り、だだっ広いだけで、人間もあまりおらず、旧共産圏のやりそうなこっちゃという感じである。
考古学博物館
国際文化センター(旧エンヴェル・ホッジャ美術館)
ほったらかし、という感じ。
市内の中央の川
国立美術館
国民の半数以上がイスラムというが、そういうのは、服装上ではよく分からない。
開国から20年、さすがに当時、馬車がヨーロッパなのに、主な移動手段という時代は、さすがに終わり、ロマ(ジプシー)の物乞いもほんの数回しか逢わず、まったく他の旧東欧とそう変わらない雰囲気となっていた。
ティラナ一古い建物、ジャーミアエトヘムベウト(イスラム寺院)、時計塔
スカンベルデグ広場・・・ティラナの紹介がされるときは、この馬に乗った像がよく紹介されている。これは、オスマントルコのスレイマン1世なのか。スレイマン1世
(パシャ=提督とも)は、ハンガリーからベオグラードから領土を広げた。その一環だろうか。ここアルバニア。実は、ネット調査の結果、
スカンデルベク像と判明。
ティラナの人口は50万人都市なので、その小ささも分かるであろう。
土産物屋は、時計台の近くに4,5件ある。親切なおばちゃんだった。
国立歴史博物館
アルバニアには、ホッジャという奇妙な人物がいた。
ウキシペディアを要約
ホッジャは、戦後の1946年にアルバニア人民共和国の建国を宣言、最高指導者となった。ホッジャは正統派マルクス・レーニン主義を宣言し、スターリンを崇拝、ソ連寄りの政策を取った。ソ連と対立してチトー主義を掲げたユーゴスラビアとの国交を断絶。しかしスターリンの死後、フルシチョフによる「スターリン批判」が行われるとソ連との外交関係を絶ったどころか、ワルシャワ条約機構を脱退、コメコンも脱退。
その後、中国に接近し援助を受けた。しかし、その後中国はアメリカやフランコ体制下のスペインやチリのピノチェト政権と反共国と接近したため、中国批判をし、中国からの援助は途絶えた。
1967年には「世界初の無神国家」となり、あらゆる信仰は、公的にであれ私的にであれ、違法となった。
1975年に米ソデタントの波から東欧諸国と西欧諸国が参加した全欧安全保障協力会議とヘルシンキ宣言も拒否して欧州の安全保障の枠組みからも外れたアルバニアは、隔離させる鎖国政策を断行。
1978年に「アルバニアは世界で唯一マルクス・レーニン主義国家である」と宣言。ホッジャはユーゴスラビアのチトーだけでなく、同様にソ連と距離を置いていたルーマニアのチャウシェスク、北朝鮮の金日成に対してもマルクス・レーニン主義に反すると批判して共産圏の陣営でも孤立を深めた。
連携したのは、ニュージーランド共産党や日本共産党を始めとする「アルバニア派」と呼ばれる各国の政党だけであった。
ホッジャは1985年死去。76歳。葬儀に際しては、ホッジャの遺言により外国政府の弔問は拒否、ソ連からの弔電は突き返され、外国人ジャーナリストの入国は許可されなかった。
1980年代には、欧州一の最貧国とまで揶揄されるに至った。(この頃、馬車が活躍している写真を見たことがある)
1989年から全国的に反政府デモが続発し、ホッジャの後継指名を受けたラミズ・アリアが1990年から徐々に開放路線に転化。
1981年日本との国交を樹立。
民主化を争点とした1992年総選挙によって、戦後初の非共産政権が誕生した。共産主義時代の残滓の清算や市場主義経済の導入、外国からの援助導入などを政策化し、国際社会への復帰を加速させたが、市場主義経済移行後の1990年代に未熟な市場経済につけ込む組織的なネズミ講(ポンジ・スキーム)が流行し、1997年にネズミ講の破綻を契機とする暴動が発生した(1997年アルバニア暴動)。経済は破綻状態となった。
国旗はイーグルだ。山に囲まれている。
みんな揃って平等に貧しく・・・正しい共産主義?もホッジャが死んで、国外に逃げる人が続出。外の世界を知って、やる気のある人にとって平等は良くないと思ったのだろう。機会の平等というのが必要なんだろうねえ。
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