マレーシアからタイに入り、ハジャイでバスを乗り換え、スラタニーまで列車で行き、そこから乗り合いタクシーにて、港まで行く。
早朝4時にコサムイのナタウン港に着き、明るくなるのを待ち、そのままポブットビーチへ。
ポブットビーチからコパンガンのサンセットビーチへ出る10人乗り程度の小船が週に2回出ていた。
不思議なことだが、ビーチで海に入ってぼんやり、死ぬほど美しい透明の海を見ていたら、高校の同級生たちを思い出した。クラスメートは、理系だったこともあり私以外皆浪人したので、今1回生だ。今、自分はパラダイスに居て、皆に見せてあげたい気分に駆られた。
従業員は朝の5時から夜の9時(9時以降はバッテリーが切れ真っ暗になる)までよく働くなあと思っていたら、昼間、爆眠していた。私のあだ名は、ああ情けないの「ミスターアジノモト」
サンセットビーチ、レストランが1件とバンガローが20ほど。それで全ては終わりだった。他の島内のビーチに行くには、険しい山道を歩いて越えていかねばならなかったようだが、それは面倒だった。西洋人はブヨブヨの腹やしなやかなお尻を出して、胸やセイキを焼いていた。
島には、バンガローが飼っている犬が2匹いて、夕方になると、海に自発的に入り、じっと夕焼けを見ている哲学犬と科していた。
飯は、毎日、漁をして、取れた魚がメインデッシュとなる。浜辺に打ち上げられた魚を見て、これを食べると適当なことをいい、自分の食べたものを自分の部屋の台帳に自分で記帳し、値段も書き込み、最後に、まとめて全てを払って精算するシステムだった。ノートで自己申告だ。ジュース飲んだらノートに5Bと記入するのだが、 バンガローの主に、たばこを吸う真似をしたら、パッケージされたものをくれた。何て記帳していいいか分からなかったので、?と記帳して、50だか100だかを書き込んだ。いくらかは忘れたが、私には、正しきグルがいなかったので、本当の世界にいってしまうのに、1年を要した。仕方なく「?50B」と書いておいた。牧歌的だったなあ。
その夜のことは忘れられない。丁度、その夜は、ロッドスチュワートがかけられており、やがて、バッテリーの音だけになり、21時、全ての電源が終了し、全くの暗闇になった。後は、蝋燭だけである。ヘッドランプは持っていたが、その夜は、バンガローの部屋の中で、蝋燭を焚き、静かにしていた。そして目を閉じた。
目を閉じた瞬間に、目の裏側に、何百というブッダの行進が始まったのであった。これだったのか!私は、一人、歓喜した。ここから、いろんな実験的思索が始まったのであった。始まりのブッダであった。
昼間は、停電となり、従業員は朝早くから晩遅くまで休みもなくずっと働いててすごいな、と思いきや、昼間、皆、ずっとへたばって寝ているのであった。そのだらしなく寝ている姿が愉快であった。店の女の子もだ。何へたばってんだよ、とへの字顔を彼女を眺めると、むくっと起き上がり、何ですか、ミスターアジノモト、と笑って答えられた。
荷物をまとめて、従業員の女の子にチェックアウトするよ、というと、笑われた。船は3日に1回しか出てないのよ、昨日出たでしょ、だから明後日だよ。と。滞在は2日延びた。
チェンマイ郊外で何故かシルク工場を見学(させられたのであろう。トレッキングに行く道の途中で)
チェンマイまで、バンコクから初めての1等車で行って、寒くて風ひいたわ。
トレッキングに出かける
アカ族、メオ族と回る。民族姿の女性達は撮ってはならないといわれる。
ようやく、村に着いたら、コカコーラ売りに来た。勿論、村の人は飲まないのだが、町からコーラをトレッカーに売るために運び込んで来ており、いらないけど、悪いので頼んだ。値段は市価の倍程度。
おじさんの笑顔と手が危ない
荷物