寝つきが悪い夜を終えて、一度は7時に起き、チャイを飲んだが、もう一度眠り、正式な起床は9時45分。
インドに今回サヨナラを告げる日が来て、日本の自分の部屋の机に座るまで4日かけて帰る、と考えると、何となくもう終わりなのに、終りじゃないと過程を考えると疲れる、その移動にうんざり、と気持ちでは思う。気持ちの逃避的な問題は、やがて忘却によって解決されるだろう。といかく意見はそれ程重要でない、シャダルタの言葉を都合よく受け止めよう。昨晩会ったインド人が、「インドでは、至る所に死が転がっている。ただ死を考えるか、考えないかの問題だ」と端的にいうとそうなのだが、会話の過程を忘れてしまったので、覚えていることにあまり意味がない。
ホテルの部屋は3階であり、カラスが鳴く、べスパの音がする、子供たちがお喋りしながら通り過ぎていく、雀、口笛、音の集合体。
海が見える、インド的な家、ポルトガル的な家、木、電柱。
少しの潮の臭い、インドのトイレの臭い、パーンの臭い、湿ってかび臭い。
味、少しふやけたキングスフィッシャービール。
出発だ、完全に守りの体勢だ、これから乗り合いタクシー、列車、リムジンバスかタクシー、飛行機、バス、飛行機、バス、トゥクトゥク、飛行機、電車を乗り継ぐ。調子よく行き過ぎたら、調子悪いぞ。
例えば、このヨットパーカー、高校の時に購入して、ずっと仕舞われていたが、今回着てきて、ボンベイの乞食に喜捨する。
カレーを食って14時、乗り合いタクシー乗り場へ。人数6人揃うまで車内で待つ。駅まで両脇有刺鉄線で挟まれた1本道を駅まで向かう。グジャラート州でここだけが酒の飲める地域、昼間からインド人が酒飲んでいる地。
バピ駅15時、列車に乗り込む。車内は、物売りの集団、リンガ(だん根)模様のベルを杖につけた小人の乞食、片足の靴磨き屋、通路いっぱいになるほどの荷物を抱えたスナック菓子屋、チャイ、コーヒー屋、水を売る尻の異常にでかい女、訳の分からぬ草をうる少女、威厳のある顔で寝っぱなしの老人。ある駅で物売りは全員降り、おびただしい乗客が乗り込んできた。近郊になったのだろうか。4時間の乗車時間に汗でべっとりとなる。
19時、ボンベイセントラル駅へ、近郊列車でチャーチゲート駅、タクシーでフォート地区へ行く。
コフタとチャパティーを食べ3時間程、ボンベイを彷徨い、22時ボンベイ空港に向かう。
何故か、かなり暇であった。私から日本人を見て声をかけることは、滅多にないのだが、ぼんやりしている日本人を見つけて、1時間程お茶をして、深夜2時にチェックイン。
ゲートでダッカ行ビーマン・バンクラデッシュ航空を待つ。冷房は効いてはいるがやたら蚊が多くて、暇な係員に意味なくパスポートをチェックされたり、インド音楽がかすかに流れていたり、夜中もあって気だるく、不快な夢のよう。
機内に乗ってよいことになったが、席はフリーシート。機内で席を探し、座ると、まだ機内に蚊が飛んでいた。ヨーロッパから飛んできたのか多くの西洋人がうつらうつらして悪い空気を出している。斜め前の西洋人は、タバコに火をつけ手に持ったまま、目が閉じられているAM3時半。
ビーマンは飛び立ち、寝ようとするが、無理矢理起こされ飯を食わさせられる。隣のバングラデッシュ人は、食べ終えた後のプレートや皿を自分のカバンに仕舞った。
空が白み始めた頃、ガタンと着陸して目が覚め、ダッカに着いたことを確認した。
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