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昨晩会社帰りに飛行機に乗り、グアムのホテルにチェックインしたのは午前2時であった。しかし、私は年もとった割には遅起きさんで、ほっておけば、ワレいつまで寝とるねん、という怠け者振りである。4時間ほど睡眠して、7時過ぎに泳ぐために出かけるのである。マア、泳ぐというのは言い訳である。今日に日本に還るので、もったいないので、泳ぐという按配で、ブラブラ散歩するという趣向である。 日本人ってのは、どういう教育なのか分からないが、世界で自国民に誇りのない人々であり、権力や権威を嫌う人々であることがデータで分かっているらしい。だから何か有事があったときに国のために戦う気持ちは薄く、どうなんだろう、奴隷になったほうがいいと思っているのであろうか。学生時代の私は、まあ、中道左派であったと思うが、年を取ると、随分、日本はやたら自虐史観というかゴメンゴメン私が悪かったんです史観が強く思っているのかもなあと思うようになった。思うようになったけど、時代は動いているので、いやはや、昔の人のことは多少の参考にしかならないんだよな。単純に仕事も個人情報は煩いけど、昔は容疑者でも住所書かれていたし、ファンレターの送付先は雑誌はその人の自宅先を書いていたりしてたんだよねえ(トキワ荘行きとか)。タイでは、未だ、捕まった奴の携帯電話番号が書かれていたりなんかして、拘置所に非難の電話がかかってくるんだろうなあ。この人殺し!って全然知らない奴から電話かかってくるんだな。 日本ってのはさあー、って日本人論じゃないんだけど、自分の生きた方は自分で決めたいし、自分らしくありたいって思う気持ちが強いんじゃない?案外他の国の人と話していると、家族のためにとか大切な人のために頑張るってのが多いよ、でも、不思議なことに皆と違って仲間外れされたらどうしよう、皆と考え方が違うって精神を病んだりするんだよね。でも、フランス人の精神を病んだ人の相談は、もしかして自分は他人と同じじゃないか、同じ考えをしているんじゃないか、ヤバイっって相談があったりしておかしく思う。家族や友達は大切なんだけど、あくまで他人なんだねえ。家族や友達の意思に反しても我が道を行きたがる日本人なんだが、実は、そうじゃないよね。アンケートのやり方が悪いだけかもね。例えば、牛乳好きですかってアンケートには多くが好きですって答えるけど、いやはや中学や高校卒業して給食なくなって自分で牛乳買わないといけなくなったら、どうなんよ、7割も8割もまあ、牛乳好きでしたって人、その後牛乳買うか。分からないけど、確かに私も牛乳好きか嫌いかといわれると、まあ、そうだねえ、好きかなと答えるかも知れないが、牛乳って1回も買ったことない。コーヒーとかマンゴージュースとかパパイヤとかもっとおいしい誘惑が多いからね。選択枠の問題かも知れないけどね。 まあ、実は、何が実はかは分からないのであるが、一人暮らしを一般人が当たり前にしたのが70年代からの日本人なんだよねえ。海外にも一人暮らしはイッパイいるけど、安ホテルに住んでいるアーチストとか愛人がいるとか、妻や子供と別れたからということなんだよねえ。分からないけど、日本人は一人好きなんだろうか、どうやってそう追いやられたんだろうね。そんなに束縛が嫌いなんかなあ。それでまあ外国で働いたことないから知らないけど、会社人間とか、ママとも人間とか、まあ結局なんかに属するって訳なのかねえ。 ぶらぶら、歩いていると心地良いが、それはそれで束の間の休み(1泊グアム)を生きていけるからだ。それは、まあ、私自身は、何の生産もしていなくて、社会の分業の賜物である。私はあれやれこれやってくれ、どないなってんねん(とはよういわん)と愚痴っているだけで、金をもらっていて、それをアソビに使っているだけだ。もしかしたら魚を釣るぐらいならできるかもしれないが、生きるために農作物を作り出す土地も技術もない。老後は都会で住むのが当たり前の信条の私も、引退後は田舎で自給自足せなあかんのかなとい焦りもある。会社員って、何も生きるために生み出してないような気がして。(回っているうちはいいよ) うっかり、ABCマートに入ったりなんかかする。まあ、あれなんだよ、ゴディバのチョコが半額になってたので、買ってしまったって按配。でもそうなんだ、ふと、逆の便乗値上げのことを思った。あれはムカつく、ムカつくがせれが経済活動だ。需給バランスってものだ、文句をいうのも、なんだかな、ってことだ。 例えば、震災の時、こういうことあるじゃん、値上げして次の資金ができて(輸送費が値上げしてかかるのだから)続けることができるか、ここは皆が困っているから定価で売るけど、金は尽きて次回の供給はないよ、廃業よ、そのあたりのバランスだよねえ。需給バランスだから、いくらなんでも高すぎたら売れないので、でも供給があったら、そのうち価格も落ち着いてくるかも知れないが、最初に無償供給だ、とかやってしまってもう資金なくなってもう売り出しなし!ってなったら市場の正常化が遅れるわけで。だからムカつくんだけど、一時期高くなるのは仕方ないでしょ、やっぱり事業者は利益残さないといけないでしょ。それは、まあ、阪神淡路震災の経験者としては、それなりに思っちゃうわけで、もう、高くてもできるだけ、神戸でお金落とそうとするわけ、タバコも地方税だから、大阪や滋賀ではタバコは買わないし、飲み屋は神戸の潰れかかった繁華街に行ってお金を落とすわけ。まあ、その金額は知れてるけど、どちらかというと会社が大阪本社で給料ももらえていたので、無意味に神戸にお金を落とそうと意識が働くわけね。それでいいんじゃないの。一時的な善意は、あとからタイ編、いや、大変なことになっちゃう可能性もあるんだよなあ。何が正しいかは分からないけど。 いやはやあの20年近く前、割りと週何回も神戸で飲んだなあ。路上でやっていた行きつけのバーもあったり、ビルの建物がやばい状態のバーに、入口で寄って下さいといわれると、まあ、値段聞いて片っ端から入っていく日々だったなあ。 そういえば、東北震災では原発の件、結局はあまりに責任が重過ぎて、みな放棄状態になった。それで結局、空き缶直人首相とか海江田バンビが罵声を浴び続けていた。なんだあいつは、と国民は思ったかもしれないけど、そうならざる得なかったのかもしれないなあ、日本のシステムってやつ。無限責任の場合、あまりにも大きな責任に誰もが逃げようとするんだよな。 あ、泳ぐの忘れてた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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