しかし伊豆のまぼろし博物館は久しぶりの壮大感を醸し出し、アートである。アートを理解せぬ者は、アートを理解できないのである。
いいまわしとしては、キューバを理解せぬものはキューバを去れ、とカストロが言ったのと同じである。
だから、俺はアートを理解しないのである。ガラクタとアートは紙一重か、同じものである。コンセプトを吹き込むか、これはアートなんですと言い切るか、相手を説得できるかである。普段、自分で何を言っているのか、自分でも分からない。頭の中は論理的なのだが、外部に漏れる言葉と行動が非論理に包まれてる。それは、アートではない、通じない、とか、無駄遣いというのである。
生活も仕事も先が分からんことを憶測と経験と惰性でやっているので、重要なのは、わけが分からんでも時間はたつので、決めることであり、節目で辻褄を合わせていくことなのだ。思った結果に合わせていく、見切り発車して目標に持っていく、うまくいかなかったら、死ぬか、怒られるか、死ぬほど怒られるか、しかない。
ただ、アートは食えない。自身が饒舌か、支援者が饒舌か、本当の天才かしか。感動装置に、上手い下手はあまり関係ない。不思議だね。
ぱっと絵を見て、ハア、と思って、解説見たら、最後の絵、体が動かなくなって病気で死ぬ間際に血を吐きながら口に筆を加えて描いたなんて解説があって見たら、あら不思議の不朽の感動作。作品の背後をみて感動し、世間の批評風評を見て判断。ジョコンダに感動しますか、ルーブルで実物みたても、俺は凡人なんで見たことに感動した。詳しい解説書で輪郭がすごいとかマニアックなところには、ほおお、と感心するが、そしてダビンチのマルチぶりに感心するが、世界一有名なこの絵をどう思うよ、最高に上手とは思うけどさ。おいらみたな素人じゃ、価値分からんと思うよ。
アムスでらりってゴッホ美術館行ったら、作品が黄色で燃えていて目にボヨンボヨンにやってきたよ、スゲエと思ったよ。でも、ゴッホのひまわり、よく見たら、いやよくみなくても、枯れてるね、これ子供はすぐ気がつく。俺はふらふらしてて、黄色で燃えてて、でも下向いてるなと気がついて、あら燃えて花死んでるわ、と思って帰国して調べたら、子供は第一印象でそう感じるということが分かった、わいらはやたらバイアスかかってんで。
あ^りがたやー。
私の中では、勝手に回転木馬と移動遊園地とヨーロッパと憂鬱な空気がセットなんだ。セット販売、いや、販売なんかしてなかった、セット思い込み。脳はそうやって連想ゲームするから、勝手に芋蔓式に意味のない記憶や情景が浮かび上がる。年取って経験してきたから?ウーン、それは昔からかな。まだ、時間をぼーっと過ごせる年代には達していない。移動時間に寝る以外に何もしないでぼーっとすることはまだ出来ない。しているとしたら、考え事しているときだ。(旅行中は風景を見てボーっとしていることはある。まあ、荷物を盗られないように警戒している緊張面もあるけど)
特に、ゲージツと少年愛の世界は、ワイは随分程遠い。というか、少女セイアイも遠いな。俺の中ではじゃれてくる子供は男女同じだわ。
考えたら、これじゃないけど、パロディー的なゲーイツ人気だよね、エッシャーとかさ。面白いけど、写真集でいいや。
1995静岡
リクエスト紀行 伊豆の踊子(リンク)
熱海秘宝管(リンク)
熱海城 前編(リンク)
熱海城 後編(リンク)
まぼろし博物館 入口まで1(リンク)
まぼろし博物館 入口まで2(リンク)
まぼろし博物館 ビヨンド(リンク)
まぼろし博物館 昭和前編(リンク)
まぼろし博物館 昭和後編(リンク)
まぼろし博物館 歴史編(リンク)
まぼろし博物館 アート前編(リンク)
まぼろし博物館 アート後編(リンク)
怪しい少年少女博物館 前編(リンク)
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