小説としての
「模倣犯」は完結していますが、関わった人達にとっては、そんな簡単に終わるものであるはずもなく。
「楽園」は過去の事件に囚われた前畑滋子の、「模倣犯」との決別の物語なのか。
「模倣犯」9年――
前畑滋子 再び事件の渦中に!
自宅の床下で16年間眠り続けた少女の死体。
その死体を"透視"した少年の交通事故死。
親と子をめぐる謎に満ちた物語が幕を開ける――
あたしは知りたい。謎を解きたい。そんな資格なんかない。
権利もない。同じようなことをして、手痛い失敗をした過去もある。
なのに、あたしはまだ懲りてない。
ううむ、長い(笑)
「模倣犯」と違って2段組なわけでもないのに長い。
と感じたのは、上巻がまるまる、敏子さんの過去と等くんの能力について、コツコツ、コツコツと積み上げてるからなんでしょう。
「渡ってしまった。ルビコン河だ。」
というわけで、1冊まるまる使ってようやく渡れるルビコン河。
「ブレイブ・ストーリー」も、冒険が始まるまでやたらと長かったですが、「楽園」も本題に入る前が長いです。
なかなかなかなか、前畑さんは賽を投げてくれません。
ただ、冗長とも言えるほど、小さなことからコツコツと積み上げていくのが、宮部さんの真骨頂とも言えるわけで。
積み上げたものが、最後にどう崩れ、どう落ちていくのか。
ラストに待ち構えてるに違いない、どこまでもまっさらな地平に想いを馳せる。
じりじりじりじりしながら、ラストに爆発するものを思う。
宮部作品の楽しみ方は、きっと、そんなところにある。
ところで、宮部作品と言えば、少年と老人。
それが、この「楽園」では両方とも出てきませんでした。
少年は出てきます。でも、それは、生きている姿ではなく回想の中でのみ。
その代わり、物語の重要なファクターとして出てくるのは、初期の宮部作品の特徴とも言える「超能力」。
まさか、「模倣犯」に繋がる世界に、「超能力」の出張ってくる余地があったとは思いもよらず、かなり驚きました。
誰もが心の奥底に持つかもしれない圧倒的な心の闇、それを掘り下げていく物語に、「超能力」っていう、誰もが持つとは限らない超常現象を被せる必要はあったのかな?
「超能力」は「超能力」で、別の作品で掘り下げた方が良かったんじゃないかな?
上巻を読んで思ったのはそんなこと。
勢いで読み終えた下巻感想は別記事で。→「楽園 下」感想
なんにせよ、ページを捲る手が止まらないせいで、睡眠時間は削られ、お肌は荒れ放題。
宮部作品は女性の天敵ってことは間違いないんじゃないかと(笑)
【蛇足】
等君の持つ超能力ですが、ネタバレにつき反転→京極堂シリーズに出てくる躁病探偵、榎木津さんを思い出していけません。
大人になって、榎木津さんみたく、友人達に囲まれて、天上天下唯我独尊に楽しく過ごして欲しかった……と無いものねだりなことを思わずにいられない。
大人なら死んでもかまわない、なんてことは思わないけれど、小さな子が死ぬのはかなり辛いものがありました。
ところで、「模倣犯」の犯人は拘禁反応が出てるそうですが、拘禁反応と言えば、真っ先に連想するのが朝青龍。
我ながら、なんだかなぁ(笑)