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おでんせ!「居酒屋 ごじゃ満開」へ
引越しをしました。新しい営業場所はコチラです。 gooブログ「居酒屋 ごじゃ満開」 http://blog.goo.ne.jp/say10ya60 引き続きのお越しをお待ちしています。 (since 2007/08/15) 本日の一品 [全710件]
本日5月1日から上海万博が開催されます。万博関係の報道が目立つ昨日今日ですが、日本では過去に5回も開かれていたのですね。大阪万博、沖縄海洋博、つくば科学万博、大阪花博、そして愛地球博(愛知)。2度目の大阪は盲点でした。大阪の皆さま、失礼しました。 2007年8月15日より暖簾を上げてきました当店でございますが、本日を持ちまして楽天での営業を終了することになりました。本日までの710品、雑多な品々をご覧いただきましてありがとうございました。 最後の1品はお馴染みの岩手山と北上川です。「県都に中々春が来ない」と申し続けていましたが、たまの晴天には春らしい風景が広がっていました。 ![]() (開運橋からの北上川と岩手山 -盛岡市大通 H22.4.26-) 次回からはgooブログにて営業を開始します。新しい営業場所はコチラでございますので、引き続きのご来店を心よりお待ちしております。 1年前のメニュー・・・お休みでした 2年前のメニュー・・・「247)盛岡散歩 北上川沿いの遊歩道」 にほんブログ村
今年の「盛岡さんさ祭り」は第33回を迎えますが、マスコットキャラクター「さっこちゃん」がお披露目されました。可愛らしいキャラクターで祭りを盛り上げようという意気込みを感じますが、きちんとした春に来てもらってから夏の話をしたいものです。今日も雨が降ったり晴れたりと、県都盛岡の4月はすっきりしない天気で幕を下ろしつつあります。 第33番 光台寺 盛岡三十三観音巡り、ようやく最後の第33番にたどり着きました。第23番と同じ名須川町の光台寺です。第23番として参拝した時は大雨の最中でしたが、第33番として参拝したこの日は残暑もやや弱くなりつつ夏の夕方でした。 こちらに祀られている観音様は如意輪観世音です。かつては菩提院というお寺にありましたが、明治時代に廃寺となり、菩提院の親寺であるこの光台寺に移されたそうです。 ふだらくの山々めぐる親や子も頓証菩薩に心おさむる ![]() (夏の夕暮れを迎えつつある光台寺 -盛岡市名須川町 H21.8.29-) 昨年12月の第1番峯壽院から始まりました盛岡三十三観音巡り、これにて結願でございます。してそのご利益やいかに? そんなことを申している煩悩の塊に、神様は微笑みませんね 1年前のメニュー・・・お休みでした 2年前のメニュー・・・「246)盛岡の桜 鹿妻幹線水路の桜」 にほんブログ村
桜が満開となる前に、県都盛岡は黄金週間に入りました。今年の大型連休、最長で11日間だと聞いていますが、もし自分が11連休となったら何をするでしょう?「あれやって、あそこ行って・・・」と考える内に半分過ぎてしまうのではないでしょうか?そして連休明けには仕事的にも肉体的にもリバウンドがありそうですね。 第32番 三明院 盛岡三十三観音巡りもあと2番となりました。盛岡三十三観音の多くは大慈寺町や北山(名須川町)に集中していますが、第32番の三明院は市中心部ながら中津川東岸の路地にポツンと建っています。 ポツンと申しましたが、三明院は三十三観音の中で一番分かりづらい場所に建っていました。詳細の盛岡市街地図を持っていたのですが最初に着いたのはお寺の裏側で、どうやったら正面に立てるのか一寸悩みました。 そんなこんなでたどり着いた三明院は、マンションに囲まれ小さくなって建っていました。八幡宮のある八幡山の土の中から現われたという、高さ45センチの花岡岩の石仏坐像が小さな堂宇に祀られています。 ![]() (春一歩前の三明院 -盛岡市神明町 H22.3.2-) 三明の智彗をいかにとたづねればこの山蔭に有明の月 1年前のメニュー・・・お休みでした 2年前のメニュー・・・「245)盛岡の桜 マイヤ通りの桜」 にほんブログ村
岡本真夜さんの「そのままの君でいて」と上海万博のPRソングが類似しているという話題があります(既に過去形でしょうか?)が、この話題で上海万博の存在や間もなく始まるということを知った方も多いのではないでしょうか?少なくても私はその1人です。サッカーW杯も然り、自国で開催されないと中々関心を持たないものです。 第30番 千手院 盛岡三十三観音巡りも30番目に入りました。第30番は第5番と同じ大慈寺町の千手院です。第5番をご覧いただいてから4ヶ月も経って、再び大慈寺町に戻ってきました。 第5番の観音様は千手観音でしたが、第30番は阿弥陀如来です。以前は山岸にあった西京院に祀られていましたが、同院は中津川の水害等で復興せず、阿弥陀如来は千手院に移されたそうです。 ここまで巡ってきた盛岡三十三観音が祀られているお寺の中には、観音札所であることを触れていない箇所も多かったのですが、ここ千手院には第5番と第30番のご詠歌が飾られていました。 千よろずの御手にひかれていと易く弥陀の浄土へご念即生 ![]() (訪れたのは8月ですが、今回は冬の千手院を・・-盛岡市大慈寺町 H22.1.5-) 第31番 新庄観音堂 第9番の小山観音堂をご覧いただいた際「盛岡市加賀野地区に住んでいたという美しい姉妹の姉を祀っている」と申しましたが、妹が祀られているのが第31番の新庄観音です。 小山観音堂は他の三十三観音寺社から離れ、国道4号線盛岡バイパスの外側(東側)の川目地区に建っていましたが、新庄観音堂も他の寺社から離れて、小山観音堂に近い国道4号脇の小道に建っています。姉を祀る小山観音堂は質素な造りでしたが、妹を祀る新庄観音堂も質素な造りでした。 昔より慈悲のはからひ新たなる新庄山に今もかがやく ![]() (晩夏の新庄観音堂 -盛岡市新庄 H21.8.29-) 1年前のメニュー・・・お休みでした 2年前のメニュー・・・「243)岩手の桜 雫石川園地の桜並木」 にほんブログ村
昨日盛岡地方裁判所の敷地内にある「石割桜」が開花し地元紙の一面を飾っていましたが、今日は岩手公園のソメイヨシノの開花が宣言されました。「ようやく開花じゃ」と思ったのですが、春の訪れを告げる岩手山の岩鷲がやや雪に隠れたり姫神山山頂が再び白くなったりしており、すんなり春がやってくるのかどうか、まだ半信半疑です。 久々の「盛岡散歩」、これまた久々の「盛岡三十三観音」巡りの続きでございます。最初は一気に三十三観音巡りをご覧いただくつもりでしたが、第27番報恩寺をご覧いただいてから約2ヶ月が経っていました。 第28番 正傳寺 第28番の「正傳寺」は、第27番報恩寺の東側に建つお寺です。こちらに祀られている観音様は「魚藍観世音」という、陶器製で高さ25センチの立像です。女身の菩薩様で、右手に裳を持ち、左手には魚を入れた籠を下げています。内陸には珍しい漁師の守護神で、海上安全・大漁祈願・家内安全等のご利益があるそうです。 有り難や仏の道を正傳寺これぞ菩薩の慈悲のたまもの ![]() (晩夏の報恩寺 -盛岡市愛宕町 H21.8.29-) 第29番 恩流寺 恩流寺は、第28番の正傳寺の東隣りに建っている曹洞宗のお寺ですが、祀られている観音様は「柱観世音」という、柱に浮き出た観音様です。 享保年間(18世紀)、下米内松木平にあった観音堂が米内川の洪水で流失し、本尊も行方不明となりました。その後浅岸村の照井某が夢のお告げに従って床柱を明るい場所で見たところ、節目が観音様に見えたので恩流寺に納め、祀られるに至ったそうです。 いと深き菩薩の慈悲の恩流寺くみつる人は後世もあんらく ![]() (晩夏の恩流寺 -盛岡市愛宕町 H21.8.29) 1年前のメニュー・・・「491)栃木散歩 宇都宮市(気になる地名の変化)」 2年前のメニュー・・・「241)岩手三十五景 盛岡の桜(四十四田公園の桜)」 にほんブログ村
ここしばらくご覧いただいている「岩手1周鉄道の旅」でご一緒の旧友とは当店の常連さんである「おきもの」さんなのですが、氏のブログでもこの旅(「僕らの鉄道 第3旅」)が始まりました。氏の言葉を借りれば「相互乗り入れブログ」ですが、コチラと違い写真盛りだくさんの内容ですので、読み比べてはいかがでしょうか? 県内鉄道1周の旅、夜のとばりが降り始めた中、岩泉を後にして茂市へ戻ります。車窓が見えにくくなると旧友とのよもやま話に花が咲き始め、気づけば茂市駅に到着しました。 茂市駅から山田線に乗って出発地の盛岡に戻ります。乗り換えまでの10数分、山間のホームは大変寒く、山田線を待つ客はほとんどがホームの待合室で震えていました。今年は春の訪れが遅いようですが、ホームの飲料自販機は季節を先取りコールド商品ばかりでした。 ようやく盛岡行の列車がやってきました。同時に盛岡から宮古行の列車も到着し、山間の小駅が一瞬賑やかになりました。 ![]() (まだ18時半ですが、盛岡行の最終列車です) 2両編成の乗客は20名程度だったでしょうか?夜汽車の雰囲気を醸し出しながら列車は閉伊川沿いの小駅にひとつずつ停車しながら盛岡に近づいていきます。 窓の外はすっかり真っ暗。並行して走る国道106号線を走る車のライトがどんどん我が列車を抜いていく様子しか見えませんが、次第に線路沿いが白くなり、列車は区界駅に到着しました。ここで数分停車するというので、寒気を味わいにホームに降りてみました。 ![]() (区界駅で宮古行の最終列車と交換 これでも4月です) 区界を発車すると盛岡市街に向かって下っていきます。途中浅岸、大志田といった山田線の「秘境駅」を過ぎ、沿線の雪も消えました。 今朝の盛岡からどの列車も時刻表どおり走ってきましたが、最後の列車も時刻表どおりに盛岡駅に到着しました。10分後の東北新幹線「はやて号」に乗り継げば、今日のうちに東京に行く事ができます。降り立った客の幾人かはそういう人かもしれません。 ![]() (山田線の本日の営業はこれにて終了) 旧友との県内1周旅行、最後は駅前の有名店の焼肉で打ち上げです。本日の行程はこれにて終了ですが、旧友の旅はまだまだ続きます。 1年前のメニュー・・・お休みでした 2年前のメニュー・・・「240)岩手三十五景 盛岡の桜(北上川遊歩道の桜) 」 にほんブログ村
この1週間で大人の携帯マナーの悪さを付けて目の当たりにしました。会議席上で部下の説明を聞きながらメールを打つ上司、病院の診察台でかかってきた電話に出ていた初老の患者等々、マナーの悪さと言うとすぐ若者が槍玉に挙がりますが、老若男女関係ないのではないでしょうか?ただ「人の振り見て大笑い」・・・もとい「我が振り直せ」です。自戒します。 県内鉄道彷徨の続きです。 押角駅を後にして市町境の長いトンネルを抜けると、列車は岩泉町に入りました。山ひとつ越えると雪は止み、岩泉町は薄日に照らされて夕暮れを迎えていました。宮古発車時に20人程だった乗客は途中駅で少しずつ減っており、1日3往復の列車を器用に使いこなすものだと感心します。 10数人が降りた終点岩泉駅のホームはひとつしかありませんが待合室は広く、駅舎も大きいものでした。2階には商工会が入居しているそうです。 ![]() (1日の乗客は20人程の岩泉駅) 今来た列車の発車時刻まで時間がありましたので、今朝盛岡駅の改札を入ってから初めて駅の外に出てみました。 駅前を流れる小本川を渡ると国道455線が走っています。そこから分かれる旧道に足を踏み入れてみると、静かな街並みが続いていました。更に路地を一本入ると、小本川の支流清水川を渡ります。橋の上からの風景を眺めた旧友が、「まるで温泉街の河原のようだ」と言いましたが、うまい表現だと思いました。 ![]() (清水川の上から 静かな里の夕暮れです) 岩泉駅へ戻り、2番列車で茂市へ戻ります。乗った客のほとんどは往路と同じ顔ぶれです。山の日暮れは早く、旧友のメインディッシュであった押角駅も闇の中に消えつつありました。 1年前のメニュー・・・「490)盛岡散歩 もぅいいよ♪♪♪♪♪(桜と岩手山)」 2年前のメニュー・・・「239)岩手三十五景 盛岡の桜(岩大裏の桜と名もなき桜) 」 にほんブログ村
先週の土日に県南で桜の開花宣言が出、昨日は通勤途上のつぼみも膨らみ始めていました。ようやく開花かな?と思いきや今日は氷雨・・・。わが人生同様中々春の来ない岩手県です。 県内鉄道1周の旅、盛岡→一ノ関→盛→釜石→宮古と四角形の3辺をなぞるように乗ってきましたが、宮古からは1周の四角形からヒゲのように伸びるJR岩泉線に乗って岩泉まで往復します。 岩泉線は宮古湾に注ぐ閉伊川上流にある茂市を起点として刈屋川に沿って遡り、峠を越えて隣りの岩泉町中心までを結ぶ約38キロの鉄道です。鉱物資源開発の目的で建設されたからでしょう、物資乏しい太平洋戦争最中の1942(昭和17)年に途中の岩手和井内まで開通し、その30年かかって岩泉まで全通しました。 旧友にとっては本日のメインディッシュの路線ですが、全線を走り通す列車は1日3往復、しかも朝1往復夕2往復なので、我々のような一見さんが日のあるうちに乗れる列車は自然に限定されてしまいます。「だから一見さんで混むよ」と脅していたのですが、1両の岩泉行は一見さんと地元客合わせて20人程度を乗せて発車しました。 ![]() (茂市までは山田線を走り、閉伊川を2度渡ります) 宮古から約30分走って茂市に到着しました。ここからが岩泉線なのですが、旧友の岩泉線への気持ちをじらすかのように、盛岡からの列車の接続待ちで15分停車します。待つ間に雨は本降りになりました。 ![]() (雨脚が見えますか?) 盛岡からの列車から数人が乗り継いで、列車はようやく岩泉に向けて発車しました。刈屋川の右岸を遡り、山深くなっていくと押角(おしかど)駅に到着しました。太平洋戦争の末期の1944(昭和19)年7月に貨物専用の駅として開業し、当時は終点でした。 旧友が岩泉線を訪れたかった大きな理由が、この押角駅でした。彼によると押角駅は「秘境駅」の横綱級で、鉄道番組でも大きく採り上げられたそうです。 停車時間は数秒。下車する人はおらず、私も含めた数人がシャッターを切るとすぐに発車しましたが、観ることではなく撮ることが目的になってしまい、どのような場所にある駅なのか全然分かりませんでした。 ![]() (ホームしかない押角駅) 押角駅の手前から雨は雪に変わり、線路沿いがうっすらと白くなってきました。同じ県内なのに、県南とは全然違う天候です。改めて岩手県の広さを感じさせて、列車は長い押角トンネルに入りました。 1年前のメニュー・・・お休みでした 2年前のメニュー・・・「238)岩手三十五景 盛岡の桜(中津川沿いの桜) 」 にほんブログ村
東京にある本社の重鎮が隣県の事業場を視察しました。お迎えする側は「失礼があってはならん」と万全の準備を整えたはずでしたが、お昼に用意していた弁当に重鎮の嫌いな魚類が入っていたそうです。スムーズな巡回に神経を集中していて、弁当の具材までは思いが回らなかったのでしょう。偉い人が来るというのは中々大変です。 県内鉄道1周の続きです。三陸鉄道で釜石に到着した乗客の多くは我々と同じようにJR山田線に乗り換えました。2両編成の普通宮古行は、部活帰りの高校生や我々を乗せて発車しました。山田線は海岸線に沿う区間が多く、列車は大槌湾や船越湾を見ながら北上していきます。 ![]() (車窓に見る山田湾 降雨直前です) 船越湾を後にすると、列車は山田湾を隔てる半島の付け根を横切ります。その途中に岩手船越駅がありますが、本州で一番東にある駅だそうです。 ![]() (列車はすぐに発車しました まだ空は耐えています) 車窓にカメラを向けたりする我々に、初老のおじさん4人組が声をかけてきました。聞けは「青春18きっぷ」の発売する時期ごとに集まれる仲間で旅行をしており、今回は住まいのある東海地方から普通列車を乗り継いできたそうです。浄土ヶ浜を遊覧してから同じ行程で東海地方まで戻る予定だそうですから、お若い限りです。 おじさん達と別れた宮古駅。旧友にとってはここからが本番でしたが、遂に雨が落ちてきました ![]() (雨が落ちてきた宮古駅 次の列車は1両です) 1年前のメニュー・・・「489)盛岡散歩 もぅいいよ♪♪♪♪(高松の池)」 2年前のメニュー・・・「237)盛岡散歩 盛岡の桜(岩手公園)」 にほんブログ村
花粉症歴10ウン年目にして、ようやく空気清浄機を購入しました。家電量販店やネットにピンからキリまである中、手ごろな価格の物を選んだのですが、交換フィルターの値段が今回の購入額の6割に相当することに驚きました。プリンタのインクのように消耗品で元をとるのでしょうか? 県内鉄道彷徨の続きです。盛からは三陸鉄道南リアス線に乗り換え、三陸海岸に沿って釜石へ向かいます。 三陸鉄道は国鉄時代に計画された三陸縦貫線を実現するため、国鉄が部分開業した区間を引き継ぎ未完成区間を建設して1984(昭和59)年に開業した鉄道です。北リアス線(久慈~宮古間)と南リアス線(釜石~盛間)の2路線を経営し、JR線とあわせて沿線念願の三陸縦貫線を形成しています。 日本で初めての第3セクター鉄道であり好調な滑り出しとなりましたが、4半世紀経った最近は経営状態が非常に厳しいようです。 ![]() (盛駅で発車を待つ、三鉄の列車) JR盛駅の改札を抜けて隣りの三陸鉄道盛駅へ入ると、1つしかない窓口に4~5人並んでいました。三陸鉄道に乗るには別運賃なのですが、ホリデーパスの私は1,060円なのに対し、青春18きっぷ利用の旧友は530円と半額でした。しかも乗り降り自由です。 ![]() (左=定価の切符、右=青春…利用者の切符 何か腑に落ちないなぁ) 1両の列車に我々のような旅行客ばかりを乗せ、釜石行は盛を後にしました。車内はリクライニングシートなので、ちょっと上等な気分になります。 盛から3駅先に「恋し浜」という駅があります。「浜」と付きながら高台にある駅で、集落との間に階段が続いており、老婆がひとりゆっくりと降りていきました。 元々は集落の名である「小石浜」という駅名でしたが、昨年7月に地元のホタテブランドに因み、「恋し浜」と改称しました。待合室にはホタテの貝殻を絵馬にして吊り下げているそうです。果たしてアベックのデートスポットとなるでしょうか? ![]() (こじゃれた「恋し浜」駅名板 -大船渡市小石浜-) ところで今乗っている区間は南リアス線を名乗っていますが、トンネルが多い路線なので海が見える区間はそう多くありません。観光路線なので、海がはっきり見える場所では徐行運転をしてくれましたが、特に案内放送があるわけでもないので気づかない人も多かったようです。今日は曇天ですから尚更です。 ![]() (南リアス線から見る三陸の海 -唐丹~吉浜間-) 1時間あまりの三鉄の風景が終わり、列車は釜石駅に到着。再びJRの客となります。降りた客の半分以上は同じように乗り換えました。 1年前のメニュー・・・お休みでした 2年前のメニュー・・・「236)岩手三十五景 盛岡の桜(石割桜)」 にほんブログ村 |一覧| |