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カテゴリ:盛岡の風景
今朝の県都は厚い雲に覆われ、雨も降りました。今週になってからは寒暖の激しい日々が続いておりますが、このまま梅雨に入るのでしょうか?
昨日ご紹介しました聖寿禅寺、敷地の多くは墓所で、南部藩主の他にも有名無名を問わず多くの方が眠っておりますが、その中で案内板もついているのが横川省三の墓です。 横川省三は1865(元治2)年に現在の盛岡市で生まれました。時代は幕末、新撰組の活動が盛んになってきた頃です。 そんな時期に生まれ育ったた横川省三は、明治維新後に盛んになった自由民権運動に身を投じ投獄されたり、新聞記者の後に移民事業に携わったりと、波のある人生を過ごしてきました。 その最後は1904(明治37)年勃発の日露戦争の特殊工作員。仲間と共に鉄橋の爆破に挑みましたが失敗。露西亜軍(当時)に捕らえられてしまい、同年に処刑。40年の短い人生を終えました。 ここまでだと「波乱万丈の人生」で終わってしまうのですが、処刑される前に蓄えていたお金をロシア赤十字に寄付したというエピソードを残しています。 (横川省三墓所 -盛岡市北山 H20.5.11-) 特殊工作員というと歴史の陰に隠れて表に出てこないものだと思っていましたが、ここでは手厚く葬られていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月29日 21時05分55秒
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