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2010年05月14日
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KATA:所作・型の重要性:<注意>や<お願い>の内容が「所作」にあたります。
●~流と本当に言えるのかは、それだけで完結していることが最低条件である。
~流(**式)と呼ばれているだけで、単独では使えない(バックに在るべき理論がなかったり、0-12歳を通じて考えられていない)ものは完結していないどころか理論もないということである。それは単なる手法の一つ(思いつき)に過ぎない。それは理論がない行き当たりばったりの、子供の成長には関係なく、どうでもいいから出来るようにさせるだけの手法ということだ。
●型の意味と機能。
どうして、型が必要なのか。どうして、型が必要になったのか。どうして、型があるのか。どうして、型を作ったのか。見えないものを伝えるための非常に効果的な伝承手段(伝達手段を超えている伝承手段)だからだ。理論の説明だけでなく、伝えたい本体である感覚や感情を再現しやすい実際の動きを伝えることで、言葉では説明し尽くせない部分を実感してもらうチャンスを持ってもらうことが出来る。本体である感覚や感情を、その伝承者が知覚できている(自力で再現できる)かどうかは、その継承者にとっては一大事だが、型にとっては最重要事ではない。
●型がないと、その先に在る本質(感情や感覚という見えないもの)を継承できない可能性が大きい。ルールといってもいい。例えば、どうして、座禅には型が在るのか。その型が、座禅をすることによって再現される感覚を得やすい形だからである。あるいは、伝えたいその感覚を感じたときに、そういう形をしていたので、その形を真似してもらっているうちに、より、再現性の高い形にたどり着きそれを、型とし、心構え・使い方を所作とした。
●非常に高確率で、その粋に達することが出来る。
●ただし、形だけを真似しても意味がないことは、その形を伝えるために型が在るのではなく見えないものを伝えるための形であることを十分に知り、そこから生まれる感覚や感情を自分で味わうことで伝えようとしているものを感受する必要が在る。
●高度に(もちろん、体験を通して)考え抜かれた型、手法、ルールには型の先に繋がっている重要なものが隠されている。正確には隠している(隠されている)わけではない。見ることが出来ないが、その型を通して感じることが出来るので、隠れているということになる。もちろん、その見えないものを感じる方法は一つではないが、少なくとも、その型を通じてたどり着けることは証明されている。だから、その型でたどり着くことを目指すのが、その流派と言うことだ。ここを、流派を使わずに我流で最初から探そうとするのは、最低でも流派の創始者がその型を見いだすのと同じ時間はかかるし、一生見つけ出せないかもしれない。
●なぜ、型が必要なのか。なぜ、型を守り続ける人がいるのか。なぜ、型を習得したら(型から目標である見えないものを感じることが出来るようになったら)自由になれるのか。型に縛られないようになるのか。理由は簡単である。型は、本質ではないからだ。だから、型を使って、本質をつかんだら、その後は型は使ってもいいし、使わなくてもいい。また、その本質に辿り着ける他の道を探すことも可能になる。免許皆伝ということだ。
●型ってのは守るために在るのではなく、型を通して効果的に体得できる見えないものを引き継ぐために在る。
●本質(大事な感覚や感情)を得るための効果的で具体的な指針となる。だから、本質を体得したら、体得した人には必要ではなくなる。ただし、受け継いでもらえるように示し続けることは重要である。それが、型。
●7年間かけて、700題を利用して、所作(具体的に考える方法)を身に付ける。自力で考えられるようになる。すると、どんな材料(課題・問題・困難)を与えられても、出くわしても、直面しても、大丈夫。
●子供たちは、人生を楽しむ方法=哲学→どんぐり倶楽部という生き方・哲学を学んでいる。
どんぐり哲学DONGURI_Philosophy&G_Philosophy
●茶道:お茶の楽しみ方の一つの大系
●学習道(生理学)<教育道(人間に育て上げる)<子育て道(伝えたいもの)<生活道(処世術)<自分道(自己確立)<人生道(哲学)
●右も左も分からない子供に「お花はいいから」って、池坊と小原流を同時に習わせる親がいたらどう思う?「全く何にも分かってないわね」って思わないかい?
●オマケに幼児教育では手当たり次第に#池坊#小原流#草月流...を同時にやってる?「いいとこどり、でいいんじゃないの?」...え、そうなの?
●時期によって異なる:~6(感情養成:感情回路作成)6~12(型・理論・修業)
■心を込めるとは具体的にはどうすることか
心を込める:感じ味わいながら~ということ:自主的な「心を込めて」がないと、再現も出来ない
2種類の心を込める:
1,自主的:
2,他人の動作(型)をするとき、その動作(言動)から得られる感覚や感情を繊細に感じながら
「型から入る」の意味:感情が育ったときに、ロス無く再現が出来るように。
帰納→演繹と同じ
●境地(創始者が辿り着いたところ)
●正しいステージへ向かう道の一つに過ぎない。でも、必ず通じている確かな道。
●どうして、こんあことをそんなふうにしなくちゃいけないんだ?と思いながらしていては、その動きからうまれる自然な感覚や感情は感じられない。何時までたっても(外見の動きは出来るようになっても)本質はつかめない。どうせするのなら、感じ味わいながら自然にゆったりとリラックスして味わいながらすることだ。でなければ、意味がない。出来るだけでは駄目。それは、無駄な努力。ただし、それが型であれば、型だけを受け継ぐことは出来るし、伝えることも出来る。型が伝われば、後世で本質が再現される可能性は高い。
●道具=教材(逸品が誰でも使えるどんぐり教材)
●所作=使用法・注意・お願い
●未熟というと、悪いこと、能力が劣っていることのように思う人がいるようだが全く違う。自然な成熟のチャンスを逃してしまって熟していないと言うだけのことだ。熟すには時間が必要なので一生では足りないかもしれない。成長期に不自然なストレスをかけられていると、成熟期に成熟できないので、酷く時間がかかる。ただし、善し悪しや能力のことではない。
●心が未熟なまま親になる人は沢山いる。しかし、だからと言って、その未熟さを自分の子供に向けていい理由はない。すべきことは、自分の未熟さを認め、その未熟さから発せられる子供への理不尽な言動を制御することである。そうすることが、唯一、負の連鎖を断ち切る方法である。つまり、未熟でも覚悟があれば「可ナリ」ということ。「Good Luck !」
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最終更新日  2010年05月17日 19時28分12秒


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アンカラママ@ Re:■子供達に学力的な能力差はない。(文責:どんぐり倶楽部)(09/30) どんぐり倶楽部を知ってから、5年余ですが…
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障害児と通常発達児の双子の母@ Re:■子供達に学力的な能力差はない。(文責:どんぐり倶楽部)(09/30) ブログ、本当にありがとうございました!…
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