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●前回、小学校算数での「習熟させてはいけない項目」を書きましたが、もちろん他の分野でもあります。その他はHPで検索をかけてください。すぐに出てきます。
今回は、理由を「思考の臨界期」より抜粋してみました。 ●e-BOOK「思考の臨界期」より抜粋 ▼習熟という名の落とし穴 「習熟させるために~」と言われて 何の検証もしないで 受け入れている 危険な学習を見かけます。 学習は何をしているかではなく どうしているかが大事です。 具体的にしていることが 具体的に影響を与えるからです。 「習熟」という言葉に 振り回されていては 学力は育てられません。 例えば 「計算に習熟するために計算ドリルを何度もしている」 この中身は大抵の場合 「10の補数と九九」という 2種類の操作を繰り返しているだけです。 「考えないでする(暗算・高速単純計算)計算ドリル)」です。 「漢字の書き取り」は大抵の場合 「お手本をよく見ないで(比較もせずに)かきなぐっているだけ」です。 ※常にお手本は練習欄の真横に同じ大きさで書いてなければなりません。 「イメージせずに読む音読」も同様です。 どちらも「考えない練習」です。 考えないことに習熟させてはいけません。 無意識に考えないようになるからです。 習慣には「する習慣」と「しない習慣」があります。 多くの場合は「~出来ない(考えることが出来ない)」ではなく 「~しない(考えない)習慣を付けてしまっている」のです。 習熟という名の下に「考えない習慣」を付けてしまっては 一生の傷になります。 習熟とは高速で何かができることではありません。 応用できることです。 速さはや量は関係ないのです。 なぜなら、子供はそれぞれ子供独自のテンポを持っているからです。 その子独自のテンポにあったスムーズな速度でできることが習熟です。 つまり、自分のテンポで淀みなく(トツトツも一つのテンポ) できればいいのです。 誰もが音読で「スラスラ」を目指すなんて滑稽です。 どんなに速く読めてもイメージできていなければ全く無意味ですし、 イメージできていても味わうことは出来ませんので 音読の意味は発音練習にしかなりません。 発音練習は不要ですし、宿題にはなりません。 逆に、トツトツでもキチンとイメージできていれば 全く問題ありません。 計算もそうです。 ゆっくりでいいから 筆算がキチンとできていれば 全く問題ありません。 ▼習熟と慣れ スポーツのような臨機応変に複雑な操作(思考モデル)を 要求されるものについては習熟は多様な思考モデルの作成と同じですから、 健全な頭作りになりますが 計算の様な単純な思考モデル(「10の補数と九九」しか使わない)しか 使わないものの習熟は 習熟すればするだけ単純思考しかできなくなる 不健全な頭を作ります。 考える力とは全く反対の考えない力を強化するのは 単純な思考モデルを頑丈にしているだけだからです。 一度固定された思考モデルは 柔軟な思考モデルを食い潰してしまいます。 回復は非常に困難を極めます。 幼児・児童期の間違った教育が 才能溢れる子供の脳を 最低の反射しかできない脳にしてしまうのです。 暗記・計算は最も危険な考えない学習です。 そこには思考力の基盤となる 多様な思考モデルは全くないからです。 学力を養成しているつもりで お金と時間を大量に使い、 親子でストレスを溜めながら 一生懸命に学力の素を潰している光景は 悲惨としか言いようがありません。 ▼頭の悪い子 私は今までに「頭の悪い子」など見たことがありません。 ですが「考えない力」を強化させられて「考えられない頭」になった子は無数に見てきました。 ※日本ブログ村に参加してみました。 このブログが参考になりましたら、お手数ですが、下記のバナーをクリックお願いします。 【どんぐり倶楽部の公式サイト】は下記よりどうぞ 【頭の健康診断】は下記より:年長~小6(中学生は小5-6を使用可) *今の学習形式がお子さんに合っているかどうかも診断できます<診断表アリ>* ※案内「どんぐり倶楽部の教育講演会 in 2012」...最初で最後の「どんぐり倶楽部」主催の講演会です。 ※案内「大阪講演の記録(YouTube)」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年05月28日 00時01分03秒
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