シリーズ第1作
「怪盗紳士リュパン」(日記は
→こちら)に続く第2作(長・短編等56作品中)
モーリス・ルブランの「リュパン対ホームズ」
(Arsene Lupin Contre Herlock Sholmes,1908)
を読んだ。
やはり
問題作ではあると思う。
ホームズファンからの言葉として
「この作品があるからルブランが嫌いになった」というのを耳にしていた。
で,1つの結論としては,熱心なホームズファンはやはり「読む必要がない」もっといえば「読まなくてよい」本だと思う。
この作品に出てくるホームズが「シャーロック・ホームズ」と違いすぎ,それだけでホームズを馬鹿にされた気分になるかもしれないからだ。
ただし,そもそも本のタイトルが実は「リュパン対ホームズ」でないことには注意しておくべきだろう。
原題(アクサン記号は省略)を見てわかるように,もともとは「アルセーヌ・ルパン対エルロック・ショルメ」なのだ。
助手役もワトソン(Watson)ではなくウィルソン(Wilson)になっている(翻訳でショルメをホームズとするくらいなら,ついでにウィルソンもワトソンとしてほしかった!)。
もちろん,名前を変えたからといって「イギリスの名探偵」がホームズであることはミエミエだし,後発の作家として「ホームズの名声」を利用しようとした「スケベ心」があったことは否定できないだろう。
また,こんな作品を書けることから,少なくともこの時点ではルブランが「ホームズファンでなかった」ことも,ひょっとしたらあまり読んでさえいなかったことも推測できる。
ただ,読む前に思っていたほどには
ホームズが貶められていなかった!! のも確かなのだ。
2回の対決が書かれているが,どちらもホームズ側からしたら,謎を解き,犯人を特定するという意味でホームズの勝ち,リュパン側からしたら,ある程度の成果をあげ,つかまらないという意味でリュパンの勝ちという感じになっている。
「ウィルソンが傷つけられ,ガニマールも頼りにならず孤軍奮闘するホームズ」VS「組織力のリュパン」
という構図を考えると,
個人どうしの対決としてはホームズの勝ちといってもいいくらいだ。
で,強引な結論だが,ルブランがこの作品で書きたかったのは,「怪盗の追跡に熱中し,できれば≪追い詰める≫」本能に動かされるホームズに代表される「名探偵」たちと,
リュパンは全然違うんだぞ! ということだと思う。
リュパンは,「怪盗精神に徹して,探偵の手を避け,できればこれを嘲笑する」のであり,「暇があるとき」には
「善事」もする。要するに「自在」なのだ。
第2話の「ユダヤのランプ」では,たしかに,ホームズが謎を解き事件を解決したせいで,依頼主一家が(そこに雇われていた家庭教師もふくめ)壊滅してしまう。
「探偵(警察も含む)」のこのジレンマは,いまだに扱われているテーマであり,最近読んだ東野圭吾の
「さまよう刃」の1つの主題にもなっていた。
もしもそこにリュパンがいたら,全然違う結末が待っていたのではないかなどと,この文章を書きながら思ってしまった次第である(笑)
モーリス・ルブランの他作品についての日記は,フリーページ 読了本(海外) (モーリス・ルブラン)からごらんください。
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