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テーマ:癌告知~手術まで(17)
カテゴリ:緩和ケア
がんと診断された時からの緩和ケア、に迫る患者さんたちの真実の声。
膵臓がんで夫をなくしたNHKの女性ディレクター(Dさんとする)。 夫との闘病の記憶をたどりながら、医療者、患者の声に迫る。 2019年冬に発症、2020年2月に東京医大で手術を受け、5月に東北に戻り化学療法を開始した。 東京医大の主治医は、再発しないことを考えましょうと言ってくれていたが、地元気仙沼の医師は、あなたのがんは必ず再発するから治療を頑張ろう、と言った。 夫はとても落ち込んだ。 勇気を持ってその地元の医師に会いに行き、厳しいことを話した理由を聞いた。 再発してからその後のことを話すより、再発するのだからその心構えを持ってもらうことが大切と話す。 10月に再発し東北大学に治療を受けに行った。大学病院には緩和ケアチームがあったが、夫は利用しようとしなかった。 夫は化学療法を始めて2ヶ月、12月にはもう抗がん剤は効かなくなっていた。仕事も辞めてしまい孤独を深めていった。 「震災でやりたいことなくして、病気でさらに何もなくなった。」 2021年1月23日以降 Dさんの日記には「もうやんだ」を繰り返す夫のことばかり。 3月に体調不良で東北大学に入院、治療は出来ないと告げられた夫。緩和ケア科の佐藤医師に出あい、初めて自分の辛さを医師に打ち明けた。 3/10に退院、気仙沼に戻った。そこには緩和ケアの専門の医師はいない。 4月、何かがおかしい、と訴えて地元の病院に入院。次第に起き上がれなくなっていく夫。優しい言葉が辛いと。そして旅立った。 Dさんは みなはどうなのだろうかとインタビューを始めた。 12年前にがんと診断され、以降患者の声を集めている岸田さん。ゆらぎを聞いてもらえなかったと話した。 大腸がんの女性看護師 夜寝るときだけがんの恐怖から逃れられた 大腸がんの男性 孤独感で一杯で生きていてもしょうがないじゃいと自殺未遂を繰り返した 腺様嚢胞がんの男性 心を傷んでいて、医療者にはつらい気持ちを言ってねと言われたけど、つらい気持ちを言う余裕がなかった。 スキルス胃がんで夫をなくした女性にも話を聞いた。 訴えていないことを察してあげることが大切だったのかもしれないと話した。 精神腫瘍科の保坂隆医師に話を聞きに行った。 孤独に伴走してくれる存在に支えられているミホさんは闘病中ながら笑顔だった。 緩和ケア病棟から訪問看護師に転身した女性にも話を聞いた。この人の存在が夫にもあったらなと思った。 看取ってくれた医師にも話を聞いた。 「怖いんですよ、死ぬの怖いと言われるのが、死んだらどうなるって聞かれるのが。」 この最後の医師の声が真実であろう。 緩和ケアを患者にすすめることも怖いのである、見捨てるのかと言われるかも、と思ってしまうから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.14 09:57:27
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