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なかなか更新できず、とうとう2011年も大晦日。 写真の容量もいっぱいになり、ブログの更新も滞り、近況もお知らせできずにいました。 私事ではありますが、来年4月から精神保健福祉士を目指して大阪府内の某専門学校へ行くことが決まりました 先月の入学選考で合格しました。 ある意味、リベンジです(笑)。はい。 現在、就労移行支援という施設で就労訓練を受けており、それも去年の10月からしばらく体調不良で自宅療養していた最中、3月11日の東日本大震災が発生しました。 知人の被災、コロのストレスと避妊手術、そして看病が続き、今年1年は復帰は無理と思っていました。 しかし6月頃に、家内やいろんな方々の支えもあって復帰の兆しが見え始め、9月から再び就労移行支援の施設に通い出し、さらにかつてから自分の夢であった精神保健福祉士になろうという、強い決意もあって今に至りました。 東日本大震災という大きな災害のあった年ということで、多くのみなさんが辛い状況にある中、自分自身は「今何ができるか」ということを考え続けました。 その答えがやっと見つかったのです。 被災地に出向いてボランティアこそできませんでしたが、神戸で被災地支援プロジェクトという被災地の障がい者施設などの商品を販売バザーする催しに2回ほど参加し、微力ながら被災地の応援をしました。 来年は専門学校で勉強することが中心となり、再来年1月の国家試験に向けて受験勉強も加わりますが、阪神淡路大震災でもあったように、今回の東日本大震災でも心の傷を負った被災地の方々や津波や地震だけでなく、福島第一原発の事故で故郷を失った方々の気持ちを考えると今でも涙が止まりません。 しかし、今自分にできることは、この大震災を絶対に忘れないこと、風化させないこと、そしてこれから長い時間をかけて被災した方々の支えとなりたい、そのためにも頑張ってこれからの一年を勉強したいと思っています。 今年前半、自分はその先のことを考えることすらできませんでしたが、今はしっかりと前を向いて歩いていく目標ができました。 みなさんにとっても、良い年になりますことを心からお祈りしております。
最近ますます甘えん坊になったコロです。もう3歳になったというのに、赤ん坊のよう・・・飼い主の私はもうメロメロです。
コロが手術をしてから1カ月が経ちました。
昨日で避妊手術をしてから2週間が経過しました。
今年私は本厄で、昨日厄除けに高砂神社へ行ってきました。
僕は平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災へのメッセージとして、「復興のともしび」~街はやがてよみがえる~という曲を作詞作曲しました。 あれから16年が過ぎ東北関東大震災が起きました。 基本的にメッセージに変わりはありませんが、今回の大震災の思いを改めてメッセージに込めて、3番を作詞しました。
「復興のともしび」~街はやがてよみがえる~ 「復興のともしび」~街はやがてよみがえる~
コロがストレスで毛をむしり始めて動物病院に連れて行き、飲み薬を処方してもらいましたが、飲んでくれたのは最初の一回だけ。その後は薬を警戒して攻撃的になり食欲も落ちてしまったので再び動物病院へ。 獣医師さんからは、発情期もピークに達していて、それに一連のストレスが加わったのではないかということで避妊手術を勧められ、3月21日に手術をしました。 手術して二日目までは食欲もなく、ほとんど動くこともなかったのですが、その後食欲も戻り現在では以前のように活発に動き回るようになりました。発情の行動がなくなったぶん、少し甘えん坊になったようにも見え、以前よりもナデナデされたがります。 毛をむしった後ろ足からはわずかながら産毛が生えだしてきました。ただ前足は小康状態で、後ろ足の足底はやや赤みがあり、腫れやただれが心配です。
コロの異変に気付いたのは大震災の2日ほど前のことでした。 やけに落ち着きがなく、抜け毛がいつもより多く、換毛の時期を迎えていたので、そのせいだとばっかり思っていました。 事態が深刻になったのは昨日の夜、足の裏の毛がなく、表も鳥の足のようになって、赤く腫れあがり、痛々しい状態になっていました。 いつも世話になっているラビットホテルのオーナーさんに夜分遅くに電話で相談し、とりあえず今日動物病院に行くまで応急処置を施しました。 原因は今のところ環境変化によるストレスや大震災が発生してから我が家では、テレビをほぼつけた状態で、特に映像から流れてくる大震災の音など、いつもと違う雰囲気に敏感なコロはストレスを感じてしまったのです。 症状は、そのストレスから足の毛がなくなるまでむしり続け、さらに毛がなくなった足を舐めることで細菌が入り赤く腫れあがってしまいました。 こういう状態では塗り薬は舐めてしまうので、飲み薬で炎症を抑えて1週間ほど、様子を見てくださいと獣医さんに言われました。 飲み薬は初めてだったので、直接は嫌がりましたが、僕の手に一滴ずつ取って、それを舐めさせて服用は成功しました。 一度なくなった毛が生えてくるのはすごく時間がかかり、その間炎症を抑えるためにできるだけ、足を舐めることをやめさせなければなりません。 長期戦の看病になりそうです。 大震災のことばかり気にかかり、コロのことは大丈夫だと思って、手薄になってしまったのが最大の原因だったと思います。コロも大震災のことですごく不安になっていたこと、いつもの環境と違うということを早くに気づいてあげられなかったことにすごく責任を感じています。 今はとにかくコロにそばにいてあげて、看病したいと思います。
みなさん、あけましておめでとうございます。 今年は卯年・・・うさぎ年ということで、我が家のコロが主役となる年がやってきました。 自分自身もうさぎのように飛躍できる年にしたいと思います。
はい本厄です
今年を締めくくるのにふさわしいのかどうかわからないが、今日22年ぶりに父親と電話で会話をした。 もちろん、今まで居場所もわからず市役所や区役所の戸籍係を辿って、ようやく見つけた。でも、だいだいこの辺りに居るということは聞いていた。だからと言って会おうという気は今まで全くなかったが、父親と別れた年齢と自分の年齢が重なって、いろいろ考えることがあり探してようやく連絡がついた。 父は家族を持っていた。このことはかなり前から自分は知っていた。だから邪魔したくなかったという気持ちもあった。しかし父は寝たきりの要介護5の状態で、人工透析を週に3回している状態だった。電話口の向こうでは、父の相手の奥様がどうも機嫌が悪い様子だったので、早く電話を切ろうと思ったが、父は僕の身体のことや、いろいろなことを聞いてきた。22年間の空白は、意外な電話一本で繋がった。 今年の初めは22年ぶりに高校の恩師と電話で連絡が繋がった。しかし恩師も体調が良くない様子だった。3月には初出場となる春の選抜高校野球の甲子園で、たくさんの恩師と出会った。 今年は、いろんな人との出会いもあり、トラブルもあったが心許せる仲間とも出会った。人との繋がりがとても多い年だったと思う。 年の瀬に父と話ができたことは、僕にとってはかけがえのない出来事だったと思う。会うことはできないが、そこに居るということ、そして生きていてくれていたということだけでも感謝しなければと思った。 毎年、ニュースで新幹線の駅や空港で帰省ラッシュの映像を見ると辛い思いをしていたが、きっと父も辛かったと思う。そして同じように母も辛かったと思う。 最後に父の言葉が印象的だった。お前の選んだ人生なんだから、好きなように生きていきなさい、と。 自分ではどうしようもなく不可抗力にしか思えなかった人生が、そうではなく自分が切り開いていった道で、これからも自分次第で道が開けていくことを、父から教えてもらったような気がする。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |