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Dr.Yamamoto's office → URL:http://www.ascorbio.co.jp/ デュースになった後、サーバーが次のポイントを取れば、「アドバンテッジ・サーバー(advantage server)」である。公式戦のアンパイヤーや几帳面な人は必ずこの様に言う事になっている。 しかし、リクリエーション組の我々の仲間は、もっと短く言うことの方が多い。何しろ働き盛りで時間の少ない人が多いのだから?。 「サーバー!」 これで十分である。粋な人は「サーバー、ソッチ」「サーバー、コッチ」と言うこともある。また、「マイ・アド(my ad.)!」、「ユア・アド(your ad.)! 」と advantage を略して言うことも多い。ちょっと教養のある人は、「アド・イン(ad.in)」とか、「アド・ヒア(ad. here)」とも言う。似合う、似合わないは別として、皆さん方も使ってみては如何? ただし、その場の雰囲気を壊さないこと。キザになり過ぎないこと。あくまで、エレガントにお願いします。 レシーバーがポイントをとれば、アドバンテッジ・レシーバーである。 さて、「アドバンテッジ」とは、フランス語の「....の前の状態」から派生して、優位、利点、有利、好都合、長所、強み、効用と言う意味に用いられている。少なくとも、悪い意味で使われる言葉ではない。 ここに、私なりの独善と偏見に満ちたテニスの効用を挙げてみることにする。 しかし、私のテニス歴は微々たるものであるので、テニスの効用を自分自身の経験のみで語るのは早計であると思う。そこで読者にお願いしたい。小生がこの本の続編を万一出版する機会があるならば、この項目を大幅に増やしてみたいと考えている。どうかテニスの効用について、皆さん方の独善と、偏見に満ちたご意見をお聞かせ願いたい。そして、もっともっとテニスの輪を広げて行きたいと企(たくら)んでおります。どうか、くれぐれもご協力の程を!。 一。「テニス仲間には腰の曲がった人がいない。」 そうです、サービスをおこなう時、自然と腰が伸びるからです。さらに良いことには、腰が伸び、背筋がピンとなると、それだけで 諸々の病気は吹き飛んでしまうこと、間違いなしです。 一石二鳥どころか、一石三鳥、四鳥、・・・・不死鳥です。 二。「タバコが止められる。ただし、酒は止められない。」 テニスのあとのビールを楽しみに頑張っている人があまりにも多いことを、テニスクラブへ入会して初めて知った。テニ ス人口を増やすためにも、スポーツの後の適度のビールは体にもいいと言うことにしておかなければならない。前日からの体にたまったアルコール及びその代謝産物を追い出すには、軽いストロークが最良の方法であるようにも思う。一方、タバコの方はどうか。これは「百害あって、一利なし」。ガン年齢になって狼狽(うろた)えないように! 「テニス愛好家はものわかりも良いらしく、私のまわりには、喫煙者は一人もいない」と言いたいのだが・ ・・・。 三。「テニスクラブに籍を置きテニスを楽しんでいるひとは、生活にゆとりがあり、上品な人たちだと、世間の人に思われている」。 ただし、私の場合は例外で、テニスに忙しく無駄 使いをする暇がないので、お金が節約出来ているのを喜んでいるような貧乏人である。上品さについては、少し異論がある。少なくともプレー中は、上品にやっていてはボールをぶつけられ、悔しい思いをするのが落ちである。 四。「世間付き合いが悪く、孤独な人もテニスで人生を楽しく過ごすことが出来る。」 口下手で、控えめなために上司や同僚と顔を会わせても、まともに挨拶も出来ない人が、ひとたびコートに入ると別人のように振る舞っている光景を見ることが多い。そして、コートから上がるとまた別の別人になる。 五。「テニス愛好家には悪い人はいない。」 テニス・きちは、暇が出来たらテニスをやっているか、テニスのことを考えているかのどちらかであるので、悪いことを考えている暇がない。従って、悪い人間になれない。これを「三段論法の我田引水」と言う。 六。「肩書きを越えた裸のつき合いができる。」 テニス仲間には、肩書がいらない。肩書きが邪魔にさえなることがある。だから、名刺の交換の必要性がない。ささやかではあるが、 これは資源の節約に立派に役立っている。因みに、名刺の交換から始まるゴルフの世界とこの点が際(きわ)だって異なっている。もう一つゴルフと異なっている点は、文字通りの裸 のつき合いはできないことである。それはなぜか。普通、テニスクラブにはゴルフ場のよう な大浴場がないからである。 七。「理想の相手を見つけることが出来るかも知れない」。 出来ると断言したいのだが、不幸にして私は正直であるので断言は出来ない。ちょっと見かけないうちに、いつの間にかま とまったカップルも何組かを知っている。しかし、男の強引さに、気まずくなって見かけなくなったミスも結構多い。そこで若い男性諸君に告ぐ。数少ない若い女性がますます少なくなっていくのは、われわれ熟年組にはとっても寂しく辛いことであるし、また、クラブの営業妨害になるかも知れないので、くれぐれもその行動には気をつけて欲しいと思う。 「言ってもムダだろうが。」 八。「(健康)美人になれる」。 老化は足から・・・とよく言われる。テニスは足腰の筋肉を鍛えるだけでなく、健康面で様々な効果があることは実証済だ。高血圧、心臓病などの成 人病や、骨祖しょう症などの予防、減量に伴うシェイプ・アップ、さらには、ストレスの解消に役立っています。脳の活動を活発にします。脚を動かすことにより、血液を心臓に押しやり、大脳の血流が増し、脳が刺激される。哲学者ソクラテスやアリストテレスは歩きながら考えたと言われている。脚を動かすことの大切さを経験的に知っていたのかも知れない。歩くだけで、脳に良いわけだからテニスで足腰を鍛えればどのようになるか明らかである。 テニス愛好者で、自分は健康面で、テニスの恩恵にひとつもあずかっていないと思われている方はいませんか。その方々は、テニスをはじめていなかったら、どんなに惨めな身体になっていたかを知るべきであると私は思います。ご免なさい (2007.7掲載) continued. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
Dr.Yamamoto's office → URL:http://www.ascorbio.co.jp/ 「スポーツは、ゲームやリクリエーションに一定のルールを当てがったものである。川岸に座る釣り人は、競争を始めるまでは、リクリエーションを楽しんでいることになる。模型飛行機を作ることはリクリエーションであるが、それにルールを当てはめると、スポーツになる。」 (クリストファー・ブレイシャー) テニスに限らず、全てのスポーツにはルールがある。ブレイシャーの言葉を借りると、上述のように「ルールがあるからスポーツと呼ばれる」のである。夫婦喧嘩もルールをもうければ立派なスポーツである。それを知ってかどうかは知らないけれど、世の中にはスポーツ感覚で喧嘩を楽しんでいるご夫婦が多いとか。 テニスには列記としたルールが存在する。勿論ルールは人間が作ったものであるから、小さな変更はシュッチュウ行われている。たまたま発生するとんでもないケースを想定して規則は作られている。我々、リクリエーションテニス愛好家がそれら全てを頭にいれておく必要は更々ないが、そのいくつかを知っておくのも悪いことではない。そのいくつかを日本テニス協会が発行している「コートの友’94」から紹介しよう。ただし、一般向けするように、趣旨を変えずに私が書き直しをしているのでご了解願いたい。 ◇ サーバーが第二サービスの動作に入り、ボールを空中にトスしたその瞬間、ラインパーソン(女性もいるのでラインズマンとは言わない)がサーバーの足がラインにかかっているの をみつけ、「フットフォルト」とコールした。そこでサーバーはトスしたボールをラケット で打たず、手でつかんでスゴスゴと次の動作に移行した。 さて、ルールブックに照らして、この場合サーバーはポイントを失ったのだろうか。テニスの友(テニスルール・ハンドブック)の解説によると、この場合、ラインパーソンは「フットフォルト」とコールした間違いを正すために「コレクション」とコールしなければならないと記されている。 なぜなら、この時点でサーバーはまだボールを打ち終わっておらず、従って、フォールのコールは間違っていることになる。ラインパーソンのコールは打ち終わった後になされなければならないのである。 そこで、アンパイアはサーバーであるプレイヤーに2個のサービスをするよう告げるのは正しい処置ということになる。 ◇ サーバーが第一サービスをフォールトしたので、第二サービスに備えて、ワインド・アップをしていた。ちょうどその時に、他のボールがコートの方へ転がってきた。アンパイアがそれに気づいて「waite・please」とコールした。 このようなケースは我々のテニスでは日常的によくあることであり、またそれほど重要な問題とはなっていない。しかし、公式戦や遺恨(いこん)試合では、このことが重要な問題 を引き起こすこともあると思われる。さて、それではこの場合、どの様な処置が正しいか。 答え。「アンパイアはレットをコールして、サーバーに2個のサービスを与える」である。 プレイヤーがこの突然の予期しない妨害によって、第二サービスのリズムが壊されたとも判断できるからである。ただ、転がって来たボールが本人が第一サービスに用いたボールではなく、他のコートから来たものに限ることは言うまでもないことである。 ◇ 混合ダブルス、第二セット開始の時、男子プレーヤーが前のセットの最後のサーバーであったにも拘わらず、またサービスを行おうとした。そこで、相手チームは元のローテーションを保ち、女子プレーヤーが最初にサービスをすべきであると主張した。 さて、その主張 は正しいか、正しくないか、判定は如何に? 答え。「相手チームの主張は誤りである。」 ダブルスの試合では、セットが変わればパートナー同士のサービスやレシーブの順序を変更することは自由である、とルールブックに唱われているからである。 ◇ プレーヤーがスマッシュで相手方にボールを正しく返球したが、ラケットが手から離れて、相手コートに落ちて地面に触れた。 さて、どの様な判定が待っているのか。 答え。「ボールがまだ飛行中か、最初のバウンド中に、ラケットが地面に触れた場合には、相手チームのポイント」である。 すなわち、イン・プレー中に侵害が起きたからである。 しかし、「ボールが2度目以後のバウンドをしている時にラケットが地面に触れた場合には、サーバー側のポイント」である。なぜなら、すでにアウト・オブ・プレーになっていると言う解釈である。 ◇ 試合中、ヒットしたボールがネットポストの外側を通って相手のコートに入ってしまった。このボールは有効か? 答え。「ポストの高さとは無関係に、つまり、ネットの高さよりも低い軌道を通っても、相手のコートに入れば、そのボールは有効となる」。 ◇ プレーヤーAとBがトスをしてAが勝った。そこでAが「あちらのコートでレシーブしたい」と言った。一方、プレーヤーBは「いや、私が最初にサービスをしなければならないの なら、そのコートでしたい」と言って、Aが望んだと同一のコートを指定した。 さて、この判定は如何に? 答え。「プレーヤBの言い分が正しい。」 なぜなら、プレーヤAはトスに勝って、サービスかレシーブかの選択権を得た。そして、レシーブを選択した。それに対し、プレーヤBはコートの選択権を得たわけである。その結果、Bは希望のコートからサービスを始めること ができると言う訳である。なお、トスに勝ったプレーヤーには、いずれかのエンドを取る権利、サーブかレシーブを相手に選ばせる権利もあることを知っておく必要がある。 ◇ サーバーが第一サービスをフォールトした時、レシーバーがそのフォールトしたボールを 打って、ストリングを切ってしまった。そこで、ラケットを交換するためベンチへ行って新しいラケットを手にしてゲーム再開となった。 さて、サーバーは第一サービスから始めるか、それとも第二サービスから始めるか? 「サーバーは、改めて二個のサービスが出来る。」が正解である。もっとも、第一サービスをフォールトした時に、サーバーのストリングが切れた場合は、あと一個のサービスしか出来ないことについては、疑問の余地はない。 ◇ ダブルスの試合で、一人のプレーヤーが試合の時間に来ないため、そのパートナーが相手方に対し一人でやらしてくれるよう要求した。 さて、この要求は受け入れられるか? 答え。 「ノー」である。 なぜ出来ないか? 規則だからです。 ◇ サーバーAの第一サービスが相手方コートのセンター・サービスラインをかすめたように 見えた。センター・サービスラインパーソンは「フォールト」とコールしたが、すぐにその過ちに気づいて「グット」をコールし訂正した。アンパイアは、このサービスをレシーバーBは返球出来なかったと判断したので、サーバーAにポイントを与えた。 ところが、レシーバBは「もし『フォールト』のコールがなければ、自分は返球出来た」と反論した。そこで、アンパイアはこの申し立てに同意し、「レット」とし、プレーのやり直しを命じた。 さて、アンパイアの判定通り、プレーはやり直しとなるのか、それとも判定は覆されるのか? 「アンパイアのレット・コールは間違いで、サーバーAのポイントとなる」が正解である。アンパイアがラインをかすめたサービスがエースであったと確信をもって判定した以上、プレーヤーの要求または提訴があったからといって、それを覆すべきではない。 ただ、プレーヤーの要求がある前に、主審が判定を誤ったと判断した結果、判定を変えることは構わない。 ◇ プレーヤーがトスをし、エンド及びサービスの選択を終えた後、試合を始めるまでに、天候など何らかの事情でその試合が延期または中断され、再開されることになった。 さて、その時、先のトスの勝者は改めてエンド及びサービスの選択をやり直せるか? 答え。「トス勝者の権利は継続し、改めて選択のやり直しができる。」 ◇ ゲームに夢中になっているあまり、サービスの順番を間違ってしまった。2ポイントが済んでから相手のクレームで気がついた。 さて、この場合、これまでのポイントはどうなるのか。また、これ以後どのような処置を取ったらいいのか? 「経過した2ポイントは有効である。3ポイント目から正しいサーバーでプレーする」が正解である。なお、誤りが発見される前にゲームが終わったときには、サービスの順番を入れ替わったままで行う。また、レシーブ・サイドを間違えた場合には、その場では元へ戻すことはできず、そのゲーム終了後に元に戻さなければならない。 概して易しい問題を抽出したつもりである。われわれリクリエーション組はこの程度の問題が理解でき、実行できれば十分である。テニス・ルールの裏をついて楽しみたい人は日本テニス協会発行の「コートの友」(非売品)を借りて目を通しておくことも必要かも知れない。 (2007.7掲載) continued. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
Dr.Yamamoto's office → URL:http://www.ascorbio.co.jp/ 学生達に「健康」について講義する際、「どうすれば病気にならなくてすむか」を予防医学・医療の立場から教授する時よりは、「どうすれば病気を治療出来るか」を現代医学の立場から薬物のメカニズムについて教授する時の方が学生も真剣に勉強してくれる。 何故だろうか? 一つには、治療薬の作用メカニズムが学問的に彼らを引きつける要素が多いことも事実である。また、予防医学・医療に対する興味が少ないのにも理由がある。彼らに予防医学的立場から「万一病気になったらいけないので、こういう事に気をつけよう」と語ったところで、彼らの大半が若くて現在健康であるので、「ああそうなんだ」と理解しても、真剣度に乏しく人ごとに聞こえてしまうことから来るのかも知れない。 そして、最大の理由は予防医学・医療の本質が、人間の先を読む、すなわち予測する能力や想像する能力と関係していることにあると思われてならない。人間の未来を考え予測する能力は、他の動物とは比較にならないほど高いものであると考えられるが、人間が持っている高い多くの能力と比較すると、もともとそんなに高い能力とは思えない。いわば進化中の能力であるものと思われる。しかし、困ったことに若者も含めその能力が退化し始めているのではないだろうかと考える時がある。 その理由は分からない。食物は農薬に汚染され、それを食する人間は一方で過剰のストレスに悩まされている。先端技術を謳歌している現代人は生殖能力さえもおかしくなっている現実を見るにつけ、「未来を考え予測する能力」の低下と関係していないものと信じたい。汚された食べ物と知識偏重の教育が、予防医学・医療の未来を阻害しないことを祈りたい。 Oasis Plaza 第5号 掲載
Dr.Yamamoto's office → URL:http://www.ascorbio.co.jp/ a)野菜や果物のビタミンC含量は確実に減っている ビタミンCは新鮮な野菜や果実に多く含まれていますが、ご承知のように煮たり、炊いたりするとほとんど無くなってしまっています。果物を材料に作られるジャムのような加工食品も加工過程で同じ様にビタミンCはほとんど無くなってしまいます。それ故に、ビタミンCを十分に摂っていると自負している方の中にもビタミンCの潜在的欠乏症に陥っている人が見つかっているのはさして驚くべきことでないのです。 ビタミンCが十分に摂れていない原因は他にもあります。路地栽培からハウス栽培に野菜などの栽培法が変わりつつある中で、野菜も果物も悪環境と戦う必要がなくなった結果、環境ストレスと戦うために自ら作っていたビタミンCをこれまでのように沢山作る必要が無くなってきているのです。その結果が、今日の野菜のビタミンC含量の半減化を招いているのです。 もう一つの原因は、物品の流通機構にあります。未熟な段階での野菜や果物の収穫に加え、空路、陸路での運搬と倉庫での長期の保存などの過程で、還元性豊かなビタミンCは酸化され分解してしまっているのです。 ビタミンCだけではなく、今日の野菜等に含まれる多くの栄養素についても早急に再検査を行い、教科書等に掲載されている値を改訂する必要があると思われます。 b)病魔の甘いささやき 人は高齢になるにしたがい、疲れやすい、しみやそばかすが増える、白髪が目立つ、筋肉が衰える、時々耳鳴りがする、記憶力が低下する、足腰が弱る、気力が減退するなどの症状が現れるようになります。これは高齢者なら誰にでもやってくる健康な老化現象です。 しかし、20代、30代の若者がこのような症状に悩んでいるとしたら、遺伝的な疾患でない限り、それは明らかに何らかの病気の前触れです。東洋医学で言うところの「未病」の状態です。病院で精密検査を受けても、医者に原因を教えてくれるよう懇願しても答えは返って来ません。検査結果にも明らかな異常は無く、医者が発見出来るような障害もまだ現れていない状態の時期であるからです。 しかし、この時期の病魔の甘いささやきを聞き取れるアンテナを持っているかどうかが健康にもどれるか、本格的な疾患に移行するかの分かれ道であることは、賢明な皆様ならばもうお分かりでしょう。 c)「ビタミンC不足で老化促進!」 最近の科学的エビデンス ビタミンCが不足すると老化が進みやすいことは、これまでに発表されてきた多くの臨床報告や雑誌等の記事で皆様方もよくご承知の事でしょう。ビタミンCが発見されて約80年たった2006年4月に初めて、科学的エビデンスが日本人研究者 東京都老人総合研究所の石神昭人らによって得られたのです。そのレポートの一部をご紹介しよう。 「マウスなどは人と違い、体内でビタミンCを合成できる。彼らは、ビタミンCを合成できないマウスを遺伝子操作でつくり、ビタミンCの少ない餌で飼育し、死亡で半数になる速さを比べたところ、通常のマウスは24ヶ月かかったが、遺伝子操作したマウスは6カ月で半数となった。死因は老衰によるもので、4倍の速さで老化が進行したことになる。 さらに、ビタミンCを全く含まない餌でこのマウスを飼育すると、人がビタミンCの欠乏でかかる壊血病の症状(注)が現れて、約半年後にはすべてが死んだ」と報じられた。 日本ビタミン学会ビタミンC研究委員会委員長の村田晃・佐賀大名誉教授は「ビタミンCの老化防止作用について、動物実験で科学的な根拠が出たのは初めてではないか。ビタミンCが不足すると老化が進むと言われてきたが、それを裏付けるデータで、より確実になってきた」と話している。 注(血管、皮膚、さらには骨のコラーゲン蛋白(細胞外マトリックス)の産生が障害されるため、歯茎からの出血など全身に出血性の病状が現れ、また皮膚も当然張りを失い、しわ、しみの目立った症状を呈する)。 我々の身体には免疫系、内分泌系、神経系、異物代謝系、活性酸素捕捉系、細胞修復系のような力強い生体防御システムが備わっており、病気にならないように出来ています。ビタミンCはこれらのシステムの全てに関わっていることから、その欠乏によって致命的な壊血病に至る過程で、生体防御システムの破綻が原因となって、がんやアレルギーを始め、生活習慣病(成人病)が引き起こることが知られています。ビタミンCが身近で馴染みの物質と言うことでついつい軽く評価しがちですが、それは間違った認識であることがお分かりでしょう。 Oasis Plaza 第5号 掲載
Dr.Yamamoto's office → URL:http://www.ascorbio.co.jp/ 先の「テニスの本質と奥義」に続いて、ここではテニスの本質と直接関係はしていないが、皆さん方ならばキットうなづいて下さるであろう、テニス仲間の共通の認識のようなものについて、マーフィーの法則風に綴ってみた。ご批判を乞う。 ◇ 洗車をしたときに限ってすぐ雨が降る。喫茶店を探しているときには、喫茶店はなかなか見つからない。そうです、「絶好調のときにはテニスの公式試合はありません」。 ◇ テニス愛好者はテニスの楽しみ方で二つのタイプに分類できる。テニスの楽しみ方で二つのタイプに分類しようとする人と、しない人である。 ◇ 二人が勝手に喋(しゃべ)りまくることを「会話」とは言わない。同様に、相手の存在を忘れたペアーは、「ダブルス」とは言わない。こんな場合は、「ペアー・シングルス」と 言えばいいのかも知れない。 ◇ テニスのゲーム必勝の秘訣は「ノー・ミス」にある。そして、ウイーク・デイの昼間のコートも「ノー・ミス」である。と私は聞いている。 ◇ テニスと野球はイチローを介して結ばれたことをご存じだろうか? 両手打ちのテニスプレーヤーを見よ。サービスをリターンしながら、そのままネットへと疾走するあのフォームは、まさしくイチロー打法ではないか。 ◇ 「科学」におけるすべての偉大な発見は、間違いをきっかけになされて来た経緯があることを我々は知っている。だから、「テニス」のトラブルの発生が、審判のミス・ジャッジと本人の欲望がきっかけとなって起こっているとしても、それは歓迎すべきことなのかも知れない。 ◇ テニスの試合でボロンチョン(「こてんぱん」あるいは、「ボロボロ」と言う意味)に負けたとき、「手も足も出なかった」と言うのは、「かいかぶり」である。「ラケットが出なかった」というのが「真相」である。 ◇ リクリエーション・ダブルステニスでは、美人と組んだ時には、勝敗は二の次である。むしろ、試合の合間に何を話したかが重要だ。 ◇ ミックス・ダブルスで戦況不利の時に、「美人と組めて嬉しいよ」という励ましの言葉だけで、何回勝利を手にすることが出来たことか。私は、この言葉で自分の技術の未熟さをカバーしている。 「なんといけない子でしょうね。」 ◇ テニス・コートには、ローン(芝)とオムニ(人工芝)とハード(セメント)とクレイ(粘土)とがある。したがって、コートの地盤には「ローンが重荷(オモニ)のハード氏がクレイジー(狂気)になった」との隠し文字が埋められているのを、ご存じでしょうか? かく言う私は、そういうことを未だに知らないのですが。 ◇ 「どんなに有益な講義をしてくれる教授も、休講にした無能な教授には劣る」という格言がある。私も教授の端くれとして、この格言に対しては複雑な思いがある。 ことほど左様に、人の評価は大変むつかしいと言うことである。たかがテニス、されどテニスの世界でテニスを楽しむためには、仲間の評価は最小限にしておきたいものである。 ◇ 人間は他人(ひと)の不幸に対しては同情する「習性」がある。だから、試合に勝ったときの話よりも、負けたときの話をするほうが、気持ち良く聞いてくれるものである。 しかし、それが出来にくいのが人間の「習性」である。 ◇ 夏休みでの、中・高校生のテニス強化合宿でありそうな話。 集中力をつけ、精神力を鍛えるため、コーチは彼らにお寺で座禅を組ませた。そして「この座禅で何を学んだか」を書かせた。生徒の素直な答えは、「長く座っていると足がしびれると云うことを学んだ。」であり、「座禅を組むと色々なことが頭に浮かんできて、この様にテニスばかりの生活をしていると自分は一生ダメになるのではないかと云うことを学んだ。」であった。 コーチの皆様、ご愁傷さまです。 ◇ 過日、テニスの試合の前、「これは1000円の高級栄養ドリンク剤だ」と言って友人にプレゼントしたら、大変効果があって元気はつらつの彼は実力以上のテニスが出来た。しかし、私はその原価が100円以下であることを知っているので、私には全く効かなかった。 これを「プラシーボ効果」と言う。ブラボー! ◇ 「先生、前があいてます!」 トイレ洗剤のCMに出ている森 毅先生のお陰で、世の中の先生方は皆んな、観覧席の前の方の席をすすめられる度に、何やらドッキとさせられながら、身だしなみを整える癖がついたようだ。 ◇ 「君はこのテニス・トーナメントで最後に笑うのは一体誰だと思う?」 「そうだなあ。それはたぶん、ジョークの分からない人だと俺は思うけど・・・・異論ある?」 ◇ テニスを観戦中の会話。「奥さん、今いくつになりました?」 「三・二ですわ。」 「まだそんなですか。」 「そうですよ。」 「実はもっと取っているかと思ったんですよ。」 「まあ、失礼しちゃうわ。」 「もっと離れてると思ったんですよ。」 「あっちが一年先輩ですから。」 「もう少ししたら来るからまた教えてね。」 「またですか? 私、うそなんかついてませんわ。明日なら誕生日が来るので3・3になりますけれど。」 「?」 ◇ 「このテニスクラブは皆様のものです。快適なクラブ環境とするため、我々職員一同は今後とも一層の努力を続けて参りたいと思います。[みなさまの、ほんとうのお声」をお聞かせ下さい。」と標示してあるテニスクラブに設置してある∧意見箱∨に向かって、小学生の子供達が、代わるがわる大声を張り上げていた。これ、正解! ◇ テニスは一種の「格闘技」であるとよく言われる。だから、小生、山本「格」はテニスとなると、必要以上に汗をかいて奮「闘」し、素晴らしい「技」を、お披露目しなければならないと本能的に思ってしまうのである。そして、それが災いして、とんでもないテニスをやらかしてしまう宿命にある。 以上(2007.5掲載) continued. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
Dr.Yamamoto's office → URL:http://www.ascorbio.co.jp/ 長方形のコートの中央をネットで仕切り、そのネットを挟んで相対した競技者が、ラケットで交互にボールを打ち合う球技の一種。当初、コート面が芝生であったことからローン・テニスlawn tennis(硬式テニス)と呼ばれていたが、管理上の難点から近年芝生のコートが極端に減少したこともあって、現在では単にテニスと呼称されるようになった。一九七八年にはテニスにおける唯一の国際的統括組織も「国際テニス連盟、International Tennis Federation」と改称された。なお、テニスを日本的にアレンジしたものに軟式テニスがある。 (日本大百科全書、小学館) テニスはサーブ権を決めることから始まる。通常はトスで行う。すなわち、硬貨を投げて表か裏かをあてることによりサーブ権を決める。セルフ・ジャッジのリクリエーション・テニスでは対戦相手のどちらかが自分のラケットを回して決めるので、スピンとも呼ばれている。ウイッチ(which)? ラフ(rough) or スムース(smooth)と尋ねながらスピンする。尋ねられた相手がスムースと返答したとしよう。スピンされたラケットの柄の部分に印されている商標文字が上向きか、下向きかで判断する。 実際には、例えばウイルソン(Wilson)を使っている場合には、Wであればスムースと答えた相手が当たりで、サーブまたはコートの選択権を得る。反対にMであればスピンした側が選択権を貰うことになる。もし、プリンス(Prince)製品ならば、PがスムースでPがラフと言うことになる。その他、頭文字以外の商標などが印されている製品でも事情は同じで、商標の上下が正しい位置に来ている場合にはスムースで、逆さまの位置の時はラフである。 スムースとかラフという用語は、もともとラケット面のガットまたはストリングの張り方から来ている言葉である。当然、面の張り方が「滑らか」な方がスムースで、「粗な」方がラフである。しかし、いちいち張り方を調べてラフとかスムースであるかを決めるのは、はなはだ「まだるっこしい」作業であるため、柄の商標が使われるようになったものと思われる。しかし、ラフ及びスムースという言葉だけは依然として使われていると言う訳である。この場合ラフが裏で、スムースが表というくらいの意味で用いられている。 ラケットの柄の部分を使わない場合には、前述のコインの表裏を使うトスで決めたり、ジャンケンで決める。 リクリエーション・テニスを楽しんでいる我々仲間の間では、「ウイッチ(which)」、「ラフ or スムース ? 」 「ラフ!」 「ウイッチ」、 「ダブル(W) or エム(M)?」 「エム!」 「ウイッチ」、 「アップ or ダウン ?」 「アップ!」 と言うように、実際には、簡略に、またより実際に即した言葉で尋ね、応答することが多い。 いよいよ試合開始である。 サーバーがサービスをする。審判のつかない、セルフジャッジの試合では、サービス・ボールが一定の枠の中に入らないとレシーバーは少し大きめの声でフォールト! と言ってやる。 公式戦では審判がつくので、審判がフォールトと言う。 セルフジャッジで試合をやっている場合には、実に様々な表現方法が採られている。相手のサービスがサービス・ラインを割っていれば、ディープ (deep)、バック(back)、ロング(long)など各人各様である。サイド・ラインを割れば、ワイド(wide)という人が多い。 しかし、無口の人の中には左手を軽く挙げてフォールトであることを告げる人もいれば、左手の小指をほんの少しだけ立ててそれを合図する人もいる。そうかとおもえば、ほとんど声らしき声もあげず、合図らしき合図も送らないひともいる。テニスのプレイにはその人の性格がよく表われると言うが、試合進行の合図ひとつとってみてもこの通りである。 サービスの球がネットに当たって入ったような場合、これはレット(let)!と言って、サーブのやり直しが求められる。ビートルズの有名な曲 「Let's it be !」は、「そっとしておいて」といった意味だが、ここのレットは「妨害する」から派生した言葉で、「サービスは入ったがネットに触れていた、だからやり直して下さい」という程度の意味と解釈して良いであろう。また、レフリーが付いた試合で、例えば、サービス・ボールが相手コートの規定枠内に入ったのに、レフリーがフォールトと誤ってコールし、すぐにその過ちに気づいて訂正した様な場合、これもレットでサービスのやり直しである。そんな時に限って、サーバーがダブルフォルトで自滅するケースをよく見かけることがある。テニスとはそんなものである。いえ、人生とはそんなものである。 再び、セルフジャッジの試合にもどるが、第一サービス時にレットがあった場合には、レシーバーはすばやく「ファースト・サービス(first service)」とか、「ツー・モアー(two more)」と言ってやる。正確には、「first service, please!」 であり、「Take two more.」である。第二サービスがレットの場合は、セカンド・サーブ(second service) or ワン・モアー(one more)であることは容易に想像がつくであろう。 ネットに当たって枠の中に入らなかった場合はどうなるのか。これは単なるダブル・フォールトに過ぎない。その時、あなたがレシーバーであれば、内心の嬉しさを可能な限り押し殺して、相手にやんわりと、「フォールト」と告げてやりさえすればいいのだ。 30ー30はポイントがイーブン(even)対(たい)であるので、日本では「サーティ・オール」と言う。しかし、外国ではしばしば「サーティ・アピース(thirty apiece)」という表現を使っているのを耳にする。リクリエーション・テニスを楽しんでおられるあなたも、時には気取って「サーティ・アピース」と言ってみてはどうだろうか。仲間は、あなたを見直してくれるかも知れない。そうでない場合は、すでにその場は白けているかも知れない。 ところで、40ー40はデュース(deuce)である。デュースになるとポイントを二つ続けて取らなければそのゲームをものにすることは出来ない。それがデュースの定義ならば、30ー30も同じではないのかと皆さん思われませんか。30ー30からそのゲームをものにするにはポイントを二つ続けてとらなければ勝てないのだから。そんな疑問を抱いているとき、たまたまアメリカの友人とお手合わせをする機会があった。彼は30ー30のときサーティ・デュース(thirty deuce)と言っているではないか。言葉としても、実際にも30ー30がデュースで、サーティ・デュースと言ってもよいことが分かった時には、オニの首でも取った様に嬉しかった。当然、40ー40はフォーティ・デュース(forty deuce)と言って区別される。
Dr.Yamamoto's office → URL:http://www.ascorbio.co.jp/ テニスを始めてから生き返ったように新しい人生を歩み始めた人が私の身近にいる。年金生活を送るその人、T.T.氏は、小生とほぼ同じ頃クラブに入会した。正直に言わせてもらうと、当時T氏の顔は青白く、歳相応の風貌であったし、闊達ではなかった。それが六年たった今、「日課の遊び」が実を結び、誰よりも進歩が著しく手に負えない存在になってしまっている。日焼けした顔は、艶もよく若々しい。その動作は、「青年のように」・・・・とはいかないまでも溌剌としており、若い者に混じって何の見劣りもしないテニスをやってのけるのである。 当初は極めて遠慮がちであった。テニスも言動もそうであった。今は昼間のご婦人たちの間では人気もので、彼女たちのお相手には、なくてはならない昼の帝王的存在になっているようである。「ヨイッショ」、「キャー」、「ワー」、・・・。コート上のT氏には昔のかげりは何もない。テニスの上達がその人の性質まで変えることが証明された一症例である。真におめでたく、嬉しい限りである。 T氏は60歳から始めて、今年66歳(多分)の初老である。わがテニスクラブでは最高齢者と言うことになる。クラブに出勤すると、自動販売機から缶コーヒを買って、まず一息をつく。ゆっくり辺りを見渡して適当な相手を物色する。そして、計画通りの楽しい一日の生活が始まる。真夏ともなると、10時に出勤し約2時間のテニスの後、昼食のため自宅に舞い戻り、そして暑さの収まりかけた4時ごろに再び現れ、日没までテニスを楽しむ。 先に「若い者に混じって」と表現したが、T氏の場合はどの相手も自分よりも若齢であるので、若者に混じらなければテニスが出来ないのである。だから、常に若者に混じってと言う形容詞がつきまとう筈だが、今はだれもT氏を年寄り扱いする者はいない。元気なこと、まるで人間離れした怪獣の様である。T氏は未だかつて、一度も準備運動をしたことがない。それでいて痙攣やコブラ返りを未だかつて起こしたことがない。だから、人間ではなくて、化け物であるのかも知れない。 T氏の生い立ちは誰も知らない。職業は船員であった。その後、船会社で事務職をこなし、60歳でめでたく定年を迎え、年金生活を送れる身分になったと聞いている。現在の趣味はもちろんテニス。ゴルフは年寄りの遊びと豪語する。雨の日は図書館へ通う読書人でもある。だから少し博学。若い頃は、仕事がら船員として世界中の港に停泊し、エイズのなかった時代を謳歌した経歴の持ち主である。その自慢話は沢山あるが、具体的にはここでは書けないのが残念である。 それはともかく、T氏のテニスの著しい進歩は何が支えたのであろうか。本人の努力は当然であるが、その他に、二、三あるように思われる。一つは船のうえで鍛えられたバランス感覚が活かされているものと思われる。もう一つは、卓球で鍛えたフットワークとボールを当てるタイミングではないだろうか。気になったのでそれとなく調査したところ、当クラブでも上級者なかに、卓球を趣味にしている人が何人かいることを発見した。 雨の日のテニス強化法として、「卓球貢献説」を奨励するコーチがいてもおかしくないと思われるのだが、どうであろうか。 ある人がテニスを始める以前、つまり「過去に何をしていたか」を知ることは、テニスの上達の予見と言う観点から重要なポイントになるのではないだろうか。T氏のように、卓球のようなスポーツをやったことのある、いわゆる「過去の有るひと」は、本人が意識する、しないに関わらずテニスの進歩が速いと思われる。もし、あなたが「かなり」の卓球経験者のであるならば、自分に暗示をかけて頑張って欲しいものである。必ずやすばらしいテニスプレイヤーになるであろう。T氏を観察していて、つくづくそのように感じる今日この頃である。 追伸:人は誉めると禄なことがない。T氏は先頃、プレー中に足を引っかけ骨折した。3ヶ月はテニスを楽しめない身分になってしまった。 以上(2007.4掲載) continued. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
Dr.Yamamoto's office → URL:http://www.ascorbio.co.jp/ テニスは庭球とも言う。正式名称はローン・テニス(lawn tennis)。コート中央のネットを挟んで、ラッケトでボールを打ち合う球技のひとつ。紀元500年頃エジプトまたはペルシャに始まったといわれ、15~16世紀になってフランスやイギリスで広く流行した。現在の形は1874年イギリスのウイングフィールドよって制定された。日本には明治11年(1879年)、アメリカ人 G.E.リーランドによって紹介された。代表的な競技会としては、デビス・カップ大会がある。 (三省堂現代国語辞典) 得点0をなぜラブ(Love)と言うのか。 愛に陥ると視界が0となってしまうからなのか。それとも、「ラブゲ-ム=愛のゲ-ム」はいずれは終わりとなって、また0からスタ-るからなのか。深く(?)考えれば考えるほど解(わか)らなくなる。そこで考えるのを止めて手元のコンサイスを引いてみる。 Love; 愛、愛情、恋愛、恋、性欲、〔テニス〕0 点、無得点とある。 ここには「愛」と「ゼロ」を結ぶ糸口は見つからない。 そこで、しかるべき書物をひもといて見ると、次のような解説を見つけることができた。詳しくは「楽しむテニス」 加茂公成著 (リヨンブックス)、「テニス・プレーヤーズ バイブル」 橋爪宏幸著 (千早書房)、「先生なぜですか。ぜろのことをなぜラブと呼ぶの?」 稲垣正浩編著 (大修館書店)、「テニス 初歩の初歩」 竹下 正著 (千早書房)などを参考にされると良いであろう。 フランス語で「卵」を「ロエフ(l'oeuf)」と言う。ゼロ(0)と卵は形が似ているので、フランスではポイント「ゼロ」は「ロエフ」と呼ばれていた。ところが、このゲームがイギリスに伝えられたとき、「ロエフ」の発音がイギリス人には結構難しいことから、似た発音を持つ「ラブ(love)」と呼ぶ様になったという説。 第二の説は、フランス語で「何もないこと」を「ルフ(luff)」と言うが、これがいつの間にか「ラブ」となったと言うものである。 第三の説は、「love」にはもともと、「nothing」とか「zero」という意味があったが、現在それが死語となってしまっており、テニスのカウントにのみ残されているというものである。当時のイギリスとフランスの関係は良いものではなく、イギリス人はフランス語を使うよりも、自国語の「love」をゼロの意味で使うことを選んだとする説である。 第四の説は、イギリスの国技であるクリケット由来説。クリケットでは、打者の得点が0に終わると、duck(あひる)とか、duck’s egg(あひるの卵)という表現が古くより用いられている。そうすると、やはり、loveはフランス語「ロエフ(l'oeuf)」の代わりに用いられたとするのが妥当かも知れない。 ことほど左様に深―い、深ーい由来と意味があったのだが、少なくとも複数の説があるということは、未だにはっきり分からないということでもある。 ところが、最近になって、これらの説を根底から覆(くつがえ)す新説が奈良重幸氏により発表されているのでその概略を紹介する。(「先生なぜですか。ぜろのことをなぜラブと呼ぶの?」 稲垣正浩編著 (大修館書店)より引用) 既存の説はいずれも、ゼロ(0)の数字に卵のイメージを重ねたものと受けとめられる。しかし、実は「ゼロ」という数字の概念が誕生したのは、13世紀のイタリアとされている。ところが、テニスの原型である「ポーム」は11世紀にその起源を持っているので、ゼロというカイウントの仕方はなかったということになる。 では、ゼロはどの様にカウントしたか。そこで登場したのが、ラテン語の「アブ・オボ(ab ovo)」説である。アブ・オボとは「最初から」と言う意味で、しかも、オボは「卵」の意であることから、もともとは「卵から」と言う意味だったと言う解釈である。 古代ローマ人の餐宴では卵を最初に出したことから、この様な言葉が生まれたというのです。この様に、フランス語のロエフ、そしてその転訛(なまり)とされる英語のラブの原点はラテン語の「アブ・オボ」にあるという次第です。 つまり、「初めを」意味する「卵=ラブ」が先で、「ゼロ」が後だと言うのがこの説の根本的に新しいところと言うことになります。 誰でも経験があると思うが、テニスにおける愛(0)の行進は淋しく辛いものである。一時も早く、愛から抜け出して1、2、3 とポイントを稼ぎたいものである。真の愛をまだ経験したことのない人に言わせると、「少し贅沢な悩みだぜ」あるいは「そんなの、ちょっと贅沢な悩みよ」と言うことになるのであろうか。
Dr.Yamamoto's office → URL:http://www.ascorbio.co.jp/ 15~16世紀にフランスの貴族の間で大流行したポーム(paume)という球戯がテニスの前身と考えられている。ポームはフランス語で「手のひら」という意味。ボールを手のひらで打っていた。そして、ゲームを始めるとき、「トウネ(tenez)(用意はいいですか)」と声をかけていた。これが後にイギリスに渡ってテニス(tennis)になったといわれている。 さて、 フィフティーン・ラブ(fifteen to love)(15ー0) サーバーのAさんワン・ポイント サーティ・ラブ(thirty to love)(30ー0) Aさん2ポイント・リード ・・・・・・・・・・ フォーティ・サーティ(forty to thirty)(40ー30) Aさんのゲームポイント ・・・・・・・・・・ レシーバーのBさんがミスして ゲームカウント ワン・ツー・ラブ (one to love)(1ー0)でAさんのリード コート・チェンジ。 テニスのゲームは、いつもこのようにして始まる。ワンポイン毎に0のつぎは15で、15の次は30。30の次は45でなくて、なぜか40なのである。しかし、このカウント方式に疑問もつ人は少ない。0、15、30、40、0、15、30、・・・・順列の法則からは、解(かい)は決して見出せない。この数列には恐らく天才にしか解(と)けない法則が潜んでいるのであろうか。 今日のスタイルのテニス(ローン・テニス)はイギリスに始まり、フランスやアメリカに伝わったとされている。当時のヨーロッパでは至る所で六十進法が用いられていた。そういう生活習慣の中から、テニスのポイントの数え方も考案された。また、1/4の単位はクオーターと呼ばれ、彼らが好んで使う単位である。テニスの奇妙なカウント方式は、六十進法とクオーターという単位が関係している。六十進法の典型は時計の表示に見られる。0から60までの表示がしてあるアナログ時計の文字盤を四当分してじっくり眺めてみよう。全体を1/4単位で眺めると、上が0、右が15(1/4)、下が30(2/4)、左が45(3/4)であることに気づく。 そうなのです。テニスのカウントはクオーター単位で、0→15→30→45→60(0)と進むはずであったのです。ところが、欧米人にとってもフォーティ・ファアイブ (forty five)(45)は面倒で発音し難くかったものと思われる。その結果、フォーティ・ファアイブ(45)をフォーティ(forty)(40)と簡略化してしまったそうなのです。短縮形が使われるのは決して珍しいことではない。例えば、Soccer(サッカー)は Association of football player(フットボール選手の協会)からきていることは、ご存じであろう。 「45」が「40」となった経緯には、別に次のような説もある。すなわち、その昔、審判は実際に時計の文字盤を使ってポイントを表示していたのであるが、その際、針を15→30→45と進めると、デュース表示ができなくなってしまった。はたと困った審判は、そこで、苦し紛れに3ポイント目を40にし、アドバンテージで50、ゲーム・オーバーで80とカウントしたことがことの始まりとするものである。 さらに三つ目の説がある。それは「40」と言う数値の持っている意味と関連づけたものである。当時のヨーロッパの人々の間では、「40」という数値は「ことの白黒をつける。つまり決着をつける」と言う特別な意味をもつ数値であった。 例えば、ヨーロッパで黒死病と呼ばれるペストが流行したとき、ベネチアでは外国からやってきた船員を「40日間」隔離して、ペストに感染していないかどうかを確認してから入国を許可したと言う話がある。 旧約聖書におけるノアの洪水も「40日間」であった。新訳聖書にあるキリストやモーゼの荒野での修行も「40日間」であった。 さらに、「40日間」の婚約公示という制度があった。 などなど・・・・。 このように、「40」という数字は、「ものごとの決着をつける日数」としてよく知られていた。これがテニスの勝敗の決着をつけるカウントに応用されたのではないかとの、穿った見方もある。詳しくは、稲垣正浩編著の「先生なぜですか」を参照されたい。 テニスでは、40ー40となった場合にはデュースにもつれ込み、2ポイントの差をつけないと決着しないことはご承知の通りである。 何れの理由にしろ、欧米とは風俗・習慣も異なり、正確無比で融通性のきかない日本人である我々には、45 = 40とう図式は断じて承認する訳にいかないのだが、致し方のないことである。 ところで、スコアリングのことで不思議なことがあるので聞いて欲しい。それは皆さんもお気づきであろうが、通常のテニスの試合では最後の60という数値がどこにも登場しない点である。野球では、例えばスリーアウト、三振など決着数字が表現される。ところが、テニスの場合、60が決着の数字であるはずなのに、いつの間にか40が決着の数字となってしまっている現実がある。 スコアが(A)40ー15(B)である場合、次に(A)がポイントを取れば(A)60ー15(B)となって、(A)がゲームを征したことになる。しかし、この場合決して60 (sixty)(シックスティ)ー15 (fifteen)(フィフティーン)と言わない。単に、ゲームと言うだけである。 もうひとつスコアリングに関して小生が疑問を持っている問題を一緒に考え、悩んで欲しい。それは、サーバーが初めのポイントを取ると、スコアは15ー0であるので「フィフティーン・ラブ」の筈である。公式戦では、勿論フィフティーン・ラブであり、日本人は99%この様に言う。しかし、私の経験では、アメリカなどのリクリエーション・テニスでは必ずしもそうではない。フィフティーン (fifteen)(15)の代わりに5だけを取り出してファイブ(five)を使う人がいる。先日、わがクラブに遊びに来たサンフランシスコから早稲田へ留学中の学生、ディーン君も15ー0はファイブ・ラブ(5ー0)と呼び、15ー15はファイブ・オール、40ー15はフォーティ・ファイブとのたまわっていた。このように、簡略化は常に進化しているようである。たかがスポーツ、そんなに目くじらを立てる必要は無いのだが・・・。 (2007.3掲載) continued. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
Dr.Yamamoto's office → URL:http://www.ascorbio.co.jp/ 「ゴルフ」とは、コースに向かうときは80を切ろうと努力し、 帰りの車中では、今度こそ100を切ろうと考え込む人たちによって 行われるゲームである。 (レオナルド・レビンソン) この至言に倣って、私が信じる「テニス」というゲーム(スポーツ)の「本質と奥義」、いわばテニス道について独善と偏見で綴ってみることにする。 ★ テニスとは、対戦相手よりも一つだけミスを少なくしようと秘かに心に決めながら必ず相手よりも一つだけ多くのミスを犯してしまう人達によって争われるゲームである。 ★ テニスとは、相手を破壊する最強の攻撃技術のことを「サービス(奉仕)」と呼ぶ実に不遜で傲慢なスポーツである。 ★ 唯一サービスだけが自分の力でコントロール出来るボールである。それなのに、「サービスが嫌い」というのは、権利を放棄したお人好しか、利己的な人のやることである。 ★ テニスとは、練習通りにできれば、なんと言うことはないスポーツである。ただ、練習通りのボールがやって来ないところが、唯一で最大の問題である。 ★ テニスとは、「サービス・エース」と「ダブル・フォールト」との間に演じられる出来事を楽しむゲームである。サンプラスとイワノセヴィッチとの戦いを観戦すれば明白である。 ★ 「気づいてもらいたいけれど、ジロジロと見られるのはいや」というのが、[微妙な女ごころ]である。 ところで、スマッシュで球をぶつけられたり、ボールがネット・インした時、「何の挨拶もないと腹が立つが、あまりワザとらしく、ゴメン、ゴメン、ゴメン・・・・・と謝られるとかえって腹が立つ」というのが、「微妙なテニスごころ」である。 ★ テニスとは、0から40の間を行き来する若者のゲームである。40(歳)を過ぎた人が楽しんでいるのは、「テ・ニ・ス」というスローな別のゲームである。 ★ テニスとは、40+ワンポイントを稼がない限り、結果が残らず、0の積み重ねに甘んじなければならない、冷酷、無慈悲なスポーツである。 ★ テニスとは、実に簡単に多くの友人をつくることができるスポーツである。熱中症、捻挫、痙攣、アキレス切断、筋肉離れ、骨折、腰痛、肘痛、体のシビレなど、その気になれば彼らとは何時でも良き友達になることができる。 ★ テニスとは、まさしくその技量と人格とが関係するスポーツである。優秀なプレーヤーは、相手を欺(あざむ)き、相手のスキをつき、相手の最も嫌がっているところへ平気でボールを配給できる、立派な人格者でなければならない。 ★ テニスとは、その技量と人物とは全く関係のないスポーツである。もし、テニスの上手な人が、下手な人よりエライというなら、テニスを知らない人は、そろってダメな人ということになる。 ★ テニスとは、恋人同士がダブルスを組んで行うと楽しいスポーツである。互いに助け合いかばい合い、また慈しみ合うからである。 ただ、その夜の楽しみ方は、恋人関係により千差万別であるが。 ★ テニスとは、夫婦同士は間違ってもダブルスを組まない方がよいと思われるスポーツである。どちらがミスしてもわがままが出て、険悪な状態となる。 ただ、その夜の仲直りの方法は、どの夫婦でも同じではあるが。 ★ ダブルスで初心者と組んだ上級者は、その初心者に「何もしなくてイイヨ。手を出さなくてイイヨ。」と「親切」な言葉をかけない方が「親切」である。 初心者だってそこまで言われると・・・・・。 ★ ダブルスでミドルを抜かれる確率は、ペアー間の信頼関係の深さと、技術の未熟さの自乗に比例する。これをニュートンの第三法則(?)と言う。 ★ ダブルスで初心者と組んで試合に臨むのは、大変辛いことである。しかし、自分の真の力が分かる絶好の機会ではある。このことが分かるまでには五年かかると言われている。 ところで、私の場合は、5年経ったがまだ分かっていない。 ★ ミックス・ダブルスは、カップル同士が道でスレ違う時の情景に似ている。 「男は女」をチェックし、「女も女」をチェックする。 ★ 私の場合、テニスとは、「リラックス、リラックス」とつぶやきながら、やはり「肩とグリップ」に力が入ってしまって、絵に描いたようなミス・ショットをしてしまうスポーツである。 ★ ご婦人たちの場合、テニスとは、やがて帰ってくる子供たちや夫のために、大きなシャモジを振り回して行う、夕食作りの準備運動のひとつである。 ★ 新曲レリース 谷村新司作詞作曲「テニス顔」:♪ 帰り支度の更衣室で、女は「テニス顔」から「母の顔」になる・・・・・・。 同「テニス顔 partII」:♪ 帰り支度の更衣室で、女は「テニス顔」から「女の顔」になる・・・・・・。 ★ 日本のテニス界を世界最強のものにするのは、いとも簡単である。それには、家庭ではもはや見られなくなってしまった「和式トイレ」を復活させればすむことである。 因みに、私の二人の息子は和式トイレを知らないので話が「通じ」ていない。 ★ テニスとは、間違いなく若さを復活させてくれるスポーツである。それでも悲しいかな、いつかは、「自分は歳をとったな」と感じる瞬間はやってくる。 それは、あさ目覚めたとき、顔についていたスジ状の布団の跡がなかなか消えなくなった時である。 ★ テニスとは、もともとラブ(愛)がゼロ(0)を表すスポーツである。 それ故に、不毛の愛であるテニス・ウイドウ(未亡人)やテニス・ウイドワー(男やもめ)がいくら増えても、なにも驚くことはない。 ★ 『ポイントのゼロ(0)のことをlove(愛)と呼ぶのは、相手に対する「思いやり」である』とする俗説がテニス界にはある。 これは真っ赤な嘘であると分かっていても「思いやり」のために、今日までこの俗説は俗説として残されている。 ★ 予期せぬ出来事に対する対策はない。だから、フレーム・ショットを得意とするビギナーも上級者との試合において、1、2ポイントは取れることもある。 ★ テニスとはハイテクを毛嫌いするスポーツである。 なぜなら、ネットの中央にバンド(セントラル・ストラップと言う)をかけて少し低くしてあるのは、その昔ネットを張る技術が未熟で、中だるみの状態でしか張ることが出来なかったことの名残を、頑(かたくな)に守っているからである。 ★ テニスとはラケットを分身として戦うスポーツである。 その証拠に、ミス・ボレー、ミス・レシーブなどをしたときには必ず、腕を見ずに、ラケットをマジマジと眺めているではないか。それはおろか、時には「バカヤロー」と言ってラケットをたたきつける人がいるではないか。 ★ 一流プレーヤーとは、相手のレベルに合わせて試合を楽しみ、必ず勝つテニスをする選手のことである。 蛇足だけれど、格下相手に自滅のテニスをしてしまう選手のことを二流選手という。 再び蛇足だけれど、自滅寸前の相手に自滅のテニスをしてしまう選手のことを三流選手という。 ★ テニスとは、もともとは混合ダブルスが主体の、男と女が球(玉)と棒を介して戯れる、優雅でソフトで、そして楽しい大人の遊びであったという。 そうすると、さあ「イクよ」、さあ「入れるぞ」と合図して試合を始めるのは、そのむかしテニスが18歳未満お断りの遊びであった名残りなのかな? ★ テニス界には、たった一人不幸な人がいる。 それはランク一位の者である。自分より強い人を相手に練習をすることが出来ない不幸である。 その様に考えてみると、我々初心者はなんと幸せななことか。 ★ テニスは、ハンディの与えられないスポーツである。 それ故に、同レベルの人たちが好んでグループを作りたがるのは、「偶然」ではなく、「必然」である。 ★ テニスは、本来、2ポイントと2ゲームの決着を楽しむスポーツである。2ポイントの差をつけるために40ー40からデュースが考えられたが、デュースのために試合時間が長くなっている。一方、ゲーム・カウント6ー5から2ゲーム差をつけるために、試合が永遠と続くことを恐れて6ー6からタイ・ブレークに入るルールが導入された。 この様に、テニスとは、矛盾を楽しむスポーツの代表格である。 ★ いつも方向軸のずれる人は、信用できないし、美しくもない。 テニスの世界においてもそれは真である。エバートが美しかったのは、体軸がしっかりして崩れなかったからである。 最後に、スポーツ全般に関する私の好きな名言を、ここにいくつか紹介しよう。 ◇ 勝ちたいという気持ちは誰にでもあるが、 勝つために準備する意志力をもつ者は希れである。 (ヴィンス・ロバルディ) ◇ 常にまともな人とゲームを楽しみたいならば、 決して相手と敵対するようなことはしない方がよい。 また、常にゲームには勝つことが必要であるが、 決して相手を打ちのめすようなことはしない方がよい。 (アンドリュー・ベイリー) ◇ 後年になっても覚えているのは、 スコアでもなければ試合結果でもない。 今でも心の中に残り、頭に浮かんでくるのは スポーツを通じ出会った人たちである。 (ネビル・カーダス) (2007.3掲載) continued. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission. │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |