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パース通信 ( Duke in Perth )

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2014年10月22日
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はっきりとは覚えていませんが90年代の初めに
今や大企業になったH.I.Sの創業者の澤田さんという方と
パースでお会いする機会がありました。

彼からの勧めもあってH.I.Sのパース店を開業いたしました。
この会社をそのまま続けていればH.I.Sの興隆に合わせ
成長してわが身も安泰だったと思いますが、他のビジネスに気をとられ
マネージャーをやってもらってたYさんに持ち株を譲りました。

90年代にはまだ小金を持っていたのでジャガーの新車を乗り回し
遊び歩いていたパーティでイタリア人のシェフと知り合いました。

意気投合したといおうか、彼の口車に乗ってしまったといおうか
何と事もあろうかパースのKINGS STREETにイタリアンレストランを
開店しましたが、案の定、素人がオーナーの店はすぐに左前になり沈没。

未だ未だ懲りずに今度は学生時代の友人と一緒に
パースで自動車修理工場と中古車ディーラーを始めました。

計画では安い日本の中古車を仕入れ、日本人のメカニックも雇い
順調に進むと思いましたが、これも素人商売の悲しさ
車のことも知らず車がただ好きだけでは経営はうまくいきません。

友人、知人と一緒に商売を始めますとお金が絡んできますから
何時までも考え方が同じで良い方向に向うと言うのは稀ですね。
私はどちらかと言うとお人よしですが自己中な性格ですので
奥様や家族の話をちゃんと聞かずに突っ走ってしまったのです。

今このブログを書いていてもアアあの頃の俺は本当の馬鹿だったなあ~
と思い出しては痛恨の反省の念ばかりが浮かびます。
発明王、「エジソン」が、残した名言として、「失敗は成功の元」とは
言いますが「学習効果のゼロの人」と家族に言われても仕方ありません。

あまリ失敗の数が多いのですが、刑務所に入るような大失敗は無いので
どうにかこれまで生き抜いてきたんだな、と自分を慰めています。
しかし一番の被害者である妻や娘達に離縁されないのがせめての救いです。

私には相撲のタニマチに似た匂いがするのでしょうか、
アボリジニーの地位向上運動に励んでいた現地人と知り合い
アボリジニー新聞の発行スポンサーに祭り上げられました。

日本の部落解放運動みたいなもので被差別民族の地位向上と
言う名目でアボリジニーの草の根運動に協力いたしました。

アボリジニーの人たちはオーストラリアの白豪主義の被害者みたいなもので
赤ん坊のときに実の親から取り上げられて白人の教会で育った人など
悲惨な境遇だった人が多数います。

しかし実際アボリジニーの社会のなかに入ってみますと
一部の高等教育を受けたアボリジニーが特権階級として存在し
アボリジニー利権を独占しています。

私が遠隔地に住むアボリジニーが医療の進んだパースの病院まで
来たときに滞在できる民営のゲストハウスをパース市内に
建設しようと市役所に申請を出したときは大変でした。

市役所が開催した公聴会には建設予定地の近所の住民が
大挙して押しかけ、そんな建物ができたら治安が悪くなると
出席者の99%が反対で、申請者の私と設計家が晒し者にされ
四面楚歌とはこういうものだと実感できました。

理想と現実の大きな違いに直面した貴重な場面で
アボリジニー新聞も当然のことながら廃刊の憂き身となりました。
そして、このビジネスも結局数ある失敗談の一つになったわけです。


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最終更新日  2014年10月22日 10時22分40秒
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Re:90年代のビジネス顛末紀 (10/22)   hy3de8 さん
Dukeさんの回顧録を読んでるとその時その時の事がおぼろげながらも想い出されてきます。
HISのYさんには貴方が入院中に一方ならぬお世話して頂き、楽しいパース旅行を楽しませて頂きました。
HISはどうしたんだろうかな~と思っていましたよ、納得です。
ジャガーに乗ってた頃は私がそちらに伺った時に乗せて貰いましたよ、その時はジャガーの乗ったのが最初で最後でした(笑)
自動車修理工場と中古車ディーラーをやり始めた時は日本からソアラを輸入したいとか話していた事もありましたね。
アボリジニーの件も話を伺った事が有ったな・・・とか、ホント色んな事に挑戦してましたね、コンビニとかバンパックとか頑張りましたね。
今は静かに奥様と一緒に暮らせる喜びを味わってるところですね。 (2014年10月23日 10時11分57秒)

Re[1]:90年代のビジネス顛末紀 (10/22)   Duke さん
hy3de8さん
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引越し運送業のバンパック社のことはすっかり忘れてました。
仕事も大して無いのに大型トラック2台、小型を1台用意して社員も4人雇って頑張りました。

マネージャーもアホだったけどボスの私がそれ以上馬鹿だった。
2000年代に入り他人を使うことはやめ不動産関係の仕事に
集中したおかげで今でもどうにか且つ且つで生き延びています。
人は裏切りがあるけど不動産は自分から手放さなければ価値はそんなに下がりませんね。 (2014年10月23日 10時27分56秒)


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