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「♪男たちよ 限りなく 愛してあげなさい
女たちよ 果てしなく 生きてあげなさい」 これは20年前、吉祥寺のライブハウス「のろ」で 私のぶしつけなサインのお願いに応えて 加川良が書いてくれた「日本海が広がっている」という歌の一節です。 私の青春は(とあえてありふれた言い方をしますが) 加川良のLPとともにあったようなものでした。 ファーストアルバムの「教訓1」(71)を買ったのは 岡林信康のコンサートがきっかけでした。 前座として登場した彼ですが、 岡林を超えるインパクトある詩と迫力の歌唱でアンコールでは 彼への声が遥かに勝ってました。 「伝道」・・・『♪悲しいときにゃ悲しみなさい。気にすることじゃありません。 あなたの大事な命に関わることもあるまいし」 セカンドアルバムの「親愛なるQに捧ぐ」(72)では コンサートを地元のホールの一番前で見ていた私は、 「偶成」「下宿屋」と一気に続く息詰まる緊張感の中、 周囲もかまわず涙したことをいまも鮮明に覚えています。 「下宿屋」・・・「♪一杯飲み屋を出て行くあんたに空しい気持ちがわかるなら 汚れた手のひら返してみたって仕方ないことさ」 サードアルバムの「やあ」(73)では「大晦日」「百円札」 そして「流行歌」でしょう。 4thアルバムの「アウト・オブ・マインド」(74)は一転して明るく 「ラブ・ソング」「あした天気になあれ」。 ※この中には、高田渡の長男でいまミュージシャンとして活躍している 高田漣の赤ちゃんのときの泣き声が入っています。 小椋桂とともに東京キッドブラザースの音楽を担当(自らも主演)した 「十月は黄昏の国」(75)を経て「南行きハイウェイ」(76) 「駒沢あたりで」(78)。 ここでは一曲目から加川良節が炸裂します。 「女の証し」・・・「♪いつまでさみしい女を気取っていましょうか いつまで机の前で落書きばかり続けましょうか」 そして「プロポーズ」(81)「加川良with村上律」(83)。 ここまでがLPであとはCD。 「ONE」(91)「2[tu':]」(93)と続き、『加川良WITH TE-CHILI』(96)。 最近では自主レーベルで『USED』(02)『USED2』(04)。 そう、20年前が最後ということは、 それまで一年に一回は必ず行っていた私の加川良ライブ体験は LP時代で終わっていたわけです。 その理由としては、加川良がそれまでライブを行っていた 吉祥寺「のろ」や下北沢「ロフト」でのライブを行わなくなったことにありました。 ところがいい時代になったもので、ネット上では 「加川良伝説」を追いかけている若い人たちがたくさんいることが判明。 加川良自身もついにホームページを立ち上げました。 そこで知ったのが、下北沢「ラカーニャ」で 一年に何度かライブを行ってるということ。 というわけで前ふりが長くなりましたが昨日、ラカーニャに行ってきました。 なんと7時からのライブには3時から並び初め、 しかも九州・大分から来た人までいるとのこと。 根強い人気のほどを感じさせます。 狭いライブハウスに優に100人を超える人が入り、 中には子供連れの家族や若い人たちもいました。 しかし、圧倒的に多いのは私と同世代のおじさんおばさんたち。 同じく一人で来てられたとなりの方に話しかけました。 我孫子からというその方は、毎年このラカーニャに来ているとのこと。 ライブで驚いたのは、さびの部分で一斉に客も歌いだすこと。 「♪一番電車を見送って目覚めの紅茶を飲んで、 シャツの袖をまくり上げ、おんぼろ車に乗って」(「あした天気になあれ」) 「♪あのレールのずっと向こう。どこまで行けるのかね。 ほんととこの先ボクは何をすればいいのかね。落ち着かないんだ」(「ラブソング」) と、このあたりは空ですらすら書けます。 でも白眉は初めて聴く新曲 「♪若い頃はただそれだけで すべてのことが許されて 過ちさえも美しく わがままであれば」で始まる曲でしょう。 そのサビは 「♪ぼくらはみんな生まれたときから滅び行く道の上に花を飾っている」だったかな。 しかしこの正式タイトル、なんて言うんだろう? そして 「♪星はいいな。ただそこにある」(これも新曲?) ラストは「教訓1」。あの頃とは違う意味でいままたアブナい状況にあるこの日本で この曲を歌い続ける加川良に改めて強い共感と畏敬の念を抱きました。 「♪命は一つ人生は一回。だから命を捨てないようにね」 外に出ると子供ばかりが無邪気に騒ぐ下北の町。 この幸せな光景がいつまでも壊れなければいいなと、 思わず祈らざるにはいられませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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