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いつまで経っても動かない青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理に2兆2000億円。着工から今年で29年、ナトリウム漏れやクレーンの落下やトラブル続きでこれまでただの1ワットも発電していない高速増殖炉もんじゅに1兆1000億円。使った燃料以上の燃料が得られる奇跡の技術との触れ込みだった「核燃料サイクル」だが、その実態たるやこんなトンでもない役立たずの金食い虫であった上に危険きわまりないとあって、フツーの脳みそのフツーの国々はさっさと撤退。いまも巨額の税金を垂れ流しながら狂気にとりつかれたようにグズグズ続けてるのは日本だけだ。 が、福島原発事故もあって、さすがに、このままでええんか・・・と、政府の「エネルギー・環境会議」から要請を受けて核燃料サイクルをこれからどうするか議論していた内閣府原子力委員会の小委員会が、正規の会合とは別に・・・というより、その対策にという方が実態に近いのだろうが、こっそり推進派だけ集めた「勉強会」を開いていたことが分かった。この謀議は実に20回以上も開かれており、近藤俊介原子力委員長もたびたび出席、事務局から委員会に提出する予定の議案が事前に示され、核燃料サイクル維持に有利な表現への書き換えがなされていた。加えて、その事務局に原子炉メーカーが加わっていたというのだからとことん呆れる。 これを八百長といわずしてなんと言えばいいのか。が、藤村官房長官は記者会見で「何の問題もない!」と即座に明言した。ビックリ仰天だが、まあ、こんな八百長やヤラセやらのウソ八百を長年当たり前にやってきた皆さんにとっては、それが何か?って感覚なんだろうなあ・・・ ともあれ、こんな利益相反連中に公平な判断ができっこないことは誰が見たって明らかだ。利害関係者のメーカーや電力会社はもちろん審議から排除、謀議に参加していた役人や学者は全部名前を公開して委員会から永久追放してイチからやり直せ。 関連するが、数土文夫NHK経営委員長が現職のまま東電の社外取締役を兼任しようとして批判に晒された結果、なんとNHKの方を蹴って東電の取締役に就任することを選んだ。これは意外な展開だったが結果オーライ、いってみれば良識の勝利というべきだ。経営委員会は報道内容に干渉しないとされているが、原子力マフィアがてっぺんに君臨していたのでは、現場はおちおち原発を含め社会の深層をえぐるような仕事はできない。全体として政府側に寄りすぎる傾向は否定できないが、連続してヒットを飛ばしたETV特集のような番組を作る力量もNHKのスタッフにはある。こうした健全な批判精神が今後も良い番組を作ることを期待してやまない。 別の話題、結構稼いでいたにもかかわらず、その母が生活保護を受けていた吉本の漫才師が猛烈なバッシングを受けている。これを取り上げたテレビのワイドショーで識者たちは口を揃えて不正受給とそれを許す制度、さらに地方自治体の甘い対応を糾弾、リストラ失業と高齢化を受けての受給者激増を怠け者が増えた風潮と描いてののしった。また、生活保護制度について最も詳しい人物のひとりと目される長妻昭元厚労相は100億円も不正受給があると話し、現職の小宮山洋子厚労相は国会答弁で嬉しそうに生活保護費の減額を示唆した。 いずれもそろいにそろってアホかである。漫才師を弁護するわけではないが、生活保護については、受給資格があるにもかかわらず申請窓口での「水際作戦」で受給できず、このモノが溢れる社会の片隅で餓死したり、それ以前に自死を選ばざるを得ないような事態が相次いでいることの方が圧倒的に重大な問題ではないのか。 100億円の不正受給がさも大層なことのよう新旧大臣殿はのたまうが、総額3兆7200億円の0.2%だぞ。まあまだ見逃しているのもあるだろうが仮にこの倍としたって、全体の99.5%は必要な人に支給されていることになる。この最後の命の綱をさらに細らせ、あわよくば断ち切ろうというのがこの漫才師バッシングの本質だ。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を高らかに歌い上げた憲法がある国で、生活苦を大きな原因として毎年3万人を超える人たちが自殺している現実、その一人一人の無念を一度でも思いやったことがあるのか。漫才師を糾弾するこのアホどもには、飛んでいって鉄槌を下してやりたいほど怒りが煮えたぎる。 はあ、我ながらちょっと興奮してしまった。(^_^;) で、閑話休題、グルコサミンとかいうサプリで、舞の海ら数人が膝をくるくる回すCMがあるが、それを見ていた知り合いの整形外科医が、「膝は回したらアカン」とつぶやいていた。膝関節は上下に屈伸して使う構造になっていて、横に回すような動きには適応していないのだそうだ。 ということで、ツケと膝は回したらアカンらしいよ。 ではまた。
これは一体どういう情景なのだ。今日21日の衆院社会保障・税一体改革特別委員会で、消費税増税を柱とする一体改革関連法案について、今国会で必ず成立させる覚悟について質した石原伸晃自民党幹事長に対し、野田佳彦首相は「与野党で真摯な議論を経たうえで成立させる思いは揺るぎない」と述べ、今国会成立への決意を表明した。 消費税はもともと経済的弱者を直撃する最悪の不公平税制だ。内需の主柱である国民の購買力は確実にそれだけ落ちる。ただでさえ長引くこの不景気に、ますます最終消費に冷や水をぶっかけるような盲動がどのような結果を招くか、素人でも分かりそうなものだ。ましてこの一体「改革」は福祉や年金の切り下げとセットになっている。「福祉目的」とはよくも言ったものだが、消費税で庶民から金を巻き上げつつ福祉も切り捨てるこの暴挙の一体どこが「改革」なのか。 こうした実態が知られるにつけ、どの世論調査を見ても消費税増税は反対が多数を占めてきた。が、この無茶苦茶な増税を仕掛ける政府与党に対し、我がニッポンの国会では、冒頭に紹介したとおり、野党第一党が政府の本気度を質して尻を叩くという信じられない問答が厚顔無恥に演じられている。神聖な土俵で東西の横綱が手を取り合ってダンスしてるようなものだぞ。座布団では生ぬるい、たばこ盆でも投げつけてやれ。 衆院480議席中、民主党と自民公明両党合計すれば430議席に及ぶ。議席占有率、実に90%。小政党の中でも「みんなの党」だの「立ち上がれナントカ」だのは基本的に消費税増税派だ。国権の最高機関と国民世論との乖離、ここにきわまれりではないか。でもって、このうえさらに比例区をさらに80減らして、事実上、民主党と自民党と自民党に支援された公明党の候補者しか当選しない小選挙区選出議員で国会を占拠し、この翼賛体制を完成させようというのだ。これをファシズムと呼ばずしてどうする。 福島の原発事故は、この国をこれまで支配してきた構造のおぞましいまでの醜悪さを白日の下にさらけ出した。原発再稼働を許さない世論、消費税増税に反対する国民世論はその健全な反応といえるだろう。であればこそ、原発ムラを中心とする支配勢力は凶暴になる。言論の自由を封殺する秘密保全法、公然と交戦権を復活させ天皇を元首化して民主主義を最終的に葬る改憲への動き。すべて一体だ。 だが、秘密保全法も改憲も世論は支持していない。人の心は移ろいやすく、まただまされやすく、こうした世論が一方で同じ穴のムジナの橋下徹大阪市長を熱狂的に支持するなんて無視できないねじれもあるが、支配者たちが凶暴になるのは世論の支持を取り付ける手に窮したからであって、それは弱さの表現にほかならない。一筋縄ではいかないだろうが、こうした局面こそが転換期であることを歴史は示している。いまが踏ん張りどころなのだ。 ・・・さて、閑話休題。今朝はなんといっても金環食でしたねえ。朝、起きて空模様を拝んでみれば、昨夜来の雨もやんで青空が広がりつつある気配。急いで裏山に登り、バッチリ金のリングを見ることが出来ました。
ハート型のピンホールで写し取った金環食 で、そのために用意したのが「すすガラス」。すすガラスもダメとしきりに報じられていたが、そんなことあるもんか。たしか小学2年くらいだったと思うが、先生の指導ですすガラスを作った記憶がある。当時、停電など日常茶飯事で、どこの家庭でもロウソクは必需品だったから、児童は皆、ロウソクとガラスを学校に持参して、先生の指導の下、ワクワクしながらすすガラス作りに励み、翌日は全校児童がそろって校庭で日食を観察した。が、視力がどうこうしたなんて話は皆無だったぞ。 というわけで、メディアの警告を無視して作ったすすガラス越しに見た金環食は本当に見事だった。もちろん、視力に何の変化もない。裏山に登ってきていた他の人たちも、「お、すすガラス!」っと感歎の声・・・、だったかどうか、実のところあまり自信はないのだけれど、まあ、なんつうか、皆さんがお持ちの安っぽい日食めがねに引き比べ重厚な我がすすガラス、ちょっと誇らしい感じだったのであって、とりあえずめでたしめでたしである。
脅迫めいた節電の大合唱がますます大きくなってきた。政府は18日、エネルギー環境会議を開き、この夏の電力「不足」を乗り切るためとして、関西電力管内の企業や家庭に対し、2010年比で15%の節電を求めることを決めた。電力需給が最も逼迫する関西に電気を送るなどのため、他の電力会社管内にも5~10%の節電を求める。この節電要請は焦点の大飯原発が再稼働しないことが前提。イザと言うときには計画停電も辞さない構えでスタートは7月2日だ。 これを受けてメディアは早速、電気が止まっては困る企業や24時間電動の人工呼吸器に頼る難病患者に取材、電気が止まれば経済が沈没したり人命が脅かされたりすると、盛んに危機感を煽っている。原発を動かさないとこんなにひどい目に遭うぞと、原発ムラを挙げての大合唱。ひるがえって、それがイヤなら再稼働を認めろという論法。電量不足による国民の苦難を放置できないと、野田首相はNHKの番組で大飯原発の再稼働について「最後は私のリーダーシップで決めたい」と力んで見せた。 これと呼応するような動きも進んでいる。先日、地元の大飯町議会は共産党を除く全議員の賛成で大飯原発の再稼働を求める決議を採択。理由は地元経済への配慮だった。大飯町長の出身企業は原発下請けで莫大な金額の仕事を請け負っている。たしかに地元経済への配慮が最大の関心事になる道理ではある。 さらに福井県から委嘱されて原発の安全性を審査する福井県原子力安全専門委員会はそろそろ再稼働にゴーサインを出そうかと機会をうかがっているという。前にも書いたが、この委員会12委員のうち、中核の学識経験者4人は関西電力の関連団体から計790万円、1人が電力会社と原発メーカーから計700万円の寄付を受けてる。といった次第でこちらも経済が大切なご一統、ご同慶の至りである。 だが、今なお再稼働に踏み切れないのは、あまりに世論の抵抗が強いからだ。圧倒的な世論はたとえ電力不足で苦労しても原発はイヤだといっている。福島の過酷事故の原因もまだ解明されていない。その事故を招き被害を拡大すらさせた無能かつ無責任きわまりない経産省の原子力安全保安院や政府の原子力安全委員会が、そのまま厚かましく今も生き延びて下した安全性評価など、いったい誰が信用するものか。多少の節電もビンボーも、んなの、放射能のトンでもないヤバさに比べたら可愛いモノってのが庶民の感覚なのだ。 であればこそ、原子力ムラは脅迫...というか、電力足りないエライこっちゃキャンペーンに躍起になる。だが、このキャンペーンが功を奏して国民が厳しい電力事情(コジローは実際のところ、原発が無くてもこの夏の電力需給には充分余裕があると考えているが...)を果敢な省エネ努力で耐えきり、夏を乗り切ってしまったらどうなるか。「あ?、原発無くても平気じゃん」ってなったら、もう原発は金輪際、終わりになってしまう。 いまが、この国の歴史のひとつの分岐という気がする。日に日に激昂の度を高める電力不足キャンペーン。これをBGMに機会をうかがう再稼働。だが、それは、世論の支持を得られない中での焦りの表現にほかならない。追い詰められているのは原子力ムラの方なのだ。
【5月11日追記】 5月8日に書いた以下のブログについて、一部訂正します。白馬岳で遭難した北九州の医師ら6人パーティについて、本日付の朝日は現場から回収した4つのリュックから、ダウンジャケット類や下着、ツエルト2張りが回収されたと伝えています。うちツエルトひと張りは使おうとした形跡があったそうです。従って、以下のブログに書いた「悪天から身を守るツエルト(簡易テント)も持参していなかったという」の部分は誤りで、訂正ないし削除しなければなりません。 そこで追記として2点。まず、せっかく持っていた装備を使う余裕もないほど天候の悪化が急激であったか、そうした最低限の身を守る対応にも難渋するほど疲労困憊してパーティの力が落ちていたか、ないしはその両方が相まってこの事態に立ち至ったことが想定されます。そうなると、ますます気になるのがこのような状況に至るまでのリーダーの判断で、ここから先は結果から推定した懸念と断っておきますが、そもそもこのパーティにはリーダーと呼べる人がいたのかどうか。 リーダーも曖昧な仲良しグループや寄せ集めグループの登山は珍しくありませんが、その大半が無事に済んでいるのは、実は運が良かったおかげという面もあります。もし、今回のような天候急変など深刻なトラブルに遭遇すれば、強力なリーダーシップを持たないグループはたちまち烏合の衆と化し、撤退などの意志決定ができないまま漫然と機会と時間を喪失、挽回不能な窮地に陥ってしまうケースがままあります。今回の遭難パーティがそうだったと決めつけるわけではありませんが・・・ 次いでもう一点、この国のマスコミはこれほどまでにデタラメだということです。当初の報道でツエルトを持参していないなどを挙げて装備不足を盛んに非難したのは、いったい何を根拠にしていたのか。誰かが憶測で流した情報に、すべてのマスコミが裏付けも取らずに飛びついたのではないか。「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」は巷間に流される噂や伝聞の正体を暴いた名言ですが、これが真実の報道を看板に掲げるメディアの現実の姿なのです。 今回の遭難報道においてまたも馬脚を現したマスコミのこの無惨なほどの無能さ。原発報道でも見たこの国におけるジャーナリズムの不在は、国民にとり本当に不幸なことだと思います。ともあれ、このいい加減な報道に頼り(実際、アクセスできる情報はそれしかないのですが・・・)、自分もまた間違った内容を書いてしまった点については、前記の通り訂正削除の上、お詫びします。 【以下、元のブログ】 5月5日深夜をもってついに稼働ゼロとなった日本の原発の今後などについても触れたいのだが、今日はとり急ぎこのゴールデンウイークに多発した山岳遭難の話題。なかでも、白馬岳で北九州市の医師ら6人パーティの全員が死亡した事故は他人事とは思えない。コジローたち5人パーティは彼らと全く同一のルートを一日遅れで登る計画だった。
先週は事務所の引っ越しで終始した。事務所はわかやま環境ネットワーク(=和歌山県地球温暖化防止活動推進センター)と和歌山有機認証協会の2つのNPOがシェアしている。これまで2年半ほど借りていたオフィスは和歌山城を望む都心部にあり、何かと行き来することが多い県庁にも近くて重宝していたのだが、例の事業仕分けパフォーマンスで、環境省の委託を受け地域センターが実施する事業について事務費がゼロ査定と切り捨てられて一銭も出なくなり、貧乏NPOとしては、そう高くもない家賃すら支払うことが出来なくなって退去せざるを得なくなった次第。 ゼロ査定とされた事務費には、家賃のほか、水光熱費や電話代、インターネット接続料などが含まれる。事務所も電気も電話もインターネットもメールも一切使わず、この時代、一体どのようにすれば仕事が出来るものなのか、事業仕分けで独りよがりに盛り上がった蓮舫さんや枝野さんほか、民主党の皆さんにぜひご教示願いたい。 ・・だからといって、NPOの維持に不可欠な人件費はある程度みてもらえるから、環境省からの委託事業を潔く返上ってわけにもいかないのだけれど、本気でムダを削るなら事業委託したNPOの家賃の一部なんて全国計でも恐らく3千万円程度のみみっちいところじゃなくて、法的根拠皆無の米軍への思いやり予算ざっと2000億円とか、憲法違反の政党助成金300億円余とか、大なた振るって削ってみせて欲しいものだ。 とまあ、こちらから望んだ引っ越しではないのだけれど、行き先は超ご機嫌なロケーションなのだ。コジローの古くからの親友が経営していたオーガニックカフェの跡で、ご自身も会員のひとりである両市民団体の窮状を見かねて、同カフェを閉店したのを機に提供を申し出てくださった。 一本道路を挟んだ向こうは和歌浦湾最奧の浜の宮海水浴場。二階に開設した事務所のテラスからは、正面にその海水浴場の砂浜と遠浅の海が果てしなく広がり、左に和歌山マリーナシティーの高層建物とテーマパーク、そして右に新和歌浦の旅館街を遠望する。万葉の歌枕として知られる片男波の砂嘴(さし)も指呼の距離だ。まさにこれ以上はない絶景。特に、西空の雲を茜色に染めあげ、海面に燦(きら)めく黄金の線条を真っ直ぐに引き描いて夕日が沈む光景は荘厳の一語に尽きる。まるで、壮大な交響曲のフィナーレがフルオーケストラでコンサートホールいっぱいに鳴り響くようなのだ。
携帯電話の写真から、この凄絶とも評すべきもの凄い絶景の一端でも感じていただければ幸いだが、コジローはこれからここで毎日仕事をすることになる。朝から慌ただしく働いて疲れを感じはじめる頃、ふと外に目をやると日は傾き、やがて穏やかな浜風が吹き始める。それは、あの荘厳な日没が間もなく始まる合図にほかならない。まずオーボエが静かにロングトーンを始め、それに木管、続いて金管の一群、そして最後に弦の大群が一斉に弓を引き音を合わせて沈黙した。さあ、舞台の袖からマエストロの登壇を待つって瞬間なのだ。 ・・・な~んて状況で、ワタクシ、果たしてビールを我慢できるだろうか! しかも、難儀なことに、元オーガニックカフェには美味しいビールをギンギンに冷やす冷蔵庫がふんだんに装備されているのだ! ・・・というわけで、事業仕分けのおかけで、日々、新たな葛藤が始まる予感が強く強くする引っ越しなのだった。 ともあれ、近所にお越しの際は、ぜひ気軽にお立ち寄りを。
また、長らくのご無沙汰になってしまったが、実は久々ひどい風邪に見舞われてここ2週間、仕事に行くのがやっとの状態だった。 4月7日に花見で近所に山に登り、上機嫌で花を愛でつつ気持ちよく呑んでその場でうたた寝しちゃったのがそもそもの原因。その直後に巡ってきたJAS法関係の一日講習で、風邪気味のなか3時間以上講師を務め声を張り上げたのがたたって完全に声が出なくなり、さらに、やめときゃいいのに、自分が会長を務める「紀峰山の会」が他の山岳会も招いて主催した大きな花見山行イベントがあって、立場上、顔だけでも出さねばぁ~って、まあ実のところは出さなくたって誰ひとり困りも怒りもしないのだけれど、ともあれ最初だけお付き合いのつもりが、結局最後までしっかり歩いて大汗かいて、また身体を冷やして・・・と、我ながらバカな振る舞いを繰り返して今までズルズル引きずってしまった。自業自得といわれれば一言もない。 さて、その自業自得にひっかけてだが、難航する大飯原発の再稼働についての近畿圏と福井県での世論調査結果が今朝の「朝日」に出ている。それによれば再稼働反対が近畿で52%(賛成29%)、福井でも43%(同36%)といずれも多数を占めた。同調査で注目されるのは、大飯原発再開を急ぐ理由として政府と関電が声を張り上げるこの夏の電力不足について、こうした政府や関電の説明を信用できないという人が57%にものぼっていることだ。 さらに野田政権が大慌てで取り繕った例の「暫定安全基準」に至っては、信頼しないとする人が63%と、信頼する人(22%)の3倍近くに達している。要するにこの間、ウソと情報隠しと「やらせ」で押し通してきた国民だましの手法が完全に行き詰まり、それを見透かした世論が固い政治不信の岩盤となって、大飯原発再稼働への最大の障害物になっているのだ。まさに自業自得というほかはない。 その根拠は、先日このブログに書いたこととほぼ同じだが、関心のある向きは、その名も「関西電力のウソ」と銘打ったジャーナリスト広瀬隆氏の解説動画を参照しもらいたい。広瀬氏の仕事にはやや思い込みの強いところがあり、コジロー全面支持はしていないのだが、公表された政府統計を丹念に拾い出して関電のウソを暴く広瀬の話は説得力があり迫力に満ちている。広瀬の後を追ってWEBを渉猟して結論も明確に検証できた。で、確信を持って言うが、関電と野田政権が合作で連呼する電力不足キャンペーンは原発再稼働の露払いを意図した悪質なデマゴギーと断定していい。 さて余談だが、飯田哲也さんとは、この委員会での活躍の前日の日曜日、紀南地域に自然エネルギーを普及する団体が田辺市で開いたイベントで2年ぶりにお会いした。自ら命名した「原子力ムラ」への批判は仮借なく厳しいが、表情や語り口は相変わらず穏やかだ。講演後、久しぶりにお会いした機会に、これから和歌山で進めようとしている運動を紹介し、協力を改めてお願いしたところ、即座に快諾の返事が返ってきた。3.11後ますます拍車がかかったハードスケジュールにも関わらず、こうして市民運動の支援に骨身を惜しまず協力してくださる姿には頭が下がる。 5月5日に実現する原発ゼロの日本。それに続く「関電夏の陣」をどう戦い抜くか。歴史を変えられるか否かの正念場は近いと思う。
野田政権は停止中の原発を再稼働させる条件となる安全対策の暫定基準を、わずか二日の密室協議のお手盛りで決定。焦点の福井県大飯原発を管理する関西電力は週明け早々にも、同暫定基準が求める中長期にわたる安全対策の実施計画を提出するとしており、政権はこれが提出されるのを受けて大飯原発の安全を宣言し再稼働を強行する構えだ。 まあ、絵に描いたような茶番劇と評するほかない。もともとは、ストレステストなる机上計算で停止中の原発を再稼働させようと目論んでいたのだが、それが国民的な批判で不可能になったため、苦肉の策として新たな言い訳材料となる暫定基準の設定を思いつき、現状ですんなりクリアできる「基準」を泥縄で作ったというのが実情だ。こんな茶番で安全が確保されたと思うノー天気が世の中にどれほどおられるものか。国民をバカにするのもいい加減にしてもらいたい。 野田政権がこんな子供だましの茶番を演じてまで大飯原発の再稼働にこだわるのは、今年の夏が原発ゼロで乗り切れてしまうという悪夢のような事態を、何が何でも避けたいからだ。原発の恐ろしさは国民の心胆にしっかり焼き付いている。だが、深刻な電力不足が起きるのも困る。原発ゼロは理想だが、電力が不足するなら当面は原発再稼働もやむを得ないかも知れない・・・というのが大方の国民の率直な心情だろう。だが、電力需要のピークである夏を原発なしで乗り切れてしまえば、恐ろしい原発の再稼働など望む人は金輪際いなくなる。こうなれば、日本の原発はもう終わりだ。 であればこそ、政府や電力会社は電力不足キャンペーンに躍起になるわけだ。関電は昨年夏の電力供給実績と猛暑だった2010年夏の需要実績を示して「再稼働が間に合わなければ、夏には13.9%(550万kW)もの電力不足が生じる」としている。昨年夏動いていた原発4基が止まっていることがその根拠だなのが、例によってというか、これも眉唾ものだ。関電はこの冬も電力は10%不足すると騒いだが、近年にない厳しい冷え込みにも関わらず電力不足は全く起こらなかった。 止まっている原発4基の発電能力は計337万kW。なのに550万kwも不足するというのは昨年夏の揚水発電の実績から213万kWも割り引いているからだ。まずこれがインチキの始まり。揚水発電は原発の夜間電力で水をくみ上げ日中に発電するシステムだが、電力不足が予想されるとなれば原発でなくとも、夜間に火力などの発電施設を稼働させて水をくみ上げて備えることは出来る。また、電力が余っている中部電力や埋蔵電力(製鉄所等の自家発電の余剰電力)からの融通を低く見積もっているし、イザというときに電気を止めることを前提に料金を割り引く需給調整契約や省エネ効果も織り込んでいない。 だいたい、関電はテレビのコマーシャルで省エネを訴え、また海南火力の第二発電機を10年ぶりに稼働する工事を急いでいるとか、姫路火力のガスタービン発電機を増設するとか、電力確保に向けた自分たちの奮闘ぶりを得々と広報しているのに、その効果をこの需給見通しに1ワットも反映させないとは一体どういうことだ。需給見通しかコマーシャルかどちらかがウソってコトになるわけだが、それを平気で通すような不真面目で誠意のない企業というだけで、原発なんて物騒な施設を任せられない理由には十分だ。再稼働は絶対に許してはならない。
橋下・維新の会関連の話題ばかりで恐縮だが、今日(28日)ももう一本。大阪維新の会が多数を占める大阪市議会は昨日27日、「みんなで決めよう『原発』国民投票」という市民団体が、5万5000筆余の有効署名を添えて直接請求した、関電の原発稼働の是非を問う住民投票条例案を否決した。反対に回ったのは大阪維新の会のほか、公明党、自民党、OSAKAみらい(民主系)の各会派で、橋本市長も事前に反対意見を議会に伝えている。結局、賛成したのは共産党だけだった。 これまで、住民投票条例案が議会に提出されて否決された例は少なくない。そうした点からはこの結果も驚くにはあたらないのだが、今回反対した連中の言い分が気に入らない。橋下市長は「昨年11月の市長選挙で市民の意志は脱原発依存の方向であることは明確」「5億円を使って住民投票する意味がない」として反対した。公明は「住民投票と手段は違うが脱原発への思いは同じ、市として脱原発の方向でしっかり動く」、また民主系のOSAKAみらいは「もっと議会で議論すべきだ、今の時期にあまりに拙速」とコメントしている。 あのなあ、この連中、ホント、救いがたいほど分かってないのだ。橋下が言う市長選での争点は「大阪府市の二重行政がなんたら・・・」という訳の分からない問題で、原発などまったく争点ではなかったし、この際ついでに言えば、先ごろ発表された維新八策なる駄文にも原発についての明確な言及はない。 そうしたなかで提出された住民投票条例のテーマは、なお住民に正面切って問われてはいない原発存続の是非についての住民意思の表明であって、脱原発などといった方向性を示唆するものは何もないのだ。それを反原発運動の一変種と見て、「思いは同じ」などと先走ってリップサービスするところに、彼らの住民運動に対する無知、さらには予断と偏見がはしなくも露呈している。 問題の焦点は、原発存続の是非ひいては社会的インフラの最重要な柱であるエネルギー政策のあるべき姿について住民が学び、意見を交換し、熟慮し、そして主権者としての意志を決定する過程を、民主主義に不可欠の手続きとして積極的に評価するかどうかにある。それは、国民が主権者であるという日本国憲法の原則への理解度を問う問題でもあるだろう。イタリアやスウェーデンなど多くの国では同様の国民投票が提起されたことを契機に、多くの学習機会が提供され、たっぷり時間を掛けたディベートを経て問題を十分理解した上で、国民は結果として脱原発の道を選択、政治もそれに従った。これが主権在民の生きた姿だ。 政治権力やその手足たる官僚組織による統治の権威は決定権の独占から来ており、その正当性は選挙による主権者国民からの信託に由来する。現行憲法上、最終的な決定権者はもちろん主権者国民にあるが、社会の雑多な問題のすべてに国民がいちいち意思表示を行うことは不可能なので、便宜的に代議制を取っているに過ぎない。憲法前文が「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し・・・」とある所を思い起こされたい。 だが、そうした限界を有する代議制をタテに、エネルギー問題といった国民のいのちと暮らしに直結する最重要問題の決定についても、選挙で当選した限りはすべて国民から全権委任を受けたと思い上がっているのが今回、条例に反対した連中に共通する感覚なのだ。 そこには、主権者国民を票としか見ないおごりと、権威のより所である決定権喪失への恐怖が共存している。彼らにとり、「由らしむべし知らしむべからず」は今も昔も統治(コトに橋下はこの言葉が大好きだ!)の要諦なのであって、政治に関心があって知的水準が高くひいては自分たちが独占する決定権を脅かす有権者は忌避すべき存在であり、そうした有権者が大挙一斉に覚醒しかねない住民投票など認めるわけにはいかない。国民に気を遣うのは選挙のときだけでたくさん。それも、甘言を羅列したマニフェストでコロッと参る程度でいてくれれば好都合って感覚なのだ。 原発国民投票を実現することは、この国のこうした封建時代さながらの古色蒼然たる統治感覚を破壊し政治に風穴を開け、国民が自ら考え参加する社会、つまりは本来の民主主義をこの国に初めて根付かせる起爆剤になる要素を秘めている。このあたり、さらに詳しくは岩波ブックレットの『原発をどうするか、みんなで決める』を参照されたいが、同書での宮台真司氏の言葉をひいて言えば、「任せて文句を言う社会から引き受けて考える社会」へと、日本の政治風土を変えるきっかけになるということだ。 これこそがいまこの国をまともにする上で真に当面する課題なのだ。橋下・維新の会が居丈高に叫ぶ変革など、眠れる我が主権者が覚醒するのを妨げる目くらましに過ぎない。まあ、だからこそ、橋下・維新・自公民そろって反対したのだろうが・・・ 我々は日本国憲法が保障する主権者としての自己決定権を奪還しなければならない。大阪で「予想通り」負けたからといって、あきらめるわけにはいかないのだ。
橋下大阪市長の常軌を逸した労組攻撃の根拠のひとつとされていた文書が、ねつ造されていたことが分かった。大阪市の職員労組が市職員に対し、平松前大阪市長後援会への入会を徹底させる主旨の文書で、大阪維新の会つまりは橋下親衛隊の市議が2月議会でこれを証拠にとりあげて前市長時代の市当局と組合を糾弾、これを受けて橋下市長はあらためて労組の政治活動について、全庁的な調査を指示していた。 文書をねつ造したのは維新の会ではなく非常勤職員だったが、こんな怪しげな文書をウラも取らずに組合糾弾の道具として使った責は免れない。市職員組合にはこの件で抗議や糾弾の電話が殺到、つまりそこそこ実害も精神的被害も出ているのだが、当の維新の会は「対応に問題はなかった」「謝罪する気はない、これからも追求していく」とシレっとしてるし、「濡れぎぬだった」ことだけは認めた橋下市長も労組に対する方針に変わりはないとしている。つまりねつ造など何ほどのことでもなかったというわけだ。 極端な言動を振りまいて衆目を驚かせ、想定通りの反発が起きたところで少し引いて当初から狙っていた落としどころに持って行く。紛争を演出して騒然とした雰囲気を作り出し、スケープゴートをさらし者にしてダメージを与える。そのために使える道具であればねつ造だってウソだって何だっていいのだ。これはもう、ルールのない場外乱闘ショーのごとき下世話な見せ物であって、政治ディベートや政策論争などといった高尚なものではない。 ことほど左様に、橋下・維新の会の本質は、要するに議会制民主主義を徹底的に愚弄することだ。こうした乱暴な動きが一定の支持を集めるのは、政権交代による変化への期待が徹底的に裏切られた閉塞感にあることは疑いない。 だが、「維新八策」等に見る橋下らの主張は要するに国民を塗炭の苦しみに追いやった小泉・竹中新自由主義路線の焼き直しに過ぎず、とうに賞味期限が切れた古くさくしかも国民には有害なものだ。つまり自公政権や今の民主党政権がやっていることと何ら本質的に変わりない。それが場外乱闘を演じることで結構支持を集めるのが、この国の民度の現段階ということなのだろう。 前途の長さにいささかへこみそうになるが、まあこれはいつものこと、ボチボチがんばるしかないかあ。 次いで、一昨日の「利益相反」についての続報、西川一誠福井県知事は、同県の原子力安全専門委員会の半数近くが関電関係から資金提供を受けていた問題について、「(委員は)良心でやっておられると思う」とコメント、審議から外す意志がないことを明言した。当事者からお金もらって良心ねえ・・・ それで済むなら利益相反を禁止する各種法令など紙切れ同然ではないか。ン~、そこまで言わないとしてもだ。審議参加を辞退する委員先生の一人すらいないとは。原発利権の前には「李下に冠を正さず」の矜持も昔語り、学問的良心も金次第とは情けないではないか。 せめて最後にちょっと明るい話題。昨夜の西空、見事な三日月を挟んで上に明るい金星、下にそれよりやや暗い木星が一直線に並ぶ天体ショーは見事だった。このシチュエーションが続くのは今夜まで。ただし、今夜は金星に月が仲良く並びかけ、一方、木星はちょっと離れた位置でなんだか寂しそうな風情になるらしい。見逃された方はぜひ。
本日26日未明、東京電力の柏崎刈羽原発6号機が定期検査のため停止し、日本国内の原発で現在なお稼働しているのは、北海道電力の柏原発3号機のみとなった。 柏原発3号機といえば、高橋はるみ道知事が昨年夏、定期検査に伴う調整運転からの営業運転再開容認を決断したことが話題になったあの原発だが、北電は今日、その柏原発3号機について、次の定期検査で今年5月5日からストップさせることを、国の原子力安全・保安院に申請した。 通常の定期点検のペースから、原発ウオッチャーの間では4月中下旬に止まると観測されていたのだが、北電が法定期限ギリギリまで引き延ばした結果が5月5日だそうだ。これで、もし大飯原発3・4号機の再稼働などがなければ、国内54基の原発全てが停止することになる。 奇しくもというべきか、なんて大きな「子どもの日」のプレゼントだろう。 私たちは、賛否はともかく、原発の電気を使い続けて快適な暮らしを享受してきた。そのツケとして危険な核廃棄物は日本中で膨大に蓄積し、福島第1原発事故は美しい国土を将来長くに渡り著しく汚染してしまった。そうした負の遺産は否応なく子どもたちやさらに次の世代に受け継がれる。 せめて、もうこれ以上の核の災禍を避け、さらなる放射能にまつわる不安と恐怖を子どもたちに押しつけないために、この子どもの日のプレゼントを身を挺して守り抜きたい。そしていつか、5月5日という日を、未来世代に捧げる脱原発記念日にしようではないか。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |