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希望のカケラ(後編) (読書・コミック)楽天ブログ 【ケータイで見る】 【ログイン】
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希望のカケラ(後編)

 起きてちょうだいよ、と女の声で目を覚ました。ねおんかと思って、ついその手を引っ張ったら、思い切りはたかれた。
「あ…ごめん、ミル」
「何寝ぼけてんの、おにーさん!」
 いーっ、と彼女は歯をむき出しにして怒った顔を見せる。まるで別人だ、と私は思う。月の光の下で、私に笑いかけた、あの顔とは。
 同じように、ちゃんと唇は赤いというのに。

「今日中には、東府に着くんじゃないかな」
 彼らの取ってきたパンとソーセージ、それに林檎を口にしながら、私は告げた。
「今日? じゃあまだ大丈夫なんだな?」
「ああ。ちゃんと期限には間に合う。その様に私も動いていたんだから」
「よかった。よかったよな」
「うん。よかったよね」
 二人は顔を見合わせて笑った。どこをどう見ても、昨夜のあの雰囲気は見あたらない。当人達がそもそも言った様に、恋人という空気はそこには無かった。
 だがあれは目の錯覚ではない。ない…と思う。
 しかし食事の時にする話題ではないと思ったので、私はそこでは切り出さなかった。
 二人はこの日も食欲は旺盛だった。手に入れた食物を、次々に開けていく。ドリンクを飲み干し、パンを口にし、ソーセージにかぶりつき、林檎をかじる。その食べっぷりがあまりにも豪快なので、私は何となく目が離せなくなってしまった。
「何見てんだよ」
 案の定、ナガサキはやや不機嫌そうな顔になる。
「…いや、元気だなあ、と思って」
「元気だよ、オレ達は」
 しゃり、と林檎をかみ砕く音がする。残りを口にどんどん詰め込み、頬を膨らませて何度もあごを上下させる。どうやらそれで彼らの食事は終わりのようだ。
 ようやく飲み込むと、ナガサキはミルに向かって言った。
「元気でなくちゃならないもんな」
「そうよね」
 ミルもまた、そうつぶやく。
「でも君ら、東府で受け入れてくれる受精卵は一組一つだけど…それでも、やっぱりその、あんへるとカモンのものを届けたいのかい?」
 今更のように、私は訊ねる。ミルは首をかたむけ、何を判らないことを、というように私を見た。
「だからおにーさん、前から言ってるでしょ? あたし等のは、ついでなんだってば」
「じゃどうして、その友達の方を何とかしたいんだ?」
「だって」
「ねえ」
 二人は顔を見合わせ、うなづく。
「好きだったんだもの」
「そうだよな」
「好きって」
「だから、好きは好き」
 彼女はきっぱりと言う。
「あたしが男だったら、彼女を誰にも渡さなかったわ。誰からも守って、うんそうよね、彼女連れて、何とかして、この星の外へ出てやったわ」
「オレだって、奴好みのイイ女だったなら、誰が何と言おうと、絶対に、モノにして、こっち向かせて、べたべたにくっついててやったよ」
 ねえ、と再び二人はうなづきあう。ちょっと待て、と私は手を挙げた。
「そういう意味で、好きだったのか?」
 うん、と二人はあどけない調子でうなづいた。いや無論、そういうことが私の回りに全くない訳ではなかった。だがそれは、こんなにあっけらかんと当然の様に告げられることではなかったから。
「…でも君ら、昨夜…」
 思わず、私はそう切り出してしまっていた。
「やーっぱり、見てたんだ」
 くっくっ、とミルは人差し指を曲げて唇につける。その笑いは、確かに昨夜見たものとよく似ていた。指の白さが、唇の赤を引き立てる。
「出刃亀だね、おにーさん」
「私は…」
 あんなところで、そんなことをしているなんて、思いもしなかった。だがそう言ったところで弁解に過ぎないだろう。
「いいよ別に。すぐにあん時おにーさん、あそこからどっか行っちゃったじゃない」
 それはそうだ。あれは見るものじゃない。
「君らは、恋人同士じゃない、って言ったけど」
「違うよ」
 ナガサキは首を横に振る。
「そんなんじゃない」
「じゃあ何で、…してたんだ?」
「やりたかったから」
 あっさりと、ナガサキは言った。そして親指を立ててミルに向け、こいつも同じ、と付け足した。
「昔っからそうだよ。そーだったよね」
「ああ。俺達六人のうち、あの二人はカップルだったけど、あとは誰もそうじゃなくて。だけどそーすると、奴ら、どーしてもいつも、二人きりになろうなろうとするじゃん」
 それはそうだろう。
「それはそれでいーんだよ。奴ら、それでシアワセだったんだから。オレもそれは良かったけど…オレも、見ちゃったんだよ、おにーさん、あんたのように」
「私のように?」
「カモンがあんへるを抱いてるトコ。やっぱりさ、海じゃなかったけど、あーんな、コンクリの橋げたのトコで。月がキレイな夜でさ」
 ナガサキはうつむいた。
「彼女が、あんへるが、長い巻き毛をだらんと降ろして、首をかくんと後ろに倒して、すげえキレイな顔で、あえいでる顔が、残ってさ。ホント、すげえキレイだったの。髪なんか、月の光に透けてさ」
「それで、…ミルと?」
「や、それでソコでおっ立っちまったのはホント。だけどおにーさん、あんた、何か違ったコト考えてるかもしれないから、言っとくよ。オレは、そん時の、あんへるにそーなったんじゃないって」
「そん時、ちょうどあたしは、ぼんやりと突っ立ってたこいつを見つけたのよ。馬鹿みたいにぼけーっとしてるから、何かしらと思ったら、あたしはあたしで、息が止まりそうになった」
 ミルは目を伏せた。
「あたしだって、判ってるわよ。判ってたわ。だけど、判ってることと、目の前でそれが繰り広げられるのって違うじゃない。信じたくなかったんだね、やっぱり。で、何か足がすくんでしまってた時に、急にこいつが抱きついてきて」
「止めなかったの?」
「しょーがないじゃない。あたしも何か、そーいうものがあったんだから」
「そういうもの?」
「オレさぁ、あんへるのその顔見た時に、自分の中で、すげーむかついたの。そん時。だってさ、彼女がすげえイイ顔してる時、その正面で、カモンも、何かすごい顔してるんだよ? オレなんか見たこともない、イイ顔。胸がどきどきした。なのに何でこの女は、そんな顔を見ることもなく、自分のキモチよさに浸ってんだよこの馬鹿とか思ってさ…そしたら何か、いつの間にかこいつが近くにいて、何か、急に、したくなって」
「それで…良かったの?」
「いい訳ないでしょおにーさん。それじゃーゴーカンよゴーカン。普通ならね。でもあたしもその時普通じゃなかったから」
 仕方ないわね、と言うように彼女は肩をすくめた。
「この馬鹿は何も大して知らないから、もう滅茶苦茶。だけど、さ」
 彼女は言葉を切った。
「向こう側を見てんのよ。あたしと同じように。それがあんへるを見てたんなら、今頃こいつ、死んでるわよ。でも、こいつが、あたしをべたべた触りながら、それでも見てたのは、カモンだったから」
 仕方ないじゃない、と彼女は乾いた口調で言った。
「あたし等は、同じなんだ、ってわかっちゃったから」
「別にあの二人に話した訳じゃないのに、それから、何かあいつ等、オレ等をカップルみたいな目で見てさぁ。オレ達が見たように、あいつ等もオレ等が何してんのか、気付いたのかもしれない。そしたら、こんなことも言うんだぜ? ほら部屋取ったからさ、こっちでお前らやれよ、こっちでオレ達やるからさ、って、一つの部屋の中でだよ? オレ等、何か訳判らないままに、いつも連中を見ながらやってた」
「残酷って言えば残酷よね」
「気付かなかったの? あんへるとカモンは」
「ぜーんぜん」
 ミルは呆れたように両手を開いた。
「そんなこと、考えもしなかったみたい。だってそうよね。いつも二人で、前だけ見てさ、それ以外のことなんて、何も見えてないの。最初っからそう。あんへるがカモンのこと、口に出し始めた時から、ずっとそう。あたしはずっと、それを良かったわねとか聞いてるのよ。だってそう。言わないうちは、あたし、彼女の一番の友達じゃない」
「言ってしまったら、終わるって、オレも思ってた。何をどうしても、奴にとって、オレはそんな目で見られるもんじゃなくてさ。って言うか、男とレンアイだなんて、考える奴じゃなかったんだよ」
 それはそうだろう、と私は思う。確かにそういう趣味を持つ人々は居るだろう、という認識はあっても、自分がいざそんな思いを寄せられていたとした場合、…私だったら、訳が分からなくなる。
 そして一番の友人を自負していたとしたなら、相手がそんなことを受け入れられるタイプかどうかは、確かに判るのだろう。判ってしまうから、それ以上、どうしようもない。手詰まりだ。
「…だけどさ、誤解しないでよ?」
 ミルは上目づかいで私を見据えた。
「だからって、あたし等がかわいそうだった、なんて考えないでよ? あたし等は、それでも、あの二人に出会えて、しあわせだったんだから」
「幸せだった?」
 何だろう。何となく、引っかかるものがあった。
「そう、しあわせだったわよ。だって、何はともあれ、あんなに大好きになれたひとが、居たってことだけでも、あたしはしあわせだったと思うわよ」
「それに、奴がいなかったら、オレはこんな風に、外に出るなんて、考えなかったし」
「…そうなのか?」
 ナガサキはうなづく。だがその姿からはやっぱり考えにくい。
「オレは二番都市で、泣かされてた方のガキだったのよ? 奴が来るまでは。奴がいたから、オレは泣かされないようになろうって思えた。少しでも、強くなって、奴に置いていかれないようにしたかった。…そりゃ今でも、血ぃ見るのはキライだけどさ、それでも、今だったら、泣かされる前に、泣かしてやる」
 …その割には私の前ではよく泣いた様な気がするが。
「だからさ、おにーさん、あたし等のことは、心配しないでいいよ」
「心配なんか」
 顔をしかめて見せると、ミルは苦笑した。

   *

 目の前に、古い青い標識が見えてきた。白い文字で、そこには東府の旧名が書かれている。意味的には同じだ。東の都。かつては最大の人口と、流通と、文化を誇っていた都市。
 今でも、物資は自然とこの地に集まってくる。だがそこには、人は集まらない。そこに住んでいるのは、そこから飛び立つことができる人々だけである。
 すなわち、特権階級。
 旧財団であったり、代々の政治家だったり、地球に住むことをステイタスシンボルとして、わざと都市に広い土地を買い占めて、優雅な暮らしをしていた人々。その間に、列島の周辺都市の人口は、居住限度を越えていたこともあった。
 今となっては過去だ。
 人々は減っていくばかりだ。
「あ」
 ミルが不意に声を立てた。
「ねえちょっとおにーさん、ラジオのヴォリュームを上げてよ」
「ん?」
 私はそれでも言われるままに、ヴォリュームを上げる。するとそれまでぶつぶつ言っているだけだと思っていたラジオから、急に明るい音楽が流れ出した。
「お、なつかしーじゃん」
「でしょ?」
 ふんふんとミルはそれに合わせて鼻歌をうたう。確かに懐かしい曲だった。いつだったろう。もうずっと昔だ。
 ミドルハイスクールの頃に、よく聞いていた曲だった。
 ゆっくりとした、それでいて強いリズムを響かせながら、眠くなりそうな優しいメロディと言葉が乗っていた。
 音楽は、一瞬にして、その時間を呼び起こす。その頃の空気、その頃のにおい、その頃の風景、そしてその頃の気持ち。
 振り向いてもらえなくてもいい、と思っていた女の子が、私にも確かに居た。居たのだ。
 後ろを振り返ることを知らず、それでいて遠い未来を見ることもできず、ただ毎日にひたすら立ち向かい、壁にぶつかり、もがいていた自分が、確かにいたのだ。
「ほら、ここから先が好きだったんだ」
 ミルは前の座席の背に腕を乗せ、身体を乗り出すようにして楽しそうにつぶやく。
「生き急いでも、何もしないよりいい、って」
 音の上には、確かにそんな言葉が乗っていた。
 そうかもしれない。
どうしようもない、今のこの状況を、私も心の何処かで、何とかしたいと思っていたのかもしれない。
 ただその方法が、見つからないだけだ。見つからないから、何かと自分に理由をつけて、あきらめることだけを考えようとしてきた。…やがてそれが元から自分の考えだと思いこんでしまうまでに。
 だけど。
 
その時、不意にノイズが飛び込んできた。

「え、何?」
 そう口にしたのは、ミルだった。それまで心地よさそうに音楽を聴いていた表情が、一瞬にしてこわばる。
『…管区…配置完了…』
 ノイズの中に、堅い声が混じる。
『…号道路の…に……OK…の指令…ど…』
 私は車を止めた。ラジオのヴォリュームを上げる。音楽は鳴り続けている。伸び上がれ、その手を叩け、と歌が鳴り響く。
 だがそのすき間に、がりがりというノイズと共に、声が聞こえてくる。二人は顔を見合わせた。
 私は旧式のラジオのチューナーを指で細かく回す。端から端まで回す。時々、耳を塞ぎたくなるような音が車内に響きわたる。お、と身を乗り出したナガサキが、声を上げた。
『…解。了解。第28分局、現在目標物はどの位置なのか? 正確な視点を』
『東府開門より南西に20.458キロ。現在進行を停止中。どうぞ』
 私は窓の外をちら、と見た。だがそこには何も無かった。空はただひたすら青く、雲一つない。音もない。止めた車の外には、風の吹く音すらない。
 少し遠くで、風もないのに、蔓状の植物が、大きな葉を揺らせている。絡み合いながら、かつては鉄道だった小高い場所を埋め尽くしている。音もないと思った外で、その動く音だけが、微かにざわざわと耳に入ってくる。私は思わず自分の腕を抱え込んだ。
『関係報道機関に告ぐ。予定では30分以内に目標物は当地点に到着する。きっちりと諸君はその役目を全うするように』
「…何を…言ってるんだ?」
 ナガサキの声が、震えている。おい、と彼は私の肩を掴む。
「おにーさん、今あたし等、どこにいるの?」
 私はすぐに答えることができなかった。いや、答えはすぐに出せる。今がどの地点かは、少し前に見えた標識が答えてくれる。
 十五分前に見た標識は、旧名で書かれた東府まで30キロ、と示していた。
 私は思わず外に出た。そして大きく空をふり仰ぐ。やはり何もない。
 …いや、ある。
 この青い空の、ずっと、ずっと上。その昔、こんな風に車で移動することが日常茶飯事だった時代の名残。ナヴィゲーションシステム。地球の周囲を動く衛星がとらえる、対象物の正確な位置。
 でざいあに侵されない領域。…それを左右できるのは。
 私は思わず、口を覆う。
 何なんだよ、一体。
「おにーさん、入んなよ」
 ミルは窓から顔を出して私に呼びかける。
「どうやら、あたし等を待ってるみたいだよ。今、言ってた」
「すごいねえ、オレ等、すごい有名人じゃん」
 くくく、とナガサキも笑う。そしてその手がゆっくりと上がる。
 手には、最初に出会った時の様に、マシンガンが握られている。彼はその銃口を、車内に戻った私の喉に突き立てる。その顔が、にやりと笑う。
「おにーさん、車出してよ」
 私はミルの方を見た。やはり同じ様に、手にはマシンガンが握られている。
「聞こえなかったの?」
 真っ赤な唇が、そう動いた。

 私は言われるままに車を出した。
『…目標が移動を開始。局員は配置につけ』
 ノイズ混じりの声が、そう告げる。カンマ1キロごとに、その声は距離を告げていく。
 開け放した窓から、風が飛び込んでくる。私はできるだけ速度を上げないようにする。すると遅いよ、と後頭部に堅いものが押しつけられる。いいのか君ら、このままで!
『10.358キロ』
 機械的に、抑揚のない声が告げる。私は仕方なく、速度を上げる。
「…何だって、君達…」
 待っているものが何だろうか知ってるというのに。
「黙って」
 ミルもまた、同じように私に銃を突きつける。私は黙った。黙るしかなかった。
 刻々と減っていく、距離を告げる声。ひんやりとした銃口。耳にぶんぶんと飛び込む、風の音。
 ひび割れたアスファルトの、前方には逃げ水。
 じんわりと額から、わきの下から、首筋から、汗が流れていくのがわかる。
『5.158キロ。弾倉装着』
 前方に分岐点。左に抜ければ、当局の検問からはひとまず逃げられる。私はハンドルを左に切ろうとした。
 だがその時、喉にぐい、と両側から銃が押しつけられる。駄目だ、と無言で二人は抗議する。
「あんたは、オレ達の言う通り、行けばいいんだ」
 それまでずっと友達のことを話していた時の口調とはうって変わった強さで彼はつぶやく。決して大きくもない。激しくもない。だがその声は、私に対して圧倒的なものだった。
『1.458キロ』
 緩やかな斜面を登りきった時だった。抑揚のない声が、そう告げた時、一気にそれは、私たちの視界に飛び込んできた。
「止めろ!」
 ナガサキは叫んだ。私は慌ててブレーキを踏んだ。斜面の天辺とも言える場所で、車はかろうじて止まった。
「出ろ」
 ナガサキはそう言うと、後部座席を開き、私を引きずり出した。その手つきは鮮やかなものだった。まるで、彼がずっと褒め称えていた、友人のように。
 待って、と私は突き飛ばされた不安定な姿勢のまま、閉じた扉に取りすがった。するとナガサキは銃の先で私のあごを強く突いた。私はバランスを崩して、今度こそ尻餅をつく。ナガサキはそこへぽん、と手を翻した。きらり、と小さなものが光り、私の曲げた足の間へと飛び込む。受精卵のケース!
 慌ててそれを手に取ると、にやり、とナガサキは笑った。
 おにーさん動かないで、とミルはつぶやくと、窓からマシンガンを何発か、私の周囲のアスファルトに打ち込んだ。ぴし、とかけらが腕に当たる感覚。
 危ない、と目を閉じた時に、ナガサキはアクセルを踏んでいた。
 ごぉ…ん、と低い音が、地面から伝わって来た。なかなか立ち上がれない。衝撃のせいなのか、どこか打ち所が悪かったのか。足に力が入らない。ゆっくり。そう、ゆっくりだ。
 目を開けて。
 斜面の上から見た光景は。

 こんなにどこから人がわいて来るんだ?

 私は駆けだしていた。東府開門のすぐそばには、道を挟んで、何十台、という数の東府管理当局からだろう、車が並んでいる。そして、その中に、それぞれの局員が。黒と白の制服を着て…
 何だって、こんなに、遠いんだろう? もどかしく思いながら私はただ駆けていた。運動不足の身体がうとましい。呼吸が乱れる。慣れない地面を蹴りつけさせられる足は悲鳴を上げる。もつれる。転ぶ。ひざをすりむいたみたいだ。だがまた起きあがる。ざらざらしたアスファルトに、手のひらまでがすりむける。
 駄目だ。
 私は苦しい呼吸の合間につぶやいていた。
 お願いだ、彼らを、殺さないでくれ!
 
 ―――――――――――――――――――

 …足の力が抜けるのを感じた。

   *

「158発」
 目の前の男は、そう言った。
「ナガサキの遺体から摘出された弾丸の数だ。ちなみにミルの方からは116発見つかったそうだ」
 そう言いながら、男は、とん、と私の前にコーヒーを置いた。太い指に、濃い色の毛が長い。
 殺風景な部屋だった。まるですぐにでも引っ越してしまうかの様に、荷物がまとめられ、板張りの床からは、カーペットもはがしてある。
 生活のにおいがあるのは、今私が座らされている、台所のテーブルの上だけだった。
「こんなところで済まないね。どうにも今、局の中で上手いとこ空いている場所もなくて。駄目になった分の代車が用意されるまでの間だから、ちょっと我慢してくれな」
「気をつかわないでください」
 私はコーヒーを受け取りながらそう言った。
 私より十歳は上だろう、気さくな口調の管理局員は、自分のカップに砂糖を二つ放り込むと、正面に座った。
「…いや実際、君は『被害者』で『協力者』なのだから、もう少し、当局も丁寧な扱いをすべきなんだよ。だが、君も判るだろう? あの騒ぎ…」
「ええ」
 私は小さくうなづく。

   *

 あの時。
 まず、タイヤの空気が抜ける音がしたのだ。
 正確な射撃の腕は、四つのタイヤをスピンさせることなく、同時に役立たずにした。
 そして次の瞬間。
 自分が撃ち抜かれたかと、思った。
 めまいがしそうな程の連続する銃撃の音の中で、遠い視界の中で、私の乗ってきた車は、扉が跳ね上げた。
 目が、離せなかった。
 窓ガラスが割れた。砕けた。
 開いた扉から、女の身体が、何度も何度も、突き出され、跳ね飛び、やがて腕を大きく伸ばして、その場に倒れた。
 見えたのは、ミルの方だけだったが、座席に居たナガサキもそれは同様だったろう。
 私は痛む足に、それでも力を込めて立ち上がった。しかしすぐにそれはくじけそうになる。
 動かなくなった彼らに、一斉に人々が群がる。黒と白の制服は着けていない。あの時のノイズ混じりの通信の声を思い出す。関係報道機関に告ぐ…
 関係報道機関、って何なんだ、と私は思った。砂糖に群がる蟻の様に、彼らは血に濡れた車体へと近づいて行く。あっという間に、私の車は、人の中に埋もれて見えなくなった。
 正面の、その光景から目が離せないまま、私はずるずると足を引きずりながらその場へと向かって行った。
 と、群がる蟻の一匹が、私に気付いて、何やら声を上げた。私は何がその時起きたのか、さっぱり判らなかった。
 判ったのは、ただ、その蟻の群の一部が、私の方へまで群がってきたということである。
 彼らはマイクを突きつけた。
「この車はあなたのものですか?」
「彼らとの関係は?」
「危険は無かったですか?」
「何か彼らが残したものがあったら」
 矢継ぎ早に、質問が私に降りかかってきた。私の頭は余計にぼんやりとしてきて、何が起こっているのか、なぜ私にそんなものを向けるのか、さっぱり判らなかった。
 だから私はどいてくれ、と彼らに言った。私は見たかったのだ。彼等に。ナガサキとミルに、一体何が起きたのか。目の前で起きたことが、信じられなかった。この目で、彼の、彼女の血を見るまで信じられないような気がしていた。
「どいてくれ…」
 私は叫んでいた。
「どいてくれ!」
 だがそんなことを全く意にも介しないように、「関係報道機関」の蟻達は、よけいに私に近づいてくる。押し寄せてくる。やめてくれ、潰される。そう思った時だった。
 私の手から、銀色が飛び出した。
 それに気付いたのは、私だけだったろう。あ、と目を見張ったのも、私だけだったろう。ナガサキが、最後に私に返してくれた、あのケース。
 私がはるばる、運んできた。
 身動きのとれない状態で、私は必死で足下を見た。手を伸ばした。
 こん、と音がしたような気がした。
 実際には聞こえない。私に向けられる声が、声が、声が邪魔して、そんな音は聞こえなかったろう。
 だが私は見た。そのケースを、その蟻の中の一匹が、ぐちゃりと踏みつぶすのを。
 思い切り伸ばした手から、力が抜けていくのが判った。
 
 その後のことは、よく覚えていない。
 ぼんやりとした記憶の断片をつなぎ合わせてみると、どうやら私はその時ひどい声を上げ続けたらしい。錯乱したかと思ったのか、マイクやカメラを持った報道機関の連中は、そんな私の様子をも治めようと実に楽しそうな笑みを浮かべていたような気がする。
 だがその時、救いの天使が現れた。
 驚いたことに、その天使ときたら、管理局の黒と白の制服を着ていたのだ。
 その黒い制服が、私の頭の上から掛けられた時、私はどうやら、意識を手放してしまったらしい。

   *

 そしてその制服の主が、今、私服で目の前に居た。
 当初、錯乱していた私は東府の病院へと運ばれる予定だったが、当局の意図していた以上に、「凶悪な二人組の被害者」であり、「当局への協力者」である私に対し、関係報道機関がうるさいので、病院側も辟易して当局のどこかへ移すことを希望したらしい。
 私の錯乱も一時的なものらしいという診断がついた(つかされたのかもしれないが)ので、それならいっそ、と最初に私を助けた局員が名乗りを上げたらしい。局の方も、やっかいなことは少しでも少ない方がいいというのか、その局員の申し出をあっさりと認めた。
 そして私は現在、トオエという名の局員の部屋に居た。
「それで、君はこれからどうするつもりなの?」
「どうするって」
 言っても。
「帰るしか、ないですね。東府に来た理由は…果たしたいのですが」
「ここに来た、ということは、受精卵を託しに来たんだね?」
 私はうなづく。
「…止したほうがいいかも、しれないよ」
「え?」
「せっかく、あんな思いまでして、届けに来た君に、こんなことを言うのは…夢を壊す様で悪いかもしれないけど…」
 思わず眉を寄せる。何をこのひとは言おうとしているのだ。
「言いかけたことなら、言ってくれませんか? そこで放って置かれるのは、逆に何か…」
「ああ」
 そうだな、とトオエはうなづいた。
「俺も、当初は君の様に、妻との遺伝子を残そうと思ったんだ。だが、さすがに局の人間という奴をやっていると、聞きたくもない情報まで、耳に飛び込んでくる。…君は、今回の船が、そんな受精卵だけを運ぶなんて、考えてはいないだろう?」
 ええ、と私は答えた。それ以上の説明は要らなかった。誰もが知っていて、それでいて口に出さない共通認識。行ける奴なんて、最初から決まってるんだ、というあきらめまじりのつぶやきと共にそれは口の中で噛み潰される。
「予定地は、明かされていない。下手すると、決まっていないのかもしれない。それでも、この地球上に残って、花に殺されるよりはましと考えるのか…」
 そこまで言って、彼は一口コーヒーをすすった。
「まあそれでも、全くの目標がゼロという訳ではないだろうね。遠い未来であろうが、いつかは、新しい大地に立とうという気なんだろう。だが、そこで、だ」
 とん、と彼はカップを置く。
「その新しい場で、彼等と彼等の子孫は、果たして、汗水流して働きたいだろうか」
「…え?」
「そんな、特権階級にずっと居た奴らが、新天地の、何も無いところで、苦労して切り開いて行こうと思うだろうか? いや、それ以前からもだ。長い長い航海になったとして、やがて自分達も増えるだろう。その中で、自分の世話を自分でやろうと考えるんだろうか。そもそも乗り込む時点で、そんなこと、頭に無い連中のほうが多いと思わないか?」
「…どういう、意味ですか?」
「…こういう、噂が立ってるんだ」
 ちょっと待ってくれ、と私は彼を手で制した。飲みかけのコーヒーを慌てて飲み干す。いいかい? と彼は問いかける。私はうなづいた。口に入るものがまずくなる話のような気がしたのだ。
「奴らは、自分達に仕える者を連れて行こうとしているんだ」 私は顔をしかめる。すぐには意味が取れなかった。だが、その言葉の意味していることが理解できた瞬間、私の中で、ひどく熱い塊が、大きく膨らんだような気がした。
「…それって…」
「船の中には、人工子宮もあってね。最初から、奴らに仕えることを教育された人間を生み出そうって魂胆らしい」
「…そんな…」
 私は思わず口を押さえた。
「奴らなら、考えそうなことだ」
 吐き捨てるように、トオエは言った。
「同じ数の人間を連れてくより、ずっと効率的。効率的だよと! …噂だけどな」
 噂では、無いだろう。私は奇妙に確信していた。そのくらい、やりかねないだろう、と。
「噂だよ? あくまで噂」
「でもわざわざ私に言ってくれるとということは…それが、信憑性の高い噂ってことでしょう?」
 私は彼に問いかけた。彼は少し困ったような顔をした。
「…そうだな。だから、局員で、そんな恩恵にあずかれなかった連中は、絶対に、自分の血のつながる子孫をそんな場所にやりたがらない。全国の都市から、何も知らずに、報道機関が流す情報を鵜呑みにする、けなげな連中の持ってくるものをより分けて行くだけさ」
 そうですか、と私は言いながら、視線を落とした。結局、どこへ行ったところで、希望なんか無かったというのか。何だか、おかしくなってくる。笑いたくなってきそうだ。
 と、ふと落とした視線の先に、私は彼の荷物を認めた。そういえば。
「…奥さんは、どうしたんですか?」
「え?」
「奥さんがいる、って今さっきあなたは言われたけど…」
「ああ」
 視線の先に気付いて、彼は少しだけ笑った。
「彼女は、引っ越し先に、片づけに行ってるんだ。せめて人間の住める場所にしようって」
「…引っ越し?」
「もうじき、管理局も辞めるんだ。36番都市の近くの島に引っ越そうと思って」
「…島」
 海の風景が、私の脳裏を横切った。
「妻の父方の先祖の土地らしいんだけど、温暖で、かなり昔に捨てられた所だから、機械がほとんど入っていないというんだ。そこへ行って、…そんな生活をしてみようか、と」
 へえ、と私は声を上げる。
「奥さんと、二人で?」
「いや、子供が三人いるから。妻と先に行っている。それと、局で家族ぐるみの付き合いをしている友人夫婦と」
「…楽しそう、ですね」
「いや、そんなことないよ。大変だよ。俺も妻も、畑仕事も魚取りも何もしたことないからな。下手すると、飢え死にするかもな」
 そしてははは、と彼は笑う。違うんだ。そういうこの人の表情が、ひどく楽しそうなんだ。
 だってそうだろう、と私は思う。都市に居たところで、このままでざいあが、都市に入らないでいるという保証はない。いや必ずその時は来るのだ。悲観している訳じゃない。どこから入ってきたのかすら判らないあの生物は、この先もどこから入ってくるかなど、判らないのだ。
「…そうだ、君もどうだい?」
 え、と私は顔を上げた。
「島はいくら島だとは言っても、決して箱庭じゃないから、人手はあったほうがいいんだ。無論、それなりに苦労はあるだろうけど…」
 彼はにっこりと笑う。
「だけど、黙って殺されるよりは、ましだろう?」

   *

 数日後、都市へ戻る代車が手配されたということで、私は東府を出ることにした。
 出る前に、トオエの案内で、受精卵を託す係への登録をも済ませた。本当にいいのか、と彼は言ったが、いいのさ、と私はうなづいた。
 「協力者」の特権を利用して、私は局へ二つのケースを委託した。二つだ。
 あの時。呆然としたまま、局の車に連れ込まれた私の上着のポケットには、二つの受精卵のケースが入っていた。気付いたのは、トオエの部屋に着いて、椅子の背にそれを掛けようとした時だったが。
 いつの間に、と思ったが、すぐに予想はできた。ミルは私をマシンガンで脅しながら、自分のベルトポーチの中から取り出し、ポケットの中に滑り込ませたのだろう。
 ただそれを、区別している余裕がなかった。自分達のなのか、あんへる達のなのか。
 私はそれを見つけた時、どうしたものか、と思った。一瞬それを床に叩き付けようかとも思った。
 でもできなかった。
 都市の友人の名を出して、本人でなくて申し訳ないけど、と付け加えて、自分のものとして、それを託した。
「それじゃ、色々世話になりました」
「本当に、その気になったらいつでも連絡をくれよ。願いが叶ったからって…」
「トオエさん」
 私は車の窓から乗り出す様にして、世話になった人の顔をまっすぐ見据えた。
「…考えたことはないですか? あのタマゴの中から、あの連中の社会を思い切り破壊してくれるような子供が産まれて来ないか、って」
「君…」
 何を言っているのか、という表情になる。私は冗談ですよ、と笑う。そうか冗談だな、とトオエも笑った。
「妻と相談して…まとまったら、すぐにでも、そちらへうかがいますよ。その時はよろしく、お願いします」
「ああ、それまで君も元気で」
 彼は手を伸ばした。私もその手を取って、強く握り返した。
 冗談ではないのだが。
 いつか、遠い未来、彼等の遺伝子を持った子供達が、反旗を翻すだろう。
 いや、遠くはないかもしれない。でも私は既にこの世にはいないかもしれない。
 それはそれでいい。私はこの地球の大地の上で、精一杯、あがいてやる。うなだれて、ただ死を待つだけなんて、ごめんだ。
 彼等の様に、銃は持たないけれど。
 
 それじゃまた、と私は手を振り、アクセルを踏んだ。
 …さて、何処から話そう? ねおんには。
 彼女はきっと、賛成してくれるだろう。
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