|
|
|
|
| +ホーム +日記 +プロフィール +オークション +掲示板 +ブックマーク +お買い物一覧 |
|
ナニワ英語道の世界へようこそ When the going gets tough,the tough get going. NONES CHANNEL は⇒こちら 松本道弘主宰英語道塾 紘道館 コチラ ナニワ英語道の日記 [全1391件]
未来へ進めば進むほど、過去に戻りたくなる。ナニワ英語道ブログは細々と続けていきたい。中三の日記(14歳ほやほや)。4月17日、長兄が筆を手に野球ゲームを作った。見事だった。「兄は、一度つくり出すとなかなかやめない。僕はこの点を兄の長所だと思っている」 兄の創った野球ゲームを色鉛筆で写し、日記に貼っている。5月2日、その数日後、私も思い出したように「相撲ゲーム」をつくった。この日の日記に、「場所の前置詞一覧というのを絵と一緒に書いた。............英語の前置詞兄の教訓を受ける」 兄弟仲がよかった。ゲーム感覚が「絆」となった。弟の篤弘や妹の幸子がいつも、私の創ったゲームに集まってきた。そして、近所の子も、「みっちゃん、寄せてぇ--」と集まってくる。 私にはもう一つの顔があった。それは格闘家としての「ぼく」であった。近所の草相撲では無敵。横綱。夜、米島という男が私に挑んできた。いくら投げても投げても、かかってくる。得意のやぐら投げでたしか相手を40回ぐらい投げた。一度も投げられてないから、近所で横綱という面目を保った。その様子を絵日記に書いた。公認の試合ではないから、行司はいない。私の当用日記だけが行司であった。
![]()
最近つくづく考える。「血ィは争えないね」(Character is destiny.)と、亡母がよくいっていた。亡母は、死ぬまで日記を書き続けた。 指が曲がるまで書き続けていたから、「行」に近い。絵日記の一部を出版してもいい、といった底意(ハラ)もないから、動機の純粋性でいえば、私よりも母の方が上だ。今年、辰年の私は年男になる。再び狂い咲くつもりだ。
![]()
12月18日のD-DayをDeathcember 18(死を覚悟のD-Day)として、再び100名集めに挑戦してみた。失敗すれば「切腹」―― professional suicide ――。大失敗すれば、「成敗」(こちらは不名誉)になる。古希の祝いと同じく、高いハードルを課した。その主催者を20代前半の若者たち(青年紘道館)にした。周囲は無謀だといった。しかし、断じて私のワンマン処世術を通す。日本の将来を動かす若者に賭けている。 かけつけてくれた二人のインターン(中村、小川)には、実に頭の下がる思いがする。ノーネス、FMレインボータウン、「ドランゴン松の遠吼え」ブログ(服部チーフ)、夕刊フジのアシスタントとして裏で支えてくれている。 今どきの大学生はと低く見ていたが、彼らの「プロから芸を盗もう」という脂ぎった執念と意識は、私に新たなる活力と自信を与えてくれた。12月18日のイベントも、当然のごとく手弁当でかけつけ、結集して私を支えてくれた。 金で返せないのなら、教育で返えせるとまで言い切った。この一年間、私を信じてついてくれる。かたじけない。いくらこき使っても、喜んでついてくるから恐縮する。来年は国際ディベート学会(INDA=International Debate Negotiation Association、竹村事務局長)が正式に発足する。
![]()
ドラゴン松は、ドラ桜を意識した、ニックネームだ。私が気に入っている「エンゼル・バンク」は、30代で転職するなという。大卒後の10年間は、転職は一回、ぎりぎりで2回と述べている。唸った。 その通り、私の人生も20代が勝負だと思っている。脱サラし、インターオーサカに入り、その後再び脱サラし、30歳の頃にアメリカ大使館に仕官できた。やはり人生にもリズムがある。
![]()
ブログを毎日書き続けることは、ワープロ編集者がいるかぎり負担ではない。「ドラゴン松の遠吼え」が好評で、時事英語部門で常に人気No.1を保っている。 夕刊フジの連載が、毎週月曜日と決まってから、日本語の見出しをいかに英語に同時通訳するか、新しいchallengeが始まった。 30歳の頃、米大使館に始まったプロ同時通訳者としての経験が役に立っている。ナニワ英語道は、今の私を過去の私に結びつける役を担うことになりそうだ。歴史は腐らないから、自由日記のノリで書ける。(つづく)
![]()
|一覧| |