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『ほんものの汗』2006年12月3日分 映画「ありがとう」 を観ました。 実話ということで、古市さんの凄さを感じました。 「歩くんだ」と力強く唄う河島英五さんの 『ほんものの汗』がピッタシくる力強さを感じました。 「この流れ落ちる汗は おれのもの 誰が流せというんじゃない おれが いま 流す この流れ落ちる汗は おれが生きている証 歩くんだ どこまでも どこまでも どこまでも 歩くんだ どこまでも どこまでも どこまでも 歩くんだ いま おれは はじめて 生きることを知ったみたいな もしも このまま 死んでも 微笑みながら 死ねそうだ 汗と泥にまみれて あえぎながら 死んでいく それでも おれは きっと 微笑みながら 死ねそうだ 歩くんだ どこまでも どこまでも どこまでも 歩くんだ どこまでも どこまでも どこまでも 歩くんだ」 2年間、復興事業に参加していた古市さんは 仕事を再開していなかった。 そして、その時、「古市忠夫の復興」として選んだのは、 プロゴルファーへの挑戦。 「生きている証が欲しい」 と意識していた英五さんを 連想しました。 救助活動、復興事業、プロゴルファーへの挑戦と 生きる姿は、力強く素晴らしい。 2008年7月6日分 河島英五さんは「生きている証」の唄を多く唄っています。 例えば、『何かいいことないかな』『出発』『明日へ』『孤独の叫び』『ほんものの汗』『子供ならもっと高い山に登りたがるはずさ』『竜馬のように』『足並みそろえて』『オオカミ』『狼のひとりごと』・・・・ 阿久悠さんがインタビューで栄養失調でもないのに、 「だるい」というのは現代病だと言っていました。 「生きている証」が欲しいなんて、 ぜいたくな時代になったのかもしれませんが、 「生きている証」が感じられなく、 「だるい」と感じる。 2009年10月3日分 河島英五さんは『旅的途上』で、 「あこがれ求めさまよう胸の 燃える想いを伝えん たどり着くやら着けぬやら 人生旅的途上♪」 と、歌っており、 48歳という若さで亡くなった英五さんは、 人生の旅の途上だったのだろうか とか たどり着いたのだろうか とか考えています。 しかし、河島英五さんは 『ほんものの汗』で、 「いま おれは はじめて 生きることを知ったみたいな もしも このまま 死んでも 微笑みながら 死ねそうだ♪ 汗と泥にまみれて あえぎながら 死んでいく それでも おれは きっと 微笑みながら 死ねそうだ♪」 と満足げに唄っています。 「微笑みながら 死ねそうだ」 『旅的途上』と『ほんものの汗』は作った時代が違っていたり、実話ではなかったりして、英五さんはどうだったかはわかりません。 しかし、48歳で、いろいろやって、「微笑みながら 死ねた」のかなって、想像しました。 河島英五さんは「生きている証」の唄を多く唄っています。 例えば、『何かいいことないかな』『出発』『明日へ』『孤独の叫び』『ほんものの汗』『子供ならもっと高い山に登りたがるはずさ』『竜馬のように』『足並みそろえて』『オオカミ』『狼のひとりごと』・・・・ 「生きている証」を求め続けて、「微笑みながら 死ねた」のかもしれない。 過去の『旅的途上』は、 http://plaza.rakuten.co.jp/eigosan/55000 に書かれています。 |