━【ネーネーズ】



翼を休めに来ませんか 地球の時計がアクビして ゆっくりゆっくりが落ちて 海が暖かいこの島へ

~ネーネーズ「翼を休めに来ませんか」より~




~TINGARA「太陽の花」より~
アートワークは沖縄在住の版画家・名嘉睦稔さんです。


「沖縄病」というものがあるという。
 沖縄本島はもちろん、八重山の石垣島、竹富島、波照間島、西表島、黒島、小浜島、鳩間島、与那国島、…そして宮古諸島。



波に抱かれて 島の唄をうたえば ほろほろ 涙が こぼれおちる
ここは おくにか 波の音もなくて 叫んで みたけど 届かぬ想い

おーい おーい おーい おーい 波
おーい おーい おーい  おーい また
おーい おーい おーい おーい 波
こたえておくれ



波は よごれて 黒くなってもいいのさ この世が 朽ちても おわりはしない
いきているのなら 何か話しておくれよ おまえには このおれが みえないのかね

おーい おーい おーい おーい 波
おーい おーい おーい  おーい また
おーい おーい おーい おーい 波
こたえておくれ



(「 波 」~海の幸CDアルバム「RAINBOW ISLAND」より 作詞・作曲 どんと)
真のロック少女、小嶋さちほさん素晴らしい歌をありがとう!




三線(さんしん)と歌の島、沖縄。沖縄は歌にあふれた島です。琉球王朝時代から現代まで、沖縄の地で脈々と歌い継がれ愛され続けてきた「島唄」とは、沖縄の民謡を指す言葉です。「島唄」の根底に流れるやさしさ、温もり、祈り、そして魂のエネルギーは、多くの人々の心に届き、熱い想いを伝えます。沖縄の若い人は指笛を吹き、手を打ちならし、猛烈な勢いで踊って沖縄民謡を喜び、楽しんでいます。いまだに街に沖縄の唄が満ち溢れて、生き生きとうたが継承されている沖縄は、たいへん文化度の高い土地なのです。その唄声やリズムやメロディの裏に「民族の体臭」みたいなものが、しっかり匂っています。
「沖縄(うちなー)の心は情(なさき)、そして、歌は情を伝えること」
沖縄の音楽には基本的に二つの音階が使われています。ドレミソラの音階と、ドミファソシの音階です。特にドミファソシの音階は個性が強くインドネシアの音階に似ていると云われます。琉球音階は世界中を見渡してもなかなかお目にかかれない音階です。



「ネーネーズ」

1990年夏、沖縄音楽界のリーダー、知名定男(ちなさだお)のもとに沖縄ポップスブームを巻き起こした「ネーネーズ」は結成されました。
「ネーネー」とはウチナーグチ(沖縄口=沖縄の言葉)で「おねえさん」のこと。それぞれが島唄の名手であった古謝美佐子/吉田康子/宮里奈美子/比屋根幸乃の4人を知名定男がプロデュースする形で結成されました。沖縄の海と空を想像させる透明感のある四人の声が重なり、なんとも言えない音の温かみ深みをも醸し出します。インディーズ・ヒットとなったデビュー・アルバム『IKAWU』以後、数多くの沖縄ファンを開拓し、日本もアメリカもカリブも、みんな飲み込んでチャンプルーにしてしまうネーネーズ・サウンドのキャパシティのすごさは特筆すべきものです。2作目『ユンタ』(92年)よりメジャーに移籍。本拠地である沖縄県宜野湾市の民謡酒場「島唄」での地道な活動はもとより、国内外で多くのライヴをこなし、94年には初のヨーロッパ公演も実現させワールドワイドな成功まで果たしました。95年末に惜しむらくも古謝が抜け、翌年、當眞江里子が加入。そして99年11月14日、渋谷公会堂での「さよならコンサート」で惜しまれつつ解散した。そのときの模様は『オキナワ~メモリアル・ネーネーズ~』(00年)に収められています。



< 知名定男(ちなさだお)>
現代沖縄民謡界の重鎮・知名定男
 喜納昌吉、りんけんバンドの照屋林賢と並ぶ、現代沖縄大衆音楽のリーダー。1945年、知名定繁の子として生まれる。大阪時代から音楽的才能を認められ、57年、米軍統治下にあった沖縄へ密航し、登川誠仁の弟子となる。同年、レコーディング・デビュー(「スーキカンナー」)。若い頃から将来を嘱望されたが、それに飽き足らず78年の「バイバイ沖縄」に代表されるような批判精神を盛り込み、洋楽とのブレンドを計るなど新基軸を打ち出した。90年代以降、ネーネーズの実質的なリーダーとしても活躍、95年に再開された「琉球フェスティバル」でも総合プロデューサーを務めた。



名作『天架ける橋(あまかけるはし)』

<古謝美佐子(こじゃみさこ)>
「ヤマトの歌謡曲うたっても、どうしても島唄になるさあ」
「ロンドン、東京、パリ、NY、北海道、いろんなところへいくのは好き。でも住むのはやっぱり沖縄。ここがうちサー」
「沖縄(うちなー)の心は情(なさき)、そして、歌は情を伝えること」
と古謝は言う。

現役の島唄のシンガーとして、現役最高峰の一人とされる女性。豊かな声量、優しい歌声、人柄がにじみ出た表現のまろやかさ。そして、第1期ネーネーズを引っ張った張本人が彼女。小学4年生の時に早くも初レコーディングを果たしたという早熟で、親に頼んで津波恒徳と石原節子に教えを請うほどの熱心さだった。彼女の名を全国に知らしめたのは、オキナワチャンズの一人として参加した坂本龍一のセッション、そしてネーネーズでの活躍だった。95年、脱退しソロに。1954年、本島・嘉手納町生まれ。





『平和の琉歌』

この国が平和だと
誰が決めたの?
人の涙も乾かぬうちに

アメリカの傘の下
夢も見ました
民を見捨てた戦争の果てに

蒼いお月様が泣いております
忘れられないこともあります

愛を植えましょうこの国に
傷の癒えない人々へ
語り継がれてゆくために

この国が平和だと
誰が決めるの?
汚れ我が身の罪滅ぼしに

人として生きるのを
何故に拒むの?
隣り合わせの軍人さんよ

蒼いお月様が泣いております
未だ終らぬ過去があります

愛を植えましょうこの島へ
歌を忘れぬ人々へ

(作詞・作曲:桑田佳祐/沖縄詩:知名定男)





すべての武器を楽器に 
すべての基地を花園に  
戦争よりも祭りを  
そして  
すべての人の心に花を



「喜納昌吉、国連主催ミレニアム宗教精神指導者代表者会議スピーチ」

地球こそが人類の聖地である。覚醒した人々はそのことを勇気をもって宣言せねばならない。無限に広がる宇宙、そこに浮かぶ水色の美しい惑星、太陽から遠くもなく近くもなく、神の愛のダンスと歌に育まれし生命達の宴を、奇跡と呼ばずに何と呼ぼうか。宇宙の本質とは喜びであり至福に満たされたもので、決して不幸や争いや憎しみではない。また宇宙に開かれた知性は、空気や水、自然の恵みはこの地球の特性であって、それが無限ではないことも知る。故に人類は苦悩と目覚めによって知識と技術を分かち合い、この地球に益として返す本能を持ち合わせている。



『花~すべての人の心に花を~』 作詞・作曲 喜納昌吉

川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな 流れがつく頃には
花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か
花を咲かそうよ

なみだ流れて どこどこ行くの
愛も流れて どこどこ行くの
そんな流れを このうちに
花として 花として 迎えてあげたい



泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か
花を咲かそうよ

花は花として 笑いもできる
人は人として 涙も流す
それが 自然の歌なのさ
こころの中 こころの中 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも
花を咲かそうよ

ekato


ロックグループ「ボガンボス」の元メンバー、どんとさん(本名・久富隆司=くどみ・たかし)は、脳出血のためハワイ島ヒロで死去した。37歳の早すぎる死でした。岐阜県大垣市出身のどんとさんは京大在学中にバンド活動をはじめ、85年にアルバムデビュー。87年ロックグループ「ボ・ガンボス」を結成した。その後、ロックバンド「ゼルダ」の元メンバー小嶋さちほさんと結婚。
95年の「ボ・ガンボス」解散後は「海が好きだから」と沖縄に移り住み、ソロ活動を続けていました。




真のロック少女、小嶋さちほさん素晴らしい歌をありがとう!




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