━バルテュス<Balthus>




■バルテュス<Balthus>(Balthazar Klossowski) 1908-2001■

「子供たちのいるところこそ黄金時代がある」(ノヴァーリス)


photography: Shinoyama Kishin

伝説の画家バルテュスの眼光の鋭さとダンディな身ごなしに、観るものはたじろいでしまうに違いない。

バルテュス<Balthus>

「二月二十九日生まれという奇抜な日に生まれ、四年に一度の閏年しか誕生日が回ってこないこともあって、自分は大人たちの時間の流れを免れており、日付のない時間と幼年時代の絶対の世界という本質的な宝をいつまでも保持できるという感情を、バルテュスは抱いている。彼のヴィジョンはすべて、幼年時代にこそ根ざしているのだ。画家の名前として自分の呼び名を、より正確には呼び名の愛称を使い続けていることも、それを裏付けている。」(ジャン・レイマリー)



『猫と鏡 3』1990-93



『ブランシャール家の子供たち』1937

国立ピカソ美術館秘蔵の作品です。ピカソが最も愛した作品のひとつという絵です。ピカソはこの絵の作者を指してこう言いました。「当代の最も重要な画家である」と。彼はバルテュスをとても評価しました。それはピカソを含め他の現代画家たちに影響されることなく、バルテュスが独自の絵画を確立していたからです。20世紀最大の画家ピカソが愛した、20世紀最後の巨匠バルテュスの作品。「ブランシャール家の子供たち」。古典的な絵画技法によって、少女の美を追求した画家、バルテュスの一枚です。この作品は、バルテュスが29歳のとき、芸術の中心地パリで描いたものでした。この頃からバルテュスはこうした室内画を描き続けました。ゆっくりと時間をかけ、時には数年の月日を費やし、一点一点を紡ぎだして行ったのです。そしてバルテュスはこの作品同様、抽象的なものは一切描きませんでした。



<Le pains de Picasso 1952/photography:ROBERT DOISNEAU>
「写真は創るものではなく、探すものだ。」ロベール・ドアノー

ピカソを感動させた画家、バルテュスは貴族の出身です。戸籍名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ伯爵。彼の父のエリック(Erich)は美術史家、画家、また舞台芸術家として活躍していました。母のバラディーヌ(Baladine)もまた芸術家であり、一時期、かの有名な詩人ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke, 1875-1926)の恋人でもあったといいます。サド研究家として名高い小説家のピエール・クロソウスキー(Pierre Klossowski 1905-2001) は、3歳年上の実兄。ヨーロッパの貴族階級出身の怪物的兄弟?!





ピエール・クロソウスキーは、多方面にわたる才能によって現代フランス文学・思想・芸術に多大な影響を与えてきた。その小説はサドを想起させ、ニーチェ研究はポスト構造主義に消えることのない足跡を残している。また、彼の絵画は見るものをある種の悪夢の世界に誘うものである。

<ピエール・クロソウスキー(Pierre Klossowski 1905-2001)>

「パリ文壇のもっぱらの噂では、このピエールはリルケと母バラディーヌの間に生まれた子であるという。もしこの噂が真実とすれば、ピエールとバルタザール(バルテュス)は、異父の兄弟ということにもなろうか。あるいはバルタザール(バルテュス)もリルケの子であるか」
(「危険な伝統主義者」澁澤龍彦)



『居間』1942/1947

「私は〈芸術家〉という言葉が嫌いだ。芸術家と称する連中に限ってよく〈創造〉という言葉を口にするものだが、あの言葉もおこがましい。以前ピカソが〈私は芸術家ではない〉という言い方をしていたけれど、私なら自分のことは〈職人です〉と言いたい」
自らを絵画の〈職人〉と呼び、古典的な構図と具象画に徹底したバルテュス。彼は破壊から創造を生み出す現代美術から距離を置き、敢えて孤高を貫き通したのでした。



『夢 1』1955-56

彼の絵は、当時流行していたシュールレアリスムの絵画と解釈されましたが、バルテュスはこれを否定しました。彼はシュールレアリスムは、かなり貧しい精神的なゲームにすぎず、絵画運動としては凡庸だと考えていたからです。

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◇輸入VHS「Balthus」A Film by MARK KIDEL◇
監督=マーク・カイデル 撮影=アリステア・キャメロン/ジャック・ホームズ
エグゼクティブ・プロデューサー=デブラ・ハウアー
プロデューサー=エマ・クライトン=ミラー
出演=バルテュス/節子夫人/勝新太郎/タデ・クロソウスキー

*仙人のように隠遁生活をおくるスイスの山荘にカメラを持ち込み、そのインタビューをとらえた貴重なドキュメンタリー。そして、バルテュスは勝新太郎の大ファンだったというのは美術界ではよく知られた話だそうです。



『ギターのレッスン』

女教師がギターのように弾くのは、裸の少女の体そのものです。とても挑発的でエロティックな内容です。そのため間違って解釈されるおそれがあるということで、1934年にパリの「ギャラリー・ピエール」で展示されてから約40年もの間、バルテュス自身によって公開が禁じられ、その後ニューヨークで1977年に一度だけ公開が許されたきりだった。



『夢見るテレーズ』

《少女とは生成の受肉化である。これから何かになろうとしているが、まだなりきってはいない。要すに少女はこのうえなく完璧な美の象徴なのだ。成人した女性 がすでに座を占めた存在であるのに対して、思春期の少女[アドレサン](この言 葉はラテン語の「アドレスケレ」=「成長する」から来ている)は、まだ自分の居 場所を見つけていない。…でも、わたしの作品をエロティックと評するのは馬鹿げ ている。少女たちは神聖で、厳かで、天使のような存在なのだから。結局のところ、 わたしとあの哀れなナボコフに共通点があるとしたら、それはユーモアのセンスだ けだ。》



『美しい日々』1944/1949

宗教画を思わせる静かな画面の中の長椅子に横たわる少女、片足を立て鏡を持ち自分の顔をそこに映し見る少女。鏡と猫といういつもの小道具も揃います。異次元の世界に導くような、白昼夢のような甘美で神秘的な作風……挑発的でエロティックなその絵は見る者に緊張を強います。この緊張感がバルテュスの絵には必ずあります。彼が描くモチーフでもっとも多いものは、長椅子に横たわる少女。短いスカートから、緩んだ靴下を履いた脚の白く細い内ももと、パンツがのぞく無防備な姿。誰かが見ていることを意識しているような、あどけないながらも誘うような顔をしているようにとれる少女の姿態に、見る者はエロティックな緊張感を覚えます。でもバルテュスが描いているのは、エロティシズムそのものではありません。



『本を読むカティア』1968



「夢見る少女は、あらゆる禁止の枠を乗り越えて、その肉体全体を容易にエロス化するだろう」
澁澤龍彦

少女の美しさ。それはサナギから蝶へと変化するその瞬間にしか見られない不思議な美しさ。バルテュスはその美しさをキャンバスに表現し続けたのです。思春期の少女の無造作で静的なポーズをイタリアの伝統的な絵画の色調で描き、静謐なエロティシズムに彩られた唯一無二の世界を構築した。モデルの少女に向けられた画家の眼差しは、禁欲的であるが故に、妖しいまでのエロチシズムを醸し出している。92年の生涯を終えるまで、このアトリエでバルテュスは追い求めました。少女の美しさを・・・。主に少女の絵を描くことで世間から誤解されてきたバルテュスだが、それについては「最近の精神分析の隆盛の弊害だ」と一蹴する。



『まどろむ裸婦』1980

「バルテュスの作品は観る者をして不健全な、歪んだ夢想へと誘い、肉体を惑乱させる。しかしバルテュスのエロティックな絵の中には、奇妙なことに、性行為そのもの、すなわち暴力・侵犯はどこにも描かれていない。あるのはただ行為の<後>か、もしくは<前>の場景だけであり、真の行為者は画面のどこにも登場しない。作者のバルテュスの位置は現場の蔭でそれを覗き見する、もしくは想像するだけで甘んじるVoyeurの域を越えない。そこに感じ取れるのものは罪の意識であり禁忌の感覚である。エロティシズムを永遠ならしめるためには、この二つの要素が必要であるという巧妙な詐術をバルテュスは存外心得ているのではなかろうか?」
(「不滅のエロティシズム」生田耕作 美術手帳1984.8より)



『暖炉のまえの裸婦』1955



『両腕をあげる少女』1951



『街路』1933/1935



『窓』1933



『画家とモデル』1980



『鏡を持つ裸婦』1981-83



『部屋』1947-48



『スパイとその馬』1949



<節子バルテュス>



『黒い鏡を見る日本の女』1976

二番目の妻で、ご自身も画家として活躍される節子夫人が日本人で着物の似合う美しい女性であったことも、バルチュスの禁欲的なエロスを解くカギとなるものでしょう。1962年にバルテュスが来日した時に節子夫人は上智大学の学生で通訳をして見初められて結婚したそうです。20も年が違うのに大恋愛の末の結婚であったそうです。節子夫人はバルテュスの傍らで、常に和服を着て過ごしていました。それは彼の強い希望だったようです。そしてバルテュス自身も着物を普段に愛用していました。



バルテュス、節子夫妻には、一人娘・春美さんがいます。春美さんは”Harumi Kiossowska de Rola(ハルミ・クロソフスカ・ド・ローラ)”としてジュエリー制作をスタートし、1996年に初めてのコレクションを発表し、表参道のエスキス内に彼女のブティックがオープンしました。



『テレーズ』1938

「…幼年時からの部屋のなかを毒虫に変身して身をよじりながら這い回るグレゴー ル・ザムザにも似た、あのバルテュスの少女たち…」
(種村季弘「永遠に通過する画家」)
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「子供たちのいるところこそ黄金時代がある」(ノヴァーリス)(´-`).。oO


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