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『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど”

いい女列伝 伝説の名女優!太地喜和子



『いい女列伝 伝説の名女優!太地喜和子』



Special Thanks ! To Kishin Shinoyama.

「’92年10月13日、払暁。女優・太地喜和子、水死。享年48歳――」

刺激的で過激で奔放な”いい女”。恋と愛と舞台にかけた一女優の生涯――何事にも全力投球だった。芝居にも人間関係にも、生きることそのものにも。そして、彼女は逝ってしまった……。  



”文学座のホープ””杉村春子二世”.....ふっくらした頬の、きれいなアーモンド型の瞳と猫のようにつりあがった目に派手に目立つ化粧、笑いかける寸前のようにほころびかけた口元・・あっけらかんとした顔に眩いばかりの存在感とたぐいまれな妖艶さを持ち、大酒豪としても知られ、十八の時の三國連太郎との同棲生活、津坂匡章(秋野太作)との結婚、離婚をはじめ、峰岸徹、伊丹十三、石坂浩二、津川雅彦、中村勘九郎、私生活における恋愛沙汰の多さでもよく知られた陽気で奔放なセックスシンボル。


Special Thanks ! To Syoutarou Akiyama.

「男は夢と寝たがるが、女は男としか寝ない」

三國連太郎が太地にふと漏らした言葉に「ぼくの前を通りすぎていった女は多いけど、ぼくのなかに、結局はなんにも残してはいないんだなア・・・」
太地はその時の気持ちを後に、「彼がふっともらしたその言葉に、わたしは匂いを感じたの。彼のすぐうしろを歩いていたわたしは、そのとき彼の背中に、寂しさがべったりはりついているのを見たような気がしたわ。この人のために生きてみたい・・・とっさにそう思ってしまったの。泥くさい感じだけど、竹の根のような繊細な神経の持ち主だった彼。二十も歳が違うのに、寂しがり屋の子どものような大人だった」と述懐している。



「いろいろな女優さんと噂をまかれましたが、私が実際に男女のおつきあいをした女優さんは、亡くなった太地喜和子さんだけです。太地さんは魅力的な優しい人でした。これは異常ともいえるほど博愛精神をお持ちの方で、どこにも行かず、他のことは何もしないで、ひたすら私だけを待ち続けてくれる風情なのです。ただ、一抹の恐怖を感じさせる生き方に近いものが伺えました。ああ、この人は自己破滅していく人だな、自分自身が崩壊する道をあえて選んでるんだなと、私自身を棚に上げて感じました。その破滅への道に私も身をゆだねて、彼女と心中する覚悟にはなれませんでした。勝手なものですが、二人の関係を続けるためには、同じ仕事をするのは困るから女優をやめてくれといったのですが、彼女はどうしても女優という仕事に未練があったようです。もちろん、一緒にいる時、仕事の話は全くしなかったけれど、だんだん彼女の暮らしの後姿に虚しさが透けて見えてくるのです。私は、妻と別れて彼女とともに暮そうと何度か決意したこともありましたが、彼女が劇団をやめていないことが周りからわかった時、やっぱり私の住む世界はここではないと思って、身を引く決意をしました。おつきあいを始めて丸々一年後のことでした。」



1943年12月2日東京・中野生まれ。松蔭高校在学中に東映6期のニューフェースに合格。志村妙子という芸名だった。4年間で4本の映画に出演するがいずれも端役。高校卒業の翌年の63年、俳優座養成所 16期生になった。同期に古谷一行、河原崎建三がいる。修了と同時に文学座入団。杉村春子に可愛がられて次第に中心的女優になり、代表作に「美しきものの伝説」「飢餓海峡」「近松心中物語」などがある。映画にも数多く出演。なかでも「藪の中の黒猫」(68年)では全裸シーンも披露する熱演ぶりで、新藤兼人監督に高く評価された。その一方、「喜劇・男の泣きどころ」(73年)以下のコメディーにも持ち味を発揮。「男はつらいよ・寅次郎夕焼け 小焼け」(76年)では17代目のマドンナに起用されている。



『藪の中の黒猫(1968)』
監督:脚本:新藤兼人 撮影:黒田清己 美術:丸茂 茂 音楽:林 光
出演:中村吉右衛門/乙羽信子/太地喜和子/佐藤 慶/戸浦六宏/殿山泰司/観世栄夫

平安京の羅城門に美女の姿を借りた化け猫が現れ、 侍を次々と食い殺し世間を騒然とさせていた。御上から化け猫退治の命令を受けた藪の銀時は早速羅城門に向かうが、 そこで亡き妻にそっくりの女に出会う。戸惑いながらも誘いを受けた銀時が女の家に向かうと、 今度は亡き母にそっくりの女が待ち受けていた。4人の落武者に犯され、 家ごと焼き殺された銀時の母と妻は、 侍の生き血をすすることを魔神に誓い、 妖怪として生き続けていたのだ…。

「太地の身体を見て思ったことは、裸になってみると、全体にスラーッツとして、いわゆるグラマーでなく、プロポーションが良かった。バランスがいい。そのうえ肌もきれいだった。女性というより少年っぽいからだをしていると思った。足腰のあたりは、小鹿のような俊敏さと、そのしなるような動きから来るエロティシズムがあった。」



民間伝承をヒントに脚本を書き上げた新藤兼人監督が、 平安中期の京都を舞台に怪奇幻想的なタッチで生命の根源である"性"を深く掘り下げた、 異色のホラー時代劇。新藤監督が師と仰ぐ故・溝口健二監督の代表作『雨月物語』へのオマージュとして製作された注目作である。故・太地喜和子が官能的に演じた妖艶な化け猫が圧巻。太地喜和子は、この映画で昭和43年度の日本映画制作者協会新人賞を受賞した。新藤監督は、『裸の十九才(1970)』でも太地喜和子を起用し、永山則夫が逃亡中、肌をふれ、魅かれていく娼婦を好演した。



『心中宵庚申(シンジュウヨイゴウシン)【近松門左衛門「心中宵庚申」より】』
脚本:秋元松代・演出:和田 勉
太地喜和子/滝田 栄/乙羽信子/佐藤 慶/吉行和子/辰巳柳太郎



「テレビ技法にすり寄らず、テレビを無視したところで成り立っている。はまったものしかやらないが、その密度の濃さで、この人に代わる女優はいない」

1984年(昭和59年)放映のNHKテレビドラマ『心中宵庚申』を演出した和田 勉は、テレビ育ちの女優にない新鮮な驚きを太地喜和子の演技にみていた。夫婦養子が、義理の姑の嫉妬によって心中へ追い込まれてゆく話だが、一生涯を通して、いい女、好色な女を演じたいと念じていた太地喜和子にとっては近松の世界は最も真価を発揮する舞台であり出色の出来、大傑作となった。特に、旅へ出る夫に向かって太地の妻が、「蝶になって、あなたの肩に止まってついて行きたい」という台詞を童女のような表情で切なく吐くシーンは太地喜和子の色っぽさの絶頂であろう!思わず凄いと唸ってしまった。同じ秋元松代作・和田 勉演出は、翌1985年(昭和60年)の『おさんの恋』、1986年の『但馬屋のお夏』と続き和田勉は太地喜和子へただならぬ惚れ込みようを見せた。



『近松心中物語』(蜷川幸雄が演出)は、昭和54年に平幹二朗、太地喜和子コンビによって大ヒットし、遊女,梅川は太地喜和子の当たり役となり代表作となった。ある日裏方さんが太地喜和子の楽屋の前を心中場面の前に通りかかると、喜和子が洗面器に両手を浸していました。何をしているのと問うと、「雪の中の心中だから当然冷え切っているはず、平さんが私の手を握った時冷たい方が気持ちが通じるでしょ、」とその為に氷水で冷やしているのでした。「近松心中物語」はその後千回以上の公演を重ね、平成16年に阿部寛・寺島しのぶコンビによって「新・近松心中物語」へと進化していった。



「おさんは前からやりたくて。”ホレたら一直線”というのは、わかりやすいから好き。あたしの夢です。だって、死ぬまでホレられない。せめてドラマで、と。演じているときは、本当の自分と一緒にしたくない。でもやっているうちに、どっちが本当だかわからなくなる時もあります。役の中に自分に近い部分を見つけちゃうの、で、その気になってしまう。男がいなくちゃいられない女だけはやれないですね。いない時もいいじゃないと思っちゃうから。ただ人は好きですからね。寂しがり屋だけど、ひとりでいる。そのつらさがいいの。ひとりでいていいなって思うのは、引きずっているもの、しがらみがないから。さあ、いくぞって、すぐ仕事に入れる。あたしは舞台がシンになって回ってるから、東京を離れる事が多いし・・・・夢を売る商売だから、見る側と同じ生活してたんじゃ、お金は取れない。私は仕合せよ。ついでにちょっとというわけにははいかないでっすよ。あんまり仕合せって顔しといて生きるの死ぬのはやってられないでしょ。」



みずからの私生活が尋常でなくなればなくなるほど、また、私生活での異性をめぐるスキャンダルが華やかであればあるほど、いい女優、いい女になることができると信じていた。杉村春子たちが引っ張ってきた日本の新劇の土壌から、パッと異質な新しいタイプの女優が誕生した。太地は新劇から生まれてきた女優だが、およそ新劇的な感じがしないのだ。



誰にも優しくて、開けっぴろげで、笑い上戸で、セクシーで・・・・・・


Special Thanks ! To Yoshihiro Tatsuki.

誰にも優しくて、開けっぴろげで、笑い上戸で、セクシーで・・・・・・



『白い巨塔』

1978年に放送された、TVドラマ史上に残る不朽の名作「白い巨塔・田宮二郎主演版」!昭和38年サンデー毎日に連載され、社会に大きな波紋を投げかけた山崎豊子の大ベストセラー小説を原作とし、大学付属病院を舞台に、欲望と利害が渦巻く医学界の内幕を赤裸々に描いた内容は、世間に大きな衝撃を与えた。

<原作>山崎 豊子「白い巨塔」「続 白い巨塔」
<脚本>鈴木 尚之 <演出>小林俊一/青木征雄
<出演>田宮二郎・生田悦子・太地喜和子(「俳優座養成所」)・島田陽子(楊子)・上村香子・高橋長英(「俳優座養成所」)・中村伸郎(「文学座」)・岡田英次(劇団「青俳」)・小沢栄太郎(「俳優座」)・本山可久子・太田淑子・河原崎長一郎・曾我廻家明蝶(特別出演)・山本學(「俳優座養成所」)・金子信雄(劇団「青俳」)・堀内正美・井上孝雄・佐分利信・中北千枝子・清水章吾・加藤嘉(「民芸」)・渡辺文雄・野村昭子・入江正徳・戸浦六宏・大滝秀治・小松方正・米倉斉加年(「民芸」)ほか、
――『白い巨塔』の名脇役陣は、かつて新劇や映画界で鳴らした名優たちがこぞって出演し多彩な人間模様を繰り広げた。その上、ご存じのように、田宮二郎は、このテレビ作品の方の「白い巨塔」終章の放映を待たずして不可解な死を遂げ、世間を驚かせた。死の予感があったからなのでしょうか、田宮次郎の迫真の演技が戦慄を呼ぶほどの深遠な人間ドラマの傑作となりました。私は、もはやこの名作ドラマを再び見られるとは夢にも思わなかったが、なんと、DVD9枚構成、30時間を超えるという凄さで発売され、この超ドラマを心ゆくまで堪能し、魅了されました。ご存知のとおり、2003年10月よりフジテレビ系でフジテレビ開局45周年記念ドラマとして放映された『白い巨塔』は、リメイク版。リメイク唐沢版は全21話だが、田宮版は31話あります。比較する統べもありませんが、10話も少ないとストーリーがだいぶ短くはしょられてしまいますね。



ドラマ撮影中、田宮さんの行動や精神状態はかなり不安定だった。田宮さん自身が企画を持ち込んだ『白い巨塔』のドラマ化が正式に決まる77年11月頃から田宮次郎さんの躁鬱病が悪化し始めていたという。『白い巨塔』の収録渦中にあっても田宮二郎は、さまざまな“事業”に手を染め始め、大映撮影所の買収、日仏合作映画の製作、TBSのオーナー、トンガの石油発掘権――など、真偽のほどは分からないが、後に週刊誌に騒がれる通称「M資金」の融資話を、怪しげなブローカーたちから受けたと言われるのもこの頃。普通、連続ドラマの収録の最中に、主演俳優が1週間外国に行くことなどありえないが、田宮はトンガへ行ってしまうほどこの事業にも入れ込んでいた。



12月28日、田宮次郎は自室で謎の猟銃自殺を遂げてしまう。田宮次郎さんが猟銃自殺したというニュースは当時大々的に報道され、「白い巨塔」の最終回放送前の急逝だったともあり、彼の死後、放映された『白い巨塔』は、密葬の行われた夜の30話が26.3%、年が明けた1月6日の最終話が31.4%と、それまでの田宮の持つ最高視聴率「白い滑走路」の26.9%を凌ぐものだった。



財前五郎の愛人、花森ケイ子を演じた太地喜和子は素晴らしかった!財前の母への思いやりが深くて、愛人としての立場もわきまえた細やかな態度は度を越えて美しく不思議な母性を感じさせる。すべてにおいて大人の女としての格が違う、そんな演技を魅せてくれました!愛する人が亡くなって港で独り風に吹かれながら泣きじゃくるケイ子のシーンにかぶって財前の里見宛の遺書がながれ「・・・あの美しい薔薇が病床を慰めてくれた。母をよろしくとお伝えください。」・・・真紅の薔薇はケイ子がこっそり見舞ったものだったが、財前には誰が見舞ったものか判っていた。財前五郎の母キヌにだけ見せる優しい顔と、愛人にだけ見せる甘さ、外科医として野望に満ちた自信家の冷酷な顔を見事に演じていて、正に田宮二郎が命を賭した作品でした。財前五郎の末期の言葉は、「お母さん...。」だったのには、一瞬虚を付かれました。合掌。太地喜和子さんも亡くなり、二人の本当の死を持ってドラマが現実の中で完結してしまったように思えてなりません。田宮が猟銃自殺に倒れた夜、太地は夫人の幸子氏と共に、ベッドの上で田宮の亡き骸に添い寝をしたというエピソードが胸を打つ。名優田宮次郎氏、太地喜和子さんのご冥福を心よりお祈り致します。


Special Thanks ! To Yoshihiro Tatsuki.



『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』
第十七代目のマドンナぼたんという底抜けに明るく、気風と度胸がよい姉御肌の芸者を太地のイメージそのものに圧倒的な色気をもって演じシリーズ屈指の傑作となった!カラカラと大声で笑う声の中に切なさを感じさせて、そしてニッコリ微笑む表情がもう最高にかわいらしい。なんたって寅さんがフラれてないというのもめずらしい幸せな結末です。








『火まつり (1985/日)』

年にいちどの本祭りであった。
海の終わりには、山がそそりたっていた。
そのわずかな狭間に家があり、人間がいた。
海には海の神が居た。
山には山の神が居た。
そこでは、まだ神は人間と一緒だった。
男は自分を特別だと感じていた。
神に選ばれた人間だと信じていた。
紀州・熊野、連なった山々のすみずみから、たいまつを灯して人々が集まる。
積った、喜び哀しみを、共に分かち合うために。

「俺は山の神に愛されている。山の神を女にすることが出来るのは俺だけだ」



監督: 柳町光男 
脚本: 中上健次 撮影: 田村正毅音楽: 武満徹 美術: 木村威夫
出演:北大路欣也 / 太地喜和子 / 中本良太 / 三木のり平 / 安岡力也 / 宮下順子



この物語の舞台は、神武東征以来、落人伝説、異種の流離譚、補堕落渡海など、数々の伝説と物語の宝庫であり、山と川と海の山紫水明を背景に神秘的世界を広げる紀州・熊野である。この海と山に挟まれた小さな町を舞台に、ひとりの木こりの姿を土着的な風土の中に神話的な世界を融合させ描いた異色のドラマ。作家・中上健次の書き下ろし脚本を柳町光男監督が映画化。海と山に挟まれた紀州・熊野の小さな町。海洋公園の建設が予定され、その利権で町は揺れていた。木こりの達男には妻と二人の子どもがいたが、町にかつての女・基視子(太地喜和子)が帰ってくる。焼けぼっくいに火がつく二人。ある日、激しい嵐の中、山にひとり残った達男は雲の流れ、木々の揺れる音、川のせせらぎの音の中で、達男は何か超自然的なものを感じる。そこで神の声を感じるのだった……。
北大路欣也がカリスマ性溢れる主人公を熱演!山の神と主人公が"交わる"シーンのエロティシズムは秀逸。また、基視子演ずる太地喜和子が実にいい。村の女たちにタダならぬ警戒感を抱かせ、男たちを虜にしてしまう魔性を見せながら、その陰で男にだまされ、幼い頃の初恋の相手である主人公と肌を温め合うことにささやかな安心を見出す女のいじらしさ、切なさ、悲哀をも表現。物語に説得力を与え、主人公のキャラクターの肉付けに大きな役割を果たす存在感はさすが。
中上健次原作の映画は「十八歳、海へ」、「赫い髪の女」、「青春の殺人者」、「十九歳の地図」などがあり何れも出色の出来。毎日映画コンクール日本映画優秀賞、'85年キネマ旬報主演男優賞受賞作品。



「力強く、美しく、そして恐るべき映画である。この映画は、日本がこれまでつちかってきた伝統に何をしてきたか。その原罪を問い質そうとしている。現代人が自然に対して犯してきた罪に、自然がいかに報復するかという意味で、天罰についての映画といえる。この映画の恐るべきメッセージは非凡なる演出、心を奪われる美しさの中で息づいている。自然に対する暴力、いわゆる木々を伐採するという冒頭シーンから、ついには人間が誇示する文明を逆に自然がはぎとってしまうというラストに至るまで、このずば抜けた作品は私たちの心をつかみ、忘れ得ぬ一篇となっている。」(ドナルド・リチー)



喜和子が水の中に肌着で入るシーンが印象的。水に濡れて肌着が透けてかすかに身体の線が見える。でもヌードのシーンはこれが最後。打ち上げの時に喜和子は腰がすっぽん鍋にあたり、尻から腿にかけて熱湯をあびた。自分の失態で酒席の楽しさを覚ますことを避け、かなり時間がたってから手当てを受けた為無惨な痕を残すヤケドをしてしまった。酒を浴びるように飲んでもつぶれず、周囲への気遣いがただごとではすまさず、太地喜和子のイメージを死守していた。


Special Thanks ! To Yoshihiro Tatsuki.

太地喜和子は、飲むと寂しくなり、人恋しくもなり、男と女のしがらみから抜けられないで、また飲むという酒癖で浴びるように酒を飲んだが、喜和子の肝臓は日本人では珍しくアルコールの分解に優れていた。だから肝臓は大丈夫だった。その代わり緑内障になった。医師の診断だと50歳には失明するとの見方があった。方々の占い師に52歳で死ぬと言われていた喜和子。自分の眼が緑内障であること、失明することが時間の問題であることを誰にもつげることはなかった。太地喜和子はいわゆる破滅型の女優であったかもしれないが、半端な自己抑制はせず、自分を常に解放して生きていた。そのため、女優・太地喜和子は太地喜和子を演じるのに、すべての熱意を注ぎ、彼女にとって演ずるに足るものは太地喜和子ただ一人であったのではないか。



『唐人お吉ものがたり』

「ええ。前から演りたいと思っていました。何でって、「唐人お吉」だからよ。
今までって言われたって、まだまだやる訳ですからね。振返るのは早いんですよ。振返らないんですよ。先もずい分先じゃなくて、目の前の役を一生懸命演って、そうする事によって先が作られていく訳ですから。今演ってて、次あれ演りたいと思うと今演っている役が曖味になってしまいますから。それこそお吉さんが嘆くだろうし、そこら辺は、はっきりしてますからね。」



1992年(平成4年)10月13日、太地は文学座の巡業公演で静岡県伊東市を訪れ、前日、同市の観光会館で公演された「唐人お吉ものがたり」に主演。ホテルに入った後、劇団員の男性 2人と飲みに出かけた。そしてスナックで飲んだ後、「海を見よう」と、店のママの乗用車で観光桟橋に出かける。ママの知人の船を訪れたが誰もいないので車を後退中、誤って桟橋から転落したもの。午前2時20分ごろのことで、太地だけが溺死だった。酒に酔っていたこと、海中に車ごと沈したとき、、窓のあかない後部座席に座っていたため脱出出来なかったこと、何よりまったく泳げなかったことが災いした。
遺体が留守宅に戻り通夜がとりおこなわれ時、訪れた弔問客は太地の死顔の美しさに驚いたという。彼女は目を軽く閉じ軽く唇をひらいていた。卵形のきれいな顔はあどけなさを残し、うふふ、と笑いだす寸前のような表情をうかべていた。


Special Thanks ! To Ken Kageoka .

お墓は巣鴨駅から近い都営染井霊園の勝林寺にある。


Special Thanks ! To Ken Kageoka .

紅蓮院喜和静華大姉



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太地喜和子は松蔭高校1年生のときに東映のニューフェイスに応募して合格した。志村妙子という芸名だった。4年間で4本の映画に出て、何もおきずに終わった。そこで太地は文学座の演劇研究所に入る。そこには、小学校同級以来のいまは樹木希林と名を変えた悠木千帆がいた。
悠木は太地が死ぬ前に渋谷の呑み屋にいた。悠木は言った、「あなた、なんて醜くなったの」。酔っていた太地は怒る、「あたしを誰だと思ってるの。あたしは、天下の太地喜和子よ」。
 その言葉に別のシーンの太地の言葉がかぶさる。「あたしを誰だと思ってるの。あたしの母親は本当は山田五十鈴なのよ」。

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