
惚れられ惚れて早一年経って 若さと馬鹿さ空転りするさ
ヒールが七糎のブーツをはいて
ぼくを踏み潰して出て行った朝よ
塀の上で 塀の上で
ぼくは雨に流れてみてただけさ
(「塀の上で」作詞・作曲 鈴木慶一 はちみつぱい「センチメンタル通り」より)
-「美代子阿佐ケ谷気分」-
2000.7.3 初版 ワイズ出版
私は三十二歳の頃に分裂病を発病し、以来、十七年間まともな考え方が出来にくくなった。...この十七年間のブランクは、私にとって苦しみの連続だった。妻美代子も三人の子供もよく私を許してくれていると思う。...私と美代子が出会ったのは、高校時代である、もはや、分裂病歴の方が長いほどになった。しかしまだ別れずに居る。美代子は相当に深い愛の持ち主だと思う。...私はいつ死ぬか判らないが、漫画も小説も油絵も死ぬまで画く事になるかも知れない。
(「愛を失って--あとがきにかえて」 安部慎一)
阿佐ケ谷で育まれた彼らの愛は幾多の作品にちりばめられ安息をみた。彼らが彼らの人生において最も若く美しい時を迎えている男女であった事の証としてこの傑作「美代子阿佐ケ谷気分」が生みおとされた。彼の妻である美代子さんをモデルにしたマンガは私小説ならぬ”私マンガ”と呼ばれその作風は当時であってさえ異彩を放ち70年代の空気感を悲しいまでに表現していた。
-「悲しみの世代」-
2001.5.30 初版 限定サイン本 No.0300/1000 まんだらけ

◇著者略歴◇
1950年、福岡県田川市に生まれる。1952年、畠中美代子田川市に生まれる。
1967年、田川高等学校新聞部に入部してきた畠中美代子と出会い交際を始める。
1968年、家出、上京。永島慎二のもとを訪ねる。
1970年、一級下の美代子の卒業を待ち、上京。杉並区阿佐ヶ谷北の富士荘二階に住むようになる。
美代子を主人公にマンガを描くことを思い立つ。
「やさしい人」が「ガロ」に入選。
1971年、『美代阿佐ケ谷気分』「ガロ」3月号に発表。
1973年、故郷の福岡で畠中美代子と結婚。秋、創作に行き詰まってマンガを描けなくなり、福岡県伊崎へ転居。
1982年、妄想型精神分裂病を発病。
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1993年、『美代子田川気分』「ガロ」8月号に発表。
「美代子阿佐ケ谷気分」...に対するオマージュか...二人が生まれ育ち、出会ったこの田川で二人の愛は小康を得たのか....。
1996年、「ガロ」初代編集長、長井勝一 没。
200年、旧友の現・まんだらけ社長古川益三がインタビューの為自宅を訪問。20余年ぶりに再会。
精神を病んで田舎に引きこもった天才作家、安部慎一は美代子との愛の為に今も尚、病魔と闘い続けている。
-「日の興奮」-
2001.5.30初版 ワイズ出版
-「天国」-
2001.5.1 初版 ワイズ出版
-「迫真の美を求めて 安部慎一混沌作品集 」-
2001.12.25 初版 限定 No.0412/1000 青林工藝社
-「僕はサラ金の星」-
2003.4.25 初版特装版 2500部 青林工藝社
-「愛連の家族/聖書 安部慎一未刊行作品集」-
2001.10.25初版 青林堂

愛がなくちゃね!